サンデー毎日連載のマンガエッセイを収録。帯はないがあったとすれば、その惹句は「ド下手漫画家サイバラ先生のお下劣な日常」ってなところか。「どてがかゆい!」(これはさすがにサン毎は載せなかったろうが)などは無比だろう。そのなかでは異色の2篇。車に轢かれて死んだ猫を哀悼した「コプルちゃんが死んだ」と、工事現場の杭打ち機が横転事故を起こしたアパートに住み亡くなった美術予備校時代の同期生が、新聞記事で「フリーアルバイター」と掲載されたことを悔んだ「死んだのは一人の芸術家でした」。「コプルちゃん」は猫を飼ったことのある人間なら誰もが味わう悲哀である。同様なものとして、犬を飼ったことのある人間なら「ママ犬を飼う」のバカ犬ジョンに遠い眼差しになるだろう。畏敬する友だちがいた人間なら、「死んだのは一人の」に失った嘆く心を思い出すだろう。26歳という若さで死んだ友だちについて書くことに逡巡したとあるから、エロ漫画誌や実話雑誌ではなくサンデー毎日の読者向けにウケを狙ったと半ば告白しているようなものだ。そうした多重なサイバラのメタ世界は、苦労話と自虐ネタで笑わせ泣かせの関西の伝統的な夫婦漫才に似て、庄司敏江を懐かしく思い出した(その後、サイバラはアル中の売れないカメラマンと結婚して、本当に夫婦漫才を展開する)。で、いったい何がいいたいかというと、文豪・野坂昭如は、彼の代表作であり名作とされる「火垂るの墓」を最近になって、ウケを狙ったやっつけ仕事だったと告白している。サイバラ先生も週刊誌連載のしんどさから同様だったのだろうが、野坂くらい数10年間も黙って自らの恥辱を噛みしめていないと文豪にはなれないぞと。あ、もう時間だ。
実効支配しているから、国際法上ではそうなる。尖閣列島もいずれ中国のもの、いま実効支配しつつあるから。北方4島は還ってこない、当然のことだ。ただし、竹島、尖閣列島、北方4島の開発に日本が資金援助をすることは許される。というか強要されるだろう。固有の領土を強奪されて、おまけに莫大な金まで取られる。「泥棒に追銭」とは、この場合誰もいわない。日本では、「日中韓露の新時代」と名づけられよう。 胡錦濤や盧武鉉、プーチンたちとにこやかに居並び、これら次代の「超国家プロジェクト」に参加を表明する日本国首相の「外交的成果」は国民によって高く評価されるだろう。政治評論家は先回りして、「名より実をとった」と上目づかいをするだろう。あるいは、「脱アメリカ外交の一歩」と快哉する有識者も出てくるかもしれない。レコンキスタ(失地回復)を叫ぶ者は拝外主義者、と眉を顰められるだろう。ユダヤ人のように日本人も「世界へ溶解していく道」を選ぶべきだという提言も行われるだろう。ピースボート艦隊を編成して、「世界巡礼の旅」も組織されよう。彼らは「彷徨える日本人」と呼ばれるだろう。数百年後、かつて日本の聖地であった靖国神社を含む関東ローム層に新国家「ニッポン」が創設されるだろう。長年、この地で暮らしてきた朝鮮人や中国人たちの激しい抵抗運動に「ニッポン」は苦しむだろう。
フォーゴットン」が30分番組だった「ミステリーゾーン」一話分のアイディアだったにはがっかりしたね。わたしゃ、すぐに後に放映された「アウターリミッツ」の不吉な未来形が好きだった。映画になったときはすかさずビデオを借りて観たが、「昔の人は偉かったなあ」と再確認しただけだった。人類の英知とか科学技術の進歩なんて出口を、端から信じていないSFばかりだった。誰からかわからぬプレゼントの箱を覗くと砂漠にロボットみたいな機械人形が立っていて、いつのまにかそこに自分が閉じこめられている悪夢のような一編なんていまでも覚えている。たしかに、鉄腕アトムや鉄人28号は僕たちをワクワクさせた。現代なら、R2D2やエイリアンもいいだろう。でも、子どもの情操にだって、不吉な未来や不条理な人間心理は必要なんだ。「ミステリーゾーン」や「アウターリミッツ」が「2001年宇宙の旅」や「ブレードランナー」のようなアイディアと世界観の作品を連発していたことは覚えておくべきだ。よって、私はSF「三丁目の夕日」に断固異議を唱え、宮崎駿作品批判に同感するのである!(前者は観てないし、後者もあまり観てないけど)。ついでに、日本のマンガが世界性を獲得したとかいう提灯にも。たぶん、手塚治虫たちは貪るようにアメリカのSFを読み、こうした映画やTVを観ていたはずだから。