コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

ザ・ロード

2010-11-29 01:10:00 | ブックオフ本


いまが男の色気の旬というべき、ヴィゴ・モーテンセン主演で映画化されているが、まだDVDレンタルには下りてきていない。世界が終わった後、南へ旅する父子の陰鬱な「ロード・ムービー」なのだろう。人類の文明だけでなく、自然が破壊されてしまい、人間のほとんどだけでなく、動植物昆虫すべてが「死んだ」、冷たい雨が降りしきるアメリカ大陸を飢えたまま歩くのだから、痩身に蒼ざめた顔のヴィゴ・モーテンセンは適役だろう。将来を嘱望されながら、出はじめは、そのニヒルな表情から、2流映画でキチガイ殺人鬼ばかり演っていたのに、哀しみの横顔が似合う特異なスター俳優になった。ただし、監督は、とても一流の作品を作ってきたとはいえないので、CGを多用する悪い意味で絵画的な映画になっていないかと、ちょっと気になる。

『ザ・ロード』(コーマック・マッカーシー ハヤカワepi文庫)

原作では、父子には名前がない。一人の老人を除いて、出てくる人々に名前がないから、神話的・寓話的な作品であることがわかる。何のために、父子は南へ苦しく危険な旅を続けるのか。「火を運ぶため」とされる。もちろん、父が幼い息子の「なぜ?」という問いに苦しまぎれに答えたものだが、やがて父自身もそれを信じることになる。死んだ世界と人間ではなくなった者たちの狭間で交わされる、父子の会話が夢のように美しい。あらゆる審級が無効になった世界で、世界が世界と呼べず、人間が人間と名乗れなくなっているのに、息子は父を見上げて問う。「僕たちは、善い人だよね?」。生き残るため、息子を守るため、非情な決断と闘いを強いられ、善い行いに背を向ける父に、少年は涙する。神がいなくても、善い人と善い行いはあるでしょ? 繰り返される少年の問いかけに、少しも苛立たなくなっている自分を発見する小説だ。

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(敬称略)

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野口英世が財布にいたなら

2010-11-28 02:26:00 | ブックオフ本


映画「終着駅~トルストイ最後の旅」より

トルストイ没後100年だそうです。21日(日)の毎日新聞書評欄は、トルストイ特集でした。作家・辻原登がトルストイを絶賛しています。「人間業を超えた言語表現の到達点」という見出しに、「あたかも神が書いたかのよう」と追い打ちをかけるのだからすごい。トルストイと並び称される文豪のドストエフスキーやチェーホフも、トルストイの人間と小説に憧れ、文学の神にように思っていたそうです。

『アンナ・カレーニナ』や『戦争と平和』『幼年時代』『クロイツェル・ソナタ』など、トルストイの傑作群に触れたことがない人は、最高の文学や小説を読んでいない、とまでは書いていないが、そう読めてしまいます。残念ながら、トルストイは読んだことがありません。しかし、書評はこうでなくちゃいけません。そういえば、ドストエフスキーやチェーホフもほとんど読んでいないのですが、トルストイがロシア帝国に抵抗するチェチェン人討伐軍に兵士として加わった経験から書いたという、『ハジ・ムラート』は読んでみたい気になりました。辻原登はこう紹介しています。

 文章の正確さ、簡潔さは比類ない。
ラストはたった一行だが、その衝撃
力はすべての小説のラストを色褪せ
させる。


でも、私は評価の定まった古典や過去の傑作よりも、読み捨てられる同時代の本を読みたいほうです。もしいま、あなたの財布に数枚の野口英世が残っていたなら、書店に入り文庫本の棚を探し、創元推理文庫のコーナーを見つけ、背表紙に「フロスト」というタイトルが眼に入ったなら、迷わず買いましょう。読み出したら、止められず、業務上過失を引き起こす可能性大です。以下が、刊行順ですが、私も未読の4を買いに走ろうと思っています。

1.『クリスマスのフロスト Frost at Chiristmas』
(R・D・ウイングフィールド 芹澤 恵 訳 1984)
2.『フロスト日和 A Touch of Frost』(同 1987)
3.『夜のフロスト Night Frost』(同 1992)
4.『フロスト気質 上下 Hard Frost』(同 2008)




3、までは、いずれの作品も、年末恒例の各誌ミステリベスト10の一位を占めたそうで、少し検索すれば、おもしろかった評はいくらでも見つけられますから、ここでは多くを語る必要はないでしょう。

ただ、私がこの「フロスト警部」シリーズを気に入った点をいくつか上げるとすれば、まず、物語が「翌日」や「翌朝」で進んでいくことです。いわゆる「探偵小説」の場合、「それから、一週間が過ぎて」とか「三か月が経とうとしていた」などという記述は、間延びするだけでなく、経過をはしょっているわけで、とてもフェアとはいえません。

「3年後」などは論外ですが、小説が「文学」に色目を遣うときに、時間や時制を複雑にすることで、何か歴史的に書きたくなるのでしょう。「もったいぶってからに」と思ってしまいます。たしか、筒井康隆の短編小説に、「それから12世紀が過ぎ」などと、物語の時間が世紀単位で跳ぶというのがあって、人類滅亡後、生き残った人々がどんどん退化していく暗黒な物語なのに、笑ってしまいました。

人類滅亡後といえば、『ザ・ロード』(コーマック・マッカーシー ハヤカワ文庫)を読んでいるのですが、以下のような場面があります。廃墟となった世界を南に歩く旅を続ける父子が、寒さに震えながら乏しい食料を分け合う場面です。

彼のナップサックのポケットに見つけた小分け袋半分の最後のココアを少年のカップで湯に溶かし自分のカップには湯だけ注いでふうふう息を吹きかけた。
 それはしないって約束だったでしょ、と少年がいった。
 えっ‥
 わかってるはずだよ、パパ。
彼は湯を鍋に戻して少年からカップを受けとりココアをいくらか自分のカップに移してから少年にカップを返した。
 油断もすきもないんだから、と少年はいった。
 そうだな。
 ちっちゃな約束を破る人はおっきな約束を破るようになる。パパがそういったんだ。


「それはしないって約束だったでしょ」で、ハナ肇とザ・ピーナッツの有名なギャグを思い出し、笑ってしまいました(はたして翻訳者は、このギャグを知っていたのか気になりました)。

閑話休題。「フロスト警部」シリーズでは、「翌日」や「翌朝」といった同時進行なので、通勤時間や昼休みなど、ちょっとした合間を見つけ、栞をはさみながら読むという、こちらの生活時間にも同調するわけです。なぜ、「翌日」や「翌朝」といった進行になるかといえば、フロスト警部が昼夜を分かたず猛烈に捜査するからです。

そのフロスト警部の視点と、フロスト警部と嫌々ながら組まされる新人の「坊や」刑事が、フロスト警部の挙動を観察する視点だけでしか語られないというのも、わかりやすさくフェアであると思います。犯人や容疑者、被害者などに視点が移動したり、その心理描写に費やされることがほとんどないので、頁を読み返す煩わしさがなく、フロスト警部や「坊や」に感情移入したままで、どんどん読めます。

また、「フロスト警部」が走り回る舞台が、ロンドン郊外都市デントンということで、平均と平均以下のイギリス人の暮らし向きがよくわかります。やはり、雨ばかり降って寒く部屋は冷え込み、食材は乏しく料理は不味く、意地悪くケチな老人が多いようですが、まるでそれらが自慢でもあるかのように繰り返し語って飽きません。

また、主要な登場人物中、女はほとんど悪女か売女かバカですが、少女が出てくるのがアメリカの「探偵小説」とは違っています。「聖少女」ではなく、色欲の対象として出てきて、尋問しながら、フロスト警部は欲情したりします。バニーガールのようなお色気女しか出てこないアメリカに比べ、イギリスでは女性の範疇が広いことがわかります。それだけ、アメリカより変態性が高く、より「民主的」な社会に思えます。

「浣腸は好きかい?」と後ろから指で突いて同僚を驚かすという、ケーシー高峰のようなエログロ下品な冗談を好み、コロンボ警部よりみすぼらしく不潔な身なりで、ブラック会社の営業奴隷のようにしつこく他人の家のドアを叩いてまわり、書類仕事には野良猫のように無能で怠け者の癖に、月明かりに照らされた泥中のスッポンのように手がかりに噛みついたら放さない、メチャクチャなフロスト警部にゾッコン参ること請け合います。かといって、フロスト警部が俗悪なアンチヒーローというのではありません。「襤褸は着てても、心は錦」なのです。 

(敬称略)






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ソルト

2010-11-28 00:52:00 | レンタルDVD映画


アンジェリーナ姐さん、快調ですね。「ダイハード」と「スパイダーマン」と「ターミネーター」を足して5で割り、ピンヒールを履かしたようなノンストップ・アクション映画です。アクションといってもかなりがCGでしょうが、やはりジョリー姐さんの身体の切れがすばらしい。CGならなんとでもできると思うのは、素人の浅草雷門電気ブラン。

たとえば、一人閉じこめられたCIAの取調室から脱出する場面。マジックのようにすばやく、タイトスカートから黒のパンティを下ろし、監視カメラにかぶせて視界をさえぎるまで、ワンシーンで映します。鶴のように片脚で立った足首から、パンティを抜く姿態の決まっていること。もし、世界最速パンティ脱ぎコンテストが催されれば、ジョリー姐さんが優勝間違いなしですね。アクションとは、何も殴る蹴る跳ぶだけでのことではありません。

ジェームズ・コバーンなど、歩幅の広い歩き姿だけでうっとりさせました。スティーブ・マックィーンは、少し顔を背けたときに、次なるパンチを予感させました。チャールズ・ブロンソンは、長く持て余したような肩から腕だけの線で、たわめた腕力とユーモアを漂わせました。

アンジェリーナ・ジョリーはその特徴ある唇と大きなブルーの瞳が連動するとき、まことにアクショナブル(そんな言葉はないが)。「そんなバカな」「なんというデタラメ」が連続するストーリーですが、アンジェリーナ姐さん観てるだけで楽しい。ソルト=SALT=塩。何か意味があるのか。映画を観てもわからなかったですが。


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お似合いですね(ハート)

2010-11-20 00:33:00 | ノンジャンル
「暴力装置」という言葉に、マックス・ウェーバーを持ちだすのは、無知か嘘つきである。仙石官房長官は、「ウェーバーを勉強し直したい」といったそうだが、レーニンの言葉として知ったに決まっているから、この場合は嘘つきだろうね。あるいは軍隊や警察が「暴力装置」なのは当たり前だ、と一般論に持っていこうとする向きは、無知なるがゆえだね。レーニンは、「国家権力の本質は暴力装置」といっているのだから、軍隊や警察一般への言及ではないのは明らか。柳田法相を問責だの罷免だのと騒いでいるが、冗談でいったことに目くじら立てるほうがどうかしている。柳田法相も冗談ですよと笑殺すればいいものを。「なんにも専務です」と自己紹介したら、取締役会や株主総会で解任するのかね。民主党の体たらくをかばおうとは微塵も思わないが、攻める自民党も批判するマスコミも、程度が低すぎる。我々に、似合いの政治家とマスコミなのだから、しかたがないが。
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わたしゃあなたのそばがよい

2010-11-17 02:34:00 | 音楽
新蕎麦を食す。関西人は我々のように、新蕎麦の季節になると、ちょっと心躍らせるということがないのだろう。そもそも香り高い新そばの違いがわからないだろう。気の毒に。



Johnny Hartman と John Coltrane
「 My one and only love」(コタツ訳 わたしゃあなたのそばがよい)。
でもね、ジャズを流す蕎麦屋や焼き肉屋というのは、イモでヤだね。

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