コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

励まし

2002-04-26 20:10:00 | ダイアローグ
「おつかれさま」といつも分け隔てなく声を掛けてくれる時給850円のキオスクのおばさんから夕刊紙と煙草を求めてから、尿意を催したので駅のトイレに行くと折悪しく時給650円の掃除婦が清掃中の標識を出したところだったので、しばらく待たされるのを覚悟してハキハキと正確に注文を繰り返す時給750~1050円の女の子がいる居酒屋でいっぱいやっていこうかと考えたり、それとも洋菓子店に寄って可愛いエプロン姿の時給750円の店員からチーズケーキとシュークリームを買って帰り、時給800円で近所のスーパーでレジを打って家計を支えてくれる妻と分け合うのも悪くないと思い直したり、しかし期間中割引クーポン券は妻が持っていることに気づいたので白いクリームが妻の唇で輝く光景は萎んでしまい、ボクサーのように軽やかなステップを踏んで台をめぐる時給900円の従業員がいる駅前のパチンコ店でひと稼ぎできないものかと思案をめぐらしていると、時給2500円の塾講師の説得力ある試験対策に眼を輝かせた時給1500円以上をめざす塾帰りの小学生の集団が駆けてきたのにぶつかりそうになって、子どもが手に持った時給1000円のハンバーガー店のマネージャーから渡された時給800円の女子工員が生産したフライドポテトの香ばしい油が、時給100円の中国娘が縫製した私の一張羅の春物スーツにつきやしないかとあわてて身をかわしたのに、時給1200円のプログラマーがサービス残業してつくったテレビゲームの話に夢中な子どもらには私などまるで眼中になかったようで、その元気な後ろ姿を見ているうちにパチンコで時給5000円を手にする計画が大胆すぎるように思えてきたところに、「おまちどうさま」という掃除婦の声に促されて彼女の時給3000円以上に相当する完璧に施された仕事のおかげで光輝いた陶器に放尿してから、時給650~2000円くらいの乗客たちと急行電車を待つ列に並び時給300円くらいでホームのゴミ箱から捨てられたマンガ雑誌を集めるホームレスを眼の端で追い、車中では隣り合わせた茶髪娘のルイ・ヴィトンのバックが彼女の時給の何時間分かを計算してその健気さに心打たれちょっと鼻がツンとしていると、自宅のある最寄り駅に着いたことに気づき時給2000円のキャバクラ嬢がポーズを取る写真に眼を吸い寄せられながらも、今日は失業保険の支給日で少し懐が暖かかったのに夕刊紙を買う以外の無駄遣いをしなかったことに満足して、時給2500円くらいは払ってもいいと思える夕暮れの心地よい風に頬を撫でられてふと立ち止まり、職業に貴賤はない、ただ時給が違うだけなんだ、と誰かの励ます声を聞いた。

(4/26/02)

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目玉つながりのおまわりさん

2002-04-20 20:04:08 | ダイアローグ
手を出してみろ
といわれて
掌を差し出したら
乞食野郎と叩かれた

舌を出してみろ
といわれて
嘘がつけるようになった
耳を貸せといわれて
ひどい嘘を信じた
足下を見ろ
といわれて
倒れている人をまたいだ

鼻を効かせろ
といわれて
匂いを失くしたのに
喋るな
といわれて
息が臭いことを知った
まだ生きているのに
少し驚いた

目を開けろ
といわれて
眼球の傷が動くのを
追いかけた
笑えといわれても
前歯がないから
小さな声が洩れただけ
下唇で涙を受けた

いちばんみっともないのは泣き笑いだ
いちばんみっともないのは泣き笑いだ
いちばんみっともないのは泣き笑いだ

僕はそういってのけられる
僕はそういってのけられる
僕はそういってのけられる

(4/20/02)
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名もない時代の名もない国で

2002-04-14 20:00:00 | ダイアローグ
聞いたこともない町で
Yシャツの裾を出して
靴をスリッパのように履き潰した少年たちが
宿無しの読書人を
学習塾の行き帰りに殴り殺したとき
宿無し仲間は隣のテントで膝を抱えて震えていた
「謝れ!謝れ!」
という叫びとくぐもった呻き声を聞きながら

図書館で注意して先に手を出したのは
宿無しの読書人だったが
詫びの言葉はけっして口にしなかった
私たちは予期せぬときに意外な人から
人間の矜持の所在を知る
死に至る拷問に耐えたおかげで
宿無しの読書人は失った名前を取り戻し
被害者と呼ばれることになった

痩せ老いた女が玄関先で
新聞店の若者から
中途解約するなら
ビール券5枚の返却を
と迫られている
新聞を読まぬ老女は
まだ葬式も挙げていない
亡夫の署名を愚痴る
私たちの貧しさは
たいてい契約書に書かれている

桜が散り花水木が咲く
見知らぬ舗道を
私の名前が記された
調書や契約書を探して歩く
聞き覚えのある着信音が
私を呼んだ
涙ぐむほど嬉しくなって
見覚えのない電話番号に
かけ直した
相手が名前を呼んでくれるのを
たがいに息をつめて待った

(4/14/02)


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練習

2002-04-05 23:12:50 | ダイアローグ
気がつくと私ひとりがぼんやりと
バーボンソーダの発泡を眺めている
誰の顔も輝いているというのに私ときたら
里子に出された子どものよう
気遣ってくれて何か尋ねられても
頭がよくない私には何のことかわからない
膝を進めてくる真剣そうな独白も
曖昧に頷いてぎこちなく微笑んだ後
笑ってはいけなかったのかしらと唇を噛む
興味を失ってくれるよう瞳を伏せながら
なのにどこかの会話に入れないものかと
猫のように耳を立て犬のように見えない尾を振り
台本にはないはずの私の名前を探している
コースは全部食べてデザートも出てきた
ワインを飲みたいけれど暗くて
メニューが読みにくいしキャンドルは遠い
少しも酔っていないのはもったいない
帰り支度の人たちの間で立ったり座ったり
いちばん最後にエレベーターに乗ったおかげで
いちばん最初に吐き出され会釈して歩き出している
立ち止まる理由は見つからないし呼び止める声もない
来なきゃよかったのにといつも思うのに
どうして来たかったのだろうといつも思う
別れ際だけでも笑って手くらい振ればよかったと
コートのポケットの中でちょっと練習してみる

(4/5/02)


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