コタツ評論

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向島異聞

2015-07-24 22:07:00 | 音楽
たぶん、ブラジルのリオやインドのムンバイより、日本の東京が暑い。だって、ブラジル人やインド人、おまけにタイ人やベトナム人も、「アッチュイデスネエ」と根を上げています。そうそう、涼しい曲を探して今夜もボサノバ特集です。

さて、その日本でいちばん暑いところはどこでしょうか? 埼玉県熊谷市? たしかにいつも最高気温をつけますが、違います。広島県の向島というところです。東京には向島(むこうじま)という下町がありますが、広島県のは「むかいしま」と読みます。地元の人間は、広島弁訛りで「むきゃあしま」と呼びます。

尾道の対岸に位置する瀬戸内海の小島です。しまなみ海道が通じて車でも歩いても渡れますが、いまでも小型の連絡船や渡船が通っています。日立造船をはじめ造船所のドックで成り立つ島で、漁業の他にはミカンと麦とサツマ芋を産します。

この向島の暑さときたら、かつて小津安二郎監督のロケ隊が「東京物語」の撮影で滞在した折り、「二度と来たくない!」と逃げるように帰ったというほどです。

映画のロケ隊というものは、地獄へ行けば脱衣婆を踊らせて酒盛りし、天国へ行けば天使の裾をまくって悲鳴を上げさせるような傍若無人に服を着せて帽子をかぶせたような人々です。暑さ寒さなど、ロケの艱難辛苦のなかでは、前奏曲くらいにしか思っていません。

映画「八甲田山」の雪中遭難シーンではじっさいに遭難しかけたそうですが、寒さはたしかに人命に関わりますが、暑くて死ぬ人間はめったにいないわけです。最近は、熱中症で亡くなる人も少なくありませんが、映画屋の感覚では極寒ならともかく炎暑に根を上げるなど、「バカいってんじゃねえよ」ってなもんです。そのロケ隊が降参したのです。

向島の暑さは、その自然条件によります。まず、島自体が固い岩盤でできていて、これが昼間熱せられるのです。炎暑というなら、向島やそれ以上のところはいくらもあるでしょうが、夕方から夜間にさらに暑くなるのがこの島の特徴なのです。毎日が熱帯夜。それも逃げ場のない暑さ。風が吹かないからです。

瀬戸内海に浮かぶ島ならば、潮風が吹くだろうと思うでしょうが、瀬戸内海は内海なので向島近辺では波風がほとんど立ちません。油面のような海なのです。私たちが知る湖面に近い。波打ち際はちゃぷんと寄せるくらいです。夕方から凪になれば、風はそよとも吹きません。

向島の漁師が房総勝浦へ旅して、旅館に入るなり仲居に尋ねたそうです。「ありゃあ、何の音ですかのう」「はあ、音といいますと?」「ほら、さっきから、ごうごうともの凄い音が・・、聞こえないですかの?」「はあ、何も聞こえませんが、波の音しか」「えっ、あれは波の音ですか、海の」「お客さん、からかっちゃ嫌ですよお」という問答があって、向島夫妻は旅館を出て海岸まで歩いて、東映のマークのように岩に打ち寄せる、波の大きさ高さに腰を抜かさんばかりだったそうです。

向島や尾道の漁師で、朝起きて勝浦のような波をみたら、ただちに漁協に連絡して出漁は取り止め、古老にお伺いを立ててみなで神社にお参りに行くでしょう。千葉の「板子一枚下は地獄」という漁師とは違って、向島あたりの漁師は手こぎ舟で釣り糸を垂らし、ベラやチヌ、オコゼや目の下1寸くらいの鯛を釣り上げ、それを女房が手押し車に入れて売り歩くという零細なもの。「板子一枚下」にはフカがうようよいるくらいで、波風立たない漁師人生があたりまえなのです。

地元の子どもたちの海の遊びといえば、波乗りです。波が立たないのに、波乗りとはこれいかに? 狭い尾道水道をフェリーや小型船舶が通ると波が起きて、海岸で浮いている子どもたちに及びます。「上がった上がった!」「下がったあ」「ほれ、つぎの波が来よるぞ」と喜ぶわけです。向島の子どもたちにとって、波とは船が立てるものだけなのです。

岩盤のせいか島の樹木は松ばかり、樹間をわたる風も吹かず、熱せられた島の岩盤の熱気はどこにも逃げずどよーんとたまったままのサウナ状態。向島人は汗にまみれながら寝ゴザの上を転々惻々して、朝を迎えるのです。昔だって、扇風機くらいはあったはず? 熱風が送られるだけでした。いまはさぞやクーラーの電気代がかさんでいるでしょう。

東京の大学に進学した娘が、「東京の夏も暑いけれど、夜はみんな夏掛けというのをかけて寝るんよ」と両親に手紙を書いて送ったら、向島人は、その話しを聞いて、「ほお、そうかあ、そりゃあ、たまげたのお、さすが東京はええのう」とみな驚き感心したそうです。

もうひとつ、向島では夜に自転車で細い道を走るときは、青大将を踏んでしまうことがよくあるそうです。冷血動物の蛇ですら暑くてたまらず、草むらから這い出て長く伸びているわけです。そこを「紐でも落ちとるんかな」と自転車のタイヤで踏んでしまい、振り返ると紐がのたうち回っているのでびっくり。向島だけの夏の夜の風物詩というわけです。

炎天下に長時間放置した自動車のドアを開け、車内に入ってむわっとする熱気にあわててエンジンキーをまわし、ウインドウを開け放ち、汗を滲ませながらクーラーが効き出すまでの数分間を我慢することがありますね。その熱気よりさらに数倍の暑さが一日中続く、「むきゃあしま」をこの夏は訪ねてみませんか。向島から眺めた金色に染まる瀬戸内の夕景はそれは美しいものです。



今夜は涼しい曲を

2015-07-22 23:51:00 | 音楽
「デビイのワルツ」は以前に紹介しましたが、リンク切れしているので、ふたたび。

Monica Zetterlund with Bill Evans Trio Waltz for Debby


モニカ・ゼターランドは、60年代に英語ではなくスウェーデン語でジャズを歌い、ヒットさせた異色のスウェーデン歌手です。

彼女の自伝映画画「ストックホルムでワルツを」が最近公開されました。「ワルツ」はもちろん、ビル・エバンスと共演したこの"Waltz for Debby"からです。

ご覧のとおりの美人ですが、シングルマザーの田舎娘モニカが男出入りもありながら、大都会ストックホルムでジャズ歌手としての才能を開花させていくという映画のようです。戦後、アメリカ文化を浴びるように享受したのは日本だけでなく、世界的なものだったんですね。

なかでも、スウェーデンはナチ協力国家でしたから、敗戦国に近い境遇から自由の空気に触れたという点では多少日本と似てなくもありません。ビデオレンタルに回ってきたら観てみたいですね。

英語歌詞はこちら。和訳はこちら

閑話休題:
ゼターランドというのはスウェーデン系の名前でしたか。昔、陽子ゼターランドという有望な女子バレーボール選手がいました。170cm台と長身ではなかったのですが、セッターもスパイクもこなせる身体能力の高い選手でした。

中学高校から頭角を現し、日米ハーフのグラマラスな身体となかなかの美少女のため一時注目を集めました。日本代表入りも確実とみられていましたが、国籍問題があったようで日本ではなくアメリカで代表チームに入りました。

彼女が早稲田大学に進学した頃、早稲田のグラウンドや体育館、合宿所などがある西武新宿線の東伏見駅近くのコンビニエンスストアでよくみかけました。当時、私も東伏見の借家に猫たちと合宿生活をしていたのです。

きまってジャージ姿で買い物に来る姿は、今日のスポーツコメンテーターなどの肩書きでTVなどでみかける、利発そうな喋りと華やかな笑顔の彼女とは別人のようでした。

いつも口を半開きにしたうつろな表情で、ずりずりとだらしなくサンダルを引きずって歩く姿は、日本の体育会スポーツの悪しき伝統にどっぷり染まっていました。アメリカ国籍を選んでよかったんだなと喜んでいます。

ジョニー・ハートマンという名前とビロードのような歌声から、ハンサムでのっぺりした金髪白人歌手を想像するでしょう。

Johnny Hartman - Waltz for Debbie 1964


が、ジャケット写真のとおり黒人歌手です。髪もむりやり直毛にしています。昔は、白人風に歌うのが普通でした。レイ・チャールズが出てから一変しました。いや、ジョニー・ハートマンはすばらしい歌手ですよ。「歌は世に連れ」というように、時代が違うだけです。

(敬称略)

「戦争反対」には賛成しない

2015-07-17 20:00:00 | 政治
「戦争は絶対悪」「すべての戦争に反対する」「殺すな」「世界に平和を」などなど、反戦のスローガンは、たいてい戦争を一般名詞として扱っている。あたかも、「戦争と人間」「人類 VS 戦争」のように。

私は首をかしげる。人々が戦争を一般名詞として使い、反戦を唱えるとき、その戦争が自明の場合に限られるのではないか。かつてのベトナム戦争の反戦運動しかり、最近ではイラク戦争しかり。自国の若者が戦場に赴いているとき、同じ若者や市民が反戦を叫ぶ場合、どの国といつから「戦争」しているかは誰もが知っていた。だから、「戦争反対」ですべてが通じた。

日本ではどうか? 幸いなことに日本はまだどこの国とも戦争状態に入っていない。したがって、私たち国民の大多数は戦争を知らない。知識や情報としてしか知らない。知らないものに反対するのはどこか腑に落ちなくないか。反戦の対象となる「我々の」「我が国の」戦争がまだはじまっていないから、「戦争反対」がどこか浮き世離れした印象になる。

反戦プラカードを突きつけられている政府自民党としても、集団的自衛権にもとづいてアメリカの戦争につき従い、アメリカの「敵」と戦争ができる国へ法整備を進める準備段階に入ったという認識だろう。アメリカ頼みの安全保障から、「自分の国は自分で守る国へ、自立の第一歩」と政府自民党はいいたいのだろう。

戦争を避けるための抑止力としての安全保障という論議に止め、「必要でしょう?」と着地させるのが彼らのいつもの説明だ。「戦争と人間」ほどではないが、政府自民党の「戦争と日本」もかなり抽象的だ。安保法制反対派も推進派も、「戦争をさせない」「戦争を起こさない」という違いはあれど、戦争を予防的にとらえ、その危機感を共有しない者に熱心に呼びかけていることでは変わりはない。

呼びかけられる者としては、まだ戦争が近づいているような実感に乏しいから、反対のデモにも参加しないし、賛成の意思表示をしたいとも思っていないだけなのだ、と思う。そんなもやもやした日々が続いてきたが、やっと胸がすく発言が我らが安倍ちゃんから出たようだ。

安保法制強行採決、次は本当に戦争が始まる!
安倍の目的はやはり対中戦争だった! 強行採決前「南シナで日本人が命をかける」と発言
http://lite-ra.com/2015/07/post-1288.html

やっぱり、日本が戦争するとしたら、中国しかないよな、南シナ海か尖閣だよな。ということで、これからは、「戦争反対」ではなく、「日中戦争反対」、「日中に平和を」とはっきり云おう。賛成派は、「日中戦は不可避」とか「日中決戦の南シナ海」と云えばよい。

建築現場をはじめ、コンビニやファミレスまで中国人労働者頼りで、観光地は中国人観光客頼みという身近な日中関係を暮らしている人々は、中国と戦争なんてとんでもない、と声をあげるだろう。その声を抑え、圧倒するものがあるとすれば、自衛隊員の流血だけだろう。そうなる前に、「日中不戦」を拡散させよう。

この車が欲しい

2015-07-15 23:27:00 | ノンジャンル
新国立競技場が莫大な建設費用で揉めているが、あのデザインの評判も芳しくない。とばっちりで、審査委員長をつとめた安藤忠雄氏の評価も下落しているらしい。

建築デザインについてはもちろん、安藤氏についても当方は不案内だが、下掲の記事でデザインとは何かということが少しはわかった気がした。有名デザイナーを雇ってちゃちゃっと絵を描いてもらえば、優れたデザインの製品ができるわけじゃないんだな。

莫大な宣伝と開発費用をかけているはずのトヨタのカーデザインとCMが目を覆うばかり、という周知の事実がいっこうに改善されないのにも納得できた。ついでに、なぜ、この車に魅かれるのかも。眺めているとたしかに、わくわくニコニコするもんな。

デザインって、つまるところ思想(一貫した考え)らしい。新国立競技場を建て替えて、どういう日本をアピールするかっていう前に、いったい私たちは何をしたいか、何を次世代へ伝えたいのか、マツダのような青臭い考えこそ問われているんだと思う。

そんなことより、もっと現実的に、オリンピックで少しでも景気がよくなれば、というんじゃ、どんどん建設費用がふくらむのも無理はない。負担を強いられる国民と都民以外の関連するビジネスマンたちは、予算が巨額になるほど潤うんだから、ブレーキを踏む者はいないはず。

官僚や政治家こそ、目先の利益よりせめて御利益くらいのロングスパンで考えてもらいたいのだが、無いものねだりなんだろう。

いま欲しい車はアテンザです。300万円です。


「常識が通じない」マツダの世界戦略
http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%e3%80%8c%e5%b8%b8%e8%ad%98%e3%81%8c%e9%80%9a%e3%81%98%e3%81%aa%e3%81%84%e3%80%8d%e3%83%9e%e3%83%84%e3%83%80%e3%81%ae%e4%b8%96%e7%95%8c%e6%88%a6%e7%95%a5/ar-AAcTQ4j?ocid=iehp#page=2

新国立競技場 ザハ・ハディド案の取り扱いについて  磯崎 新
http://architecturephoto.net/38874/

当初のダイナミズムが失せ、まるで列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿に、いたく失望いたしました。このままで実現したりすれば、将来の東京は巨大な「粗大ゴミ」を抱え込むこと間違いなく、暗澹たる気分になっております。

じつに、不吉な予言です。「や~めた」と安倍首相が決断して、低費用の案に切り替えれば、内閣支持率は持ち直すと思うのだが。

(敬称略)

昭和すだれ頭

2015-07-13 23:59:00 | 政治
周知のように、言動にはTPOが大切だ。TPOをわきまえ、TPOに応じて使い分ける。TPOを踏まえないで振る舞うと、とんでもない恥をかいたり、周囲に迷惑をかけることさえある。

TPOとは、 Time(いつ-時間)、Place(どこで-場所)、Occasion(場合)。ただし、英米人にTPOを説いても、たぶん「何、それ?」と首をかしげられるだろう。これは服装ファッションについて、VAN創始者の石津謙介が言い出した和製英語だから。

そのせいか、TPOには重大な欠落がある。Who(誰が)という主体である。いつ、どこで、どんな場合に、「誰が」、何を言い、何をしたか。いうまでもなく、「誰が」、によって、事態は大きく変わるはずだ。

葬儀に半パンで出かけ、年長者にタメ口をきいた若者はただの馬鹿者だが、これが県会議員なら、まず精神的な失調や病気を疑うべきだし、つぎの選挙では間違いなく落選するだろう。

あるいは、「誰が」によって、TPOとは、「とってもパワフルなお言葉」の略になる場合もある。以下の天声人語氏のコラムのように。

人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる
http://www.asahi.com/articles/DA3S11854826.html?ref=tenseijingo_backnumber

おいおい、「とってもパープーなお言葉」の間違いじゃないか? 一読してそう思ったあなた、よろしい、あなたは私の友人である。しかし、それじゃ、チャンチャンおしまい、になってしまう。

そこで、天声人語氏に視点を変えて、このコラムがどれほどパワフルなポジショントークであるかという解説をば。

いつ-安保法制自民党案の強行採決が目前に迫っている、どこで-社論を書く社説ではなく記者個人の感想を述べるコラムで、どんな場合-世論調査で80%がそれに反対を示し、国会正門前に党派とは無関係な若者一万五千人が集結した、これがTPO。

冒頭の一行がすごい。

日が落ちれば少しは涼しくなるだろうという目算は外れた。

官邸前デモや国会前集会も暑くなれば、やがて下火になるだろうという「目算は外れた」と吐露しているのである。それだけでも尋常ならざるものだが、この「目算は外れた」を終行近くで、絶妙に受けて投げ返しているのだ。

「危ないね」という思いを伝え合う、それぞれの目配せ。

この「目配せ」がそれだ。「目算は外れた」という「目配せ」のコラム、そう読まれるべきだと天声人語氏は云っているのだ。じつにすさまじいばかり力技である。だてに、天声人語を任されているわけではないようだ。えっ、ひどい曲解じゃないか? チッ、あなたは私の友人ではない。

わからないかなあ。コラムには、とくに新聞のコラムには一行も一字も無駄なことは書かないし、書けない。冒頭の一行を日和伺いと読めるわけがない。予測や予想ではなく、「目算」という言葉を選び、それが「目配せ」に対応していることがわからなければ、残念ながら、あなたには行間とか紙背などは無縁といわねばならない。

書いてあることだけでなく、書かれていないことがより重要な文章というものがある。かつて、検閲や弾圧から逃れるために、古今東西の少なからぬ文筆家はそうした技術を磨いて、人々に真意を意味を伝えたものだ。そしてそれ以上に、より多くの文筆家は、権力に阿り追従する意図を巧妙に隠し、内通する文章を書いてきた。

いうまでもなく、「目配せ」のことだ。これは国民間の「目配せ」でもあるが、政府自民党へ内通する「目配せ」でもある。どうして、そのまま書いてあるとおりに国民間の「目配せ」だけにならないのか。冒頭に、「目算は外れた」があるからだ。

ほんとうに、国民視点で書いたのなら、どうして「目算は外れた」などという外部の視点が導入されるのか。冒頭ではっきり、天声人語氏は自らをインサイダーとして置いているのだから、「目配せ」の相手も一般国民だけには限られないわけだ。

「目算は外れた」という「目配せ」と読めば、「人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる」はただの引用に過ぎず、安保法制反対デモを称揚しているのでないことは自明のことだ。また、称揚したという言質はどこにも与えていないし、称揚しているとすれば、デモではなく「目配せ」の方だ。

(ちなみに、例の植村隆元記者の問題となった「従軍慰安婦記事」も、挺対協の発言を紹介しただけでそれを是認したという言質は与えていない。あの程度で捏造というなら、政府発表をそのまま掲載した記事のほとんどは、取材の裏づけのない捏造記事になる。慰安婦問題に関心のある向きは、一度植村記事を読まれるとよい。よくある記事の調子だなと違和感を感じないから)

むしろ、ここは、選挙とデモの間に、当然あるべき、国民主権を守る言論と表現の自由を掲げるメディアの使命と責任が欠落していることに注目すべきだろう。政府自民党の圧力と懐柔の前に、メディアはもはや無力という国民向けの思わせぶりとも、白旗を上げたという政府自民党への敗北のポーズとも受けとれるが、重要なのはそこではない。

「誰が」が徹底的に隠されていることだ。このコラムには、SEALDs(シールズ)の若者や柄谷行人氏は登場するが、新聞というメディアも、その新聞社に所属する新聞記者である筆者も、いっさい出てこない。5W1Hというより、ただ、TPOだけがある。国会前に佇んでいたのは、ほかの何ものでもないTPOなのである。

このさりげない連帯は強まりこそすれ、と感じる。

政府自民党と朝日新聞との「さりげない連帯」と読むのはさすがにうがち過ぎだろう。だが、デモという「過激な」「思想表現の自由」を「目配せ」による「さりげない連帯」に置き換えようとする意図は、このコラムの流れから明白だろう。あの日、天声人語氏の前でデモに参加した国民をも、見事に隠してしまったのである。

たぶん、昭和人のはずの天声人語氏にこの歌を贈りたい。「ケッ、いつから日本はデモしちゃいけねえ国になったってんだ」と安酒場で愚痴っているかもしれない。
http://togetter.com/li/846923



(敬称略してないぞと)