映画「終着駅~トルストイ最後の旅」より
トルストイ没後100年だそうです。21日(日)の毎日新聞書評欄は、トルストイ特集でした。作家・辻原登がトルストイを絶賛しています。「人間業を超えた言語表現の到達点」という見出しに、「あたかも神が書いたかのよう」と追い打ちをかけるのだからすごい。トルストイと並び称される文豪のドストエフスキーやチェーホフも、トルストイの人間と小説に憧れ、文学の神にように思っていたそうです。
『アンナ・カレーニナ』や『戦争と平和』『幼年時代』『クロイツェル・ソナタ』など、トルストイの傑作群に触れたことがない人は、最高の文学や小説を読んでいない、とまでは書いていないが、そう読めてしまいます。残念ながら、トルストイは読んだことがありません。しかし、書評はこうでなくちゃいけません。そういえば、ドストエフスキーやチェーホフもほとんど読んでいないのですが、トルストイがロシア帝国に抵抗するチェチェン人討伐軍に兵士として加わった経験から書いたという、『ハジ・ムラート』は読んでみたい気になりました。辻原登はこう紹介しています。
文章の正確さ、簡潔さは比類ない。
ラストはたった一行だが、その衝撃
力はすべての小説のラストを色褪せ
させる。
でも、私は評価の定まった古典や過去の傑作よりも、読み捨てられる同時代の本を読みたいほうです。もしいま、あなたの財布に数枚の野口英世が残っていたなら、書店に入り文庫本の棚を探し、創元推理文庫のコーナーを見つけ、背表紙に「フロスト」というタイトルが眼に入ったなら、迷わず買いましょう。読み出したら、止められず、業務上過失を引き起こす可能性大です。以下が、刊行順ですが、私も未読の4を買いに走ろうと思っています。
1.『クリスマスのフロスト Frost at Chiristmas』
(R・D・ウイングフィールド 芹澤 恵 訳 1984)
2.『フロスト日和 A Touch of Frost』(同 1987)
3.『夜のフロスト Night Frost』(同 1992)
4.『フロスト気質 上下 Hard Frost』(同 2008)
3、までは、いずれの作品も、年末恒例の各誌ミステリベスト10の一位を占めたそうで、少し検索すれば、おもしろかった評はいくらでも見つけられますから、ここでは多くを語る必要はないでしょう。
ただ、私がこの「フロスト警部」シリーズを気に入った点をいくつか上げるとすれば、まず、物語が「翌日」や「翌朝」で進んでいくことです。いわゆる「探偵小説」の場合、「それから、一週間が過ぎて」とか「三か月が経とうとしていた」などという記述は、間延びするだけでなく、経過をはしょっているわけで、とてもフェアとはいえません。
「3年後」などは論外ですが、小説が「文学」に色目を遣うときに、時間や時制を複雑にすることで、何か歴史的に書きたくなるのでしょう。「もったいぶってからに」と思ってしまいます。たしか、筒井康隆の短編小説に、「それから12世紀が過ぎ」などと、物語の時間が世紀単位で跳ぶというのがあって、人類滅亡後、生き残った人々がどんどん退化していく暗黒な物語なのに、笑ってしまいました。
人類滅亡後といえば、『ザ・ロード』(コーマック・マッカーシー ハヤカワ文庫)を読んでいるのですが、以下のような場面があります。廃墟となった世界を南に歩く旅を続ける父子が、寒さに震えながら乏しい食料を分け合う場面です。
彼のナップサックのポケットに見つけた小分け袋半分の最後のココアを少年のカップで湯に溶かし自分のカップには湯だけ注いでふうふう息を吹きかけた。
それはしないって約束だったでしょ、と少年がいった。
えっ‥
わかってるはずだよ、パパ。
彼は湯を鍋に戻して少年からカップを受けとりココアをいくらか自分のカップに移してから少年にカップを返した。
油断もすきもないんだから、と少年はいった。
そうだな。
ちっちゃな約束を破る人はおっきな約束を破るようになる。パパがそういったんだ。
「それはしないって約束だったでしょ」で、ハナ肇とザ・ピーナッツの有名なギャグを思い出し、笑ってしまいました(はたして翻訳者は、このギャグを知っていたのか気になりました)。
閑話休題。「フロスト警部」シリーズでは、「翌日」や「翌朝」といった同時進行なので、通勤時間や昼休みなど、ちょっとした合間を見つけ、栞をはさみながら読むという、こちらの生活時間にも同調するわけです。なぜ、「翌日」や「翌朝」といった進行になるかといえば、フロスト警部が昼夜を分かたず猛烈に捜査するからです。
そのフロスト警部の視点と、フロスト警部と嫌々ながら組まされる新人の「坊や」刑事が、フロスト警部の挙動を観察する視点だけでしか語られないというのも、わかりやすさくフェアであると思います。犯人や容疑者、被害者などに視点が移動したり、その心理描写に費やされることがほとんどないので、頁を読み返す煩わしさがなく、フロスト警部や「坊や」に感情移入したままで、どんどん読めます。
また、「フロスト警部」が走り回る舞台が、ロンドン郊外都市デントンということで、平均と平均以下のイギリス人の暮らし向きがよくわかります。やはり、雨ばかり降って寒く部屋は冷え込み、食材は乏しく料理は不味く、意地悪くケチな老人が多いようですが、まるでそれらが自慢でもあるかのように繰り返し語って飽きません。
また、主要な登場人物中、女はほとんど悪女か売女かバカですが、少女が出てくるのがアメリカの「探偵小説」とは違っています。「聖少女」ではなく、色欲の対象として出てきて、尋問しながら、フロスト警部は欲情したりします。バニーガールのようなお色気女しか出てこないアメリカに比べ、イギリスでは女性の範疇が広いことがわかります。それだけ、アメリカより変態性が高く、より「民主的」な社会に思えます。
「浣腸は好きかい?」と後ろから指で突いて同僚を驚かすという、ケーシー高峰のようなエログロ下品な冗談を好み、コロンボ警部よりみすぼらしく不潔な身なりで、ブラック会社の営業奴隷のようにしつこく他人の家のドアを叩いてまわり、書類仕事には野良猫のように無能で怠け者の癖に、月明かりに照らされた泥中のスッポンのように手がかりに噛みついたら放さない、メチャクチャなフロスト警部にゾッコン参ること請け合います。かといって、フロスト警部が俗悪なアンチヒーローというのではありません。「襤褸は着てても、心は錦」なのです。
(敬称略)