コタツ評論

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筒井康隆はだいじょうぶなのか

2011-04-30 23:05:00 | ブックオフ本


『壊れかた指南』(筒井康隆 文芸春秋)を読んだ。
例によって、帯文を引く。

筒井康隆は、壊れ続ける
これぞ世界文学遺産、全30篇のサプライズ
7年ぶり、21世紀初のオリジナル短編集


デモーニッシュな笑い、油断ならぬ展開、途轍もないカタルシス!
ファンが涎をたらして待っていた、天才作家の恐るべき短編集


以上のうちで、「筒井康隆は、壊れ続ける」以外については、まったく同意できない。短いから、短編であることには同意するが、短編小説であるかについては、ただちに同意できない。いったい、この30篇は小説なのだろうか。驚嘆と畏怖をこめて、「これは小説なのか?」というのではなく、呆れ返って、「これって小説?」という読後感。読むに堪えないナアと思いつつ、しかし、一気に読んでしまったのだ。どうしてだろう。

かつて、筒井康隆はひとつのジャンルだった。筒井康隆の小説は筒井康隆でしか読めなかった。これは当たり前のことではない。余人をもって代えがたい作家だった。『大いなる助走』や『虚人たち』あたりから、ちょっと読みづらくなってきた。実験小説を手がけるようになって、俺は遠ざかった。それは別にかまわない。こっちがついていけないということは、筒井康隆にかぎらず、ままあることだ。その後、いくつか短編集を読んでみた。尻切れトンボが多いなという感想を持つ作品が少なくなかった。しかし、『驚愕の荒野』のような秀作もあった。

この『壊れかた指南』では、最初の「漫画の行方」と最後の「逃げ道」をのぞけば、後は箸にも棒にもかからぬ思いつきとしか思えなかった。解説がないのは、引き受け手がいなかったのではないか、と疑いたくなるくらいだ。しかし、一気に読んでしまったのだ。どうしてだろう。もしかすると、俺が筒井康隆を、あるいは最先端の現代小説を、まったくわからないせいかもしれない。誰か筒井康隆はだいじょうぶなんだと教えてくれる人はいないものか。いまや筒井康隆はジャンルからジャングルになったように思う。見通しが悪く、どこにも出ることができない。「おおーい!」。

誰も言わないらしいが、ついでに、「エキストラレベル」の「俳優・筒井康隆」も店じまいしてほしいものだ。

(敬称略)



カティカ・イレイニ Katica Illenyi

2011-04-29 01:44:00 | 音楽
ブタペスト・クレズマー・バンド
budapest klezmer band - di mame iz gegangen



バイオリンを弾いている人がカティカ・イレイニさんです。ハンガリー・プダペストのジプシー系フォークバンドのようです。バンドマンたちの風貌や寂れたロケーションの佇まいにローカルな味わいがありますね。以前に、ご紹介した『オーケストラ!』のボリショイ交響楽団のコンサートマスターは、色浅黒いハンガリーのジプシーでした。

budapest klezmer band - king and ezster´s dance
http://www.youtube.com/watch?v=-IogA4TcHLM

Katica Illenyi - Jazzy Violin - Live Video Mix



カティカさん、いきなりお洒落になっています。美人ですね。セクシーですね。淀川長治みたいですね。歌うだけでなく、タップダンスまで披露しています。



お願いだから議員辞めてくれ

2011-04-27 20:39:00 | 3・11大震災
このとおりの事実関係なら、北沢防衛相と枝野官房長官は腹切りもの。これまで、民主党政権の失策、無能、失敗については、真偽不明を含めて数多く見聞してきたが、俺にとってはこれが最低最悪の事件である。



東電社長・自衛隊機利用問題 枝野氏らが責任転嫁 「車を飛ばすのが当然だ」 実際には不可能
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110426/plc11042623410023-n1.htm

「北沢防衛相は(輸送機について)被災者救援の輸送を最優先すべきだと指示していた。

3月11日夜、東京電力福島第1原発の1号機と2号機の非常用の発電機が大津波によって失われ、政府は原子力災害対策特別措置法に基づき、「原子力緊急事態」を宣言した。このとき東電トップの清水正孝社長をその出張先から一分でも早く、東京本社に戻して適切な指揮をとらせることが、誰がどう判断しても被災者救援よりはるかに、最優先事項。いったん離陸した航空自衛隊輸送機をUターンさせてまで清水社長を下ろすなど、信じられない愚行。

管首相に、「無視するんですか!」と呼び止めたのは、被災者だからまだ同情や斟酌の余地があるが、自身の誤判断を被災者救援をダシに言い逃れしようとする北沢防衛相の卑劣には言葉を失う。また、枝野官房長官の「飛行機が使えないなら、車を飛ばせばいい」と子どものような言い返しにも呆れるばかり。

上位者の重要な役割は、部下の責任をとるところにあり、ましてや3.11のような緊急事態には、大小さまざまな「超法規的処置」が必要とされ、上位者はよりいっそうの責任を負うことが求められるもの。自らの責任を逃れるために、卑劣な言い逃れと愚劣な言い返しをして恥じない者が、それをできようはずがない。

管首相に同情すら覚えてしまうが、こんな卑劣漢を防衛大臣に、こんな愚劣なガキを官房長官に任命したのだから、いちどは管民主党政権を選んだ国民ともどもに、自業自得というほかはない。

しかし、地位や責任が人をつくるのもまた、一方の真実だ。ごく平凡な人でも、困難に遭遇し、重大な責任を負うたとき、目が覚めたように考え抜き、あるいは動く場合がある。3.11に際し、そうした平凡な人々の非凡な場面場面は数限りなくあった。私たちはそれを知っている。校長先生は卒業生に立派なはなむけを書き、高校球児は気迫溢れる選手宣誓をものし、中学生は声涙下る卒業生の答辞を読んだ。

残念ながら、そうした言葉と態度の変化を管民主党政権の面々に見ることはなかった。人間的な成長どころか、政治家としての前進すら見受けられなかった。もちろん、寡聞にして私が知らない、ということはあるだろう。人の内面やその働きを軽々に臆断すべきでないのは、大人の常識である。

それでもここまではっきりと、これ以下を思いつかない卑劣と愚劣を見せつけられれば、少なくとも北沢・枝野の二人は、3月11日に、自らの責任と義務を理解していなかったし、その47日後も相変わらず理解していない、といわざるを得ない。これほどの困難に直面してなお理解しないならば、470日後も、4700日後も理解していないだろう。

しかし、かねて自民政権を熱望する産経新聞、「枝野氏ら」と肩書きすら付けないのは、菅内閣総辞職の「新聞辞令」か。

(敬称は付けたくない)

ぶちょお、ごむりをなさらないで

2011-04-27 01:17:00 | 3・11大震災
フクシマ・トーデンで一躍有名になった武田邦彦さんのブログから。

外人は来ない保安院・東電の会見
http://takedanet.com/2011/04/post_3a50.html

外国の記者を相手にした保安院と東電の会見には、最近、記者1人、説明側10人ということが続いたが、4月25日、ついに誰も記者は来なかった。

無人の記者席に向かって、「誰もいないのに」説明をするという非人間的なことをする保安院の役人の姿が印象的だった。

海外では福島原発の事故についての関心は強い.関心が強いので、保安院や東電の記者会見に出ても、ウソを教えられるので、聞いても意味が無いのだ。

日本人として哀しい。

日本人の記者会見は相変わらず盛況だ. 事実と違うことを聞いても政府の言うことなら「黒も白」なのだろう。




3.11とフクシマ・トーデンについては、主要な海外メディアはトップ記事扱いの報道体制を敷いてきたわけだが、これは知らなかった。驚きました。海外メディアの取材ボイコットとしか思えないが、もちろん、日本のメディア批判につながるような「ニューズ」については、日本の記者クラブが「取材ボイコット」するので、日本の新聞やTVの記事になることはありません。



GW明けにも管退陣が取りざたされている。1961年1月、アイゼンハワー大統領がその離任演説のなかで、「軍産複合体の脅威」について訴えたように、政官産学マスコミがつくる「原子力複合体の脅威」について、菅首相が触れることは、ないわな。アイゼンハワー演説の「軍産複合体」と置換して、ほぼ同様なのだが。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=129920

こうした大規模な軍事組織と巨大な軍需産業との結合という現象は、アメリカ史上かつてなかったものである。その全面的な影響力・・・経済的な政治的なさらには精神的な影響力までもが、あらゆる都市に、あらゆる州政府に、連邦政府のあらゆる官庁に認められる。我々としては、このような事態の進展をいかんとも避けられないものであることはよく解っている。だが、その恐るべき意味合いを理解しておくことを怠ってはならない。

・・・・政府部内の色々な会議で、この軍産複合体が、意識的にであれ無意識的にであれ、不当な勢力を獲得しないよう、我々としては警戒していなければならない。この勢力が誤って擡頭(=台頭)し、破滅的な力をふるう可能性は、現に存在しているし、将来も存続し続けるであろう。

 この軍産複合体の勢力をして、わが国民の自由や、民主的な過程を危殆ならしめることがあってはならない。・・・・警戒心を怠らぬ分別ある市民のみが、この国防上の巨大な産業と軍事の機構をして、わが国の平和的な手段と目的とに合致せしめ、安全と自由とを共に栄えしめることが出来るのである。


日本における原子力発電所は、日本の核兵器開発能力を担保する、ある意味で軍産複合体でもあるから、算盤は度外視され、危険視は想定内とされ、無理に無理を重ねても、やはり継続されていくのだろう。



最近、缶コーヒー「BOSS」の「宇宙人ジョーンズ」CMが放映されないが、代わって、「部長、ご無理をなさらないで」が流れている。こんなCMである。

高層ビルのガラス張りのオフィス、ビル群の夜景を前に佇むエリート。少し離れて、髪の長い清楚な美人秘書か部下が立ち、そしてつぶやく。
「部長、ご無理をなさらないで。といっても無理ですよね」
・・・・・缶コーヒーBOSS 


宇宙人ジョーンズが日本の下層労働者に扮して、その規律の高さを再発見するという「日本特殊論」を展開してきたのに対し、「部長、ご無理をなさらないで」では、日本の上部構造の臆面もないナルシズムを開陳している。

(はあ~、俺もあんな風に、髪の長い美人秘書から潤んだ瞳で、ご無理をなさらないで、とかいわれたかったなあ)と呆けた顔で見入っていたのだろう。気がつけば、猫が心底バカにしきった眼つきで俺を見ていた。

フクシマ・トーデンを引き起こした日本の「原子力複合体」のエリートたちも、「ぶちょお、ごむりをなさらないで」という部課のセクショナリズムに溺れ、国策を推進するというナルシズムに呆けていたのではないか。

(敬称略)