コタツ評論

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俺の中の殺し屋

2006-01-06 14:16:00 | ブックオフ本
JG・バラードの『コカイン・ナイト』をちびちび惜しみ惜しみ読むために、併読できそうななるべく脳天気なミステリを探して、本屋の棚からジム・トンプスン『俺の中の殺し屋』(扶桑社文庫 800円)を手に取った。知らない作家だったが、パラパラとしてみたら読み易そうと、それから一気通貫! スティーブン・キングの解説読むまで、この犯罪小説が50余年も前に書かれたものとはまったく思いもしなかった。ましてや、「『モビーディック』」や『ハックルベリィ・フィンの冒険』や『日はまた昇る』と並ぶアメリカ文学の傑作」(S・キング)とも。だが、なるほど、主人公の保安官助手ルウ・フォードが揶揄する、「ずいぶん本は読んだけれど、ここが見せ場というところに来ると作者は必ず頭に血が上ってしまうようだ。句読点がおろそかになってきて、やみくもに言葉を羅列して、瞬く星が深い夢のない海に沈んでいくなどという戯言を並べ出す。そして、主人公が女と寝ているのか土台石と寝ているのかも、はっきりしなくなる。どうやらその手の駄文がとても奥深い内容のものとみなされているらしい-見たところ、書評家の多くがそれを真に受けているみたいだ。だが、俺に言わせれば、作者はひどい怠け者で自分の仕事をまともにこなしていない。おれは、ほかのことはどうあれ、怠け者ではない。だから、すべてを話すことにする」といった気取った虚仮脅かしは前出の3作にはない。それどころか、たぶん、『俺の中の殺し屋』はダーティワードだらけなのだろう。40~50年代に大量生産された書き飛ばし読み捨てのペーパーバックの1冊としてこの作品が生まれ、ジム・トンプスンが死後再評価されたことなど、キングの解説が詳しい。本屋に戻ってジム・トンプスンの在庫を調べて貰ったら、『内なる殺人者』というのが90年代に出ているから、これが新訳で最近刊行されたようだ。セクシャルな対象として女性を描くのが苦手(?)なのか、自作では恋愛を描くのを避けているように思えるキングが、解説ではまったく触れなかった主人公のルウ・フォードを愛する女二人について。

ここから先はあらすじに触れるので未読の人は読まないように。



娼婦ジョイス・レイクランドと名家の許嫁エイミー・スタントンの二人ともルウの手によって悲惨な運命を辿るのだが、死ぬまでルウを愛し、なんと死んだ(傍点強調)後も愛し続けるのだ。よよと縋りつく女では2人ともない。ジョイスとの宿命的な出逢いの強烈さ。初対面でルウとジョイスは殴り合うのだ。自らの運命を悟っているかのようなエイミーの最後の悲痛な手紙。ひどい駄文でありながら、詩的なまでに昇華された愛情の吐露。愛するとは女だけに許された特権のようにさえ思える。望まぬのに人殺しの道を歩き続けるルウの言動の不条理には神性すら漂い、最後の1行までルウは供笑し続ける。奇跡のような小説だ。ジュンク堂あたりで既刊を探さねば。

正月は笑月番組が多いが

2006-01-03 14:17:15 | ノンジャンル
唯一芸人らしい芸人は綾小路きみまろだけだった。
同じ番組(エヌエッチケ)で柳家小三治の「お初天神」を触りだけ。ほろっとさせて相変わらず。バカは吉本の仁鶴以上にエラの張った漫才師。正月生中継だというのに、「今年は新しい商売やろうと思うねん」「ほお、なんでんな」「葬儀屋」「またどうして」「団塊の世代がぎょうさん退職してやがてみな死による、おお儲けや」中略、「棺桶は松竹梅とあります」中略「松は総檜づくりで」「竹は竹で編んであるから少し死臭が」、以下割愛、どこがお笑いだ。野暮を通り越して下司下郎である。「さんまのまんま」も酷かった。タレントが後輩を従えてキャバクラで女の子を前にヨイショされている図が延々。吉本という夜郎自大は社会悪だな。TVにあの下品な関西弁が垂れ流される度に、関西への差別意識を新たにする。方言が地方語が実は美しい響きを持ったかけがえのない文化であること完膚無きまでに覆してくれる。日本から独立してくれんもんか、関西と呼ばれる後進地域は。頼むから。