コタツ評論

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ハルオサン

2018-10-31 06:02:00 | ノンジャンル
警察を辞めた話
https://www.keikubi.com/entry/2018/10/28/175934

これは知りませんでした。私の見聞でも、警察と自衛隊は虐めが横行する最悪のブラック職場です。ブログにも、赴任してきた準キャリアに虐め抜かれて福島県県警のノンキャリ幹部2人が自殺した事件について紹介したことがありました。

この事件も、虐めによって書類仕事が滞留して、部下や仲間たちに迷惑をかけた責任をとり、併せて準キャリア課長に滞留している書類にハンコを押してもらおうという自裁でした。日本の「自己責任」とは詰め腹のことなのです。理非もなけけば神仏もない、地獄のルールです。

ただ、こうした「虐め」による組織の維持は、かの有名な旧軍の内務班の「伝統」から続くもので、また、とくに日本や日本人に限った話ではなく、アメリカの軍隊を扱った映画ではポピュラーな題材であり、ロシアの軍隊の虐めの酷さはドキュメンタリTVにもなっています。

ただ、日本のほうが、虐めに抵抗したり、告白や告発したりする個人がはるかに少ない気はします。上記の「ハルオサン」のような人がきわめて稀なのは、社会が世間が「弱者や少数者の声」を聴きたがらない権威主義にくわえ、集団主義の抑圧を「多数決の正当性」と曲解しているからではないかと思えます

「ハルオサン」にみられるように、「弱者」どころか、なかには強靭な精神の持ち主もじつはいるのですが、普通の人は、私もそうですが、組織や集団主義が嫌なら降りるしかありません。

今週の週刊文春の万城目学のエッセイ「私が会社を辞めた理由」のなかで、大手繊維会社に就職して、新人研修後の役員を囲む食事会で、先輩の心配りで女子が役員の両隣に席を宛がわれたのを見て、「とても嫌だった」と語っています。

若い頃、少し交流があったエッセイストの玉村豊雄さんも、フジTVに就職して新人研修でマラソンをさせられ、走り終わったその足で人事部員に「辞めます」と告げ、そのまま走って帰ったという話を書いています。

「ハルオサン」は警察学校という組織によって残酷な「自己責任」を取らされ、その後10年以上もかかって本来の意味での自己責任として、その凄絶な顛末を冷静に検証して明らかにした事例ですが、東京新聞の望月衣塑子記者は現在進行形です

菅官房長官と記者会見の司会をする広報担当による、実質的な「質問拒否」を目の当たりにしながら、黙々とPCを打ち続ける他社の記者たちの姿こそ、「虐め」の本体です。陰日向なく「ハルオサン」を追いつめ、辞めさせた「同期」や「警察学校の教官や校長」がここにもいます。

(止め)
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今週の明言 06

2018-10-28 10:09:00 | 政治
「見てる人は皆バカだとわかってる」(元文部科学大臣・馳浩)が「今週の明言」ではありません。これを読んだ少なからぬ人が、「君のことは皆バカだとわかってる」と心中呟いたはずで、馳浩氏にとってだけに痛烈な「明言」でした。


自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう。皆、無力さと常に対峙しながら生きるわけで。人類助け合って生きればいいと思います。

今回の安田バッシングに反論したなかで、もっとも優れた言葉を発したのは、ダルビッシュ有だと思うのは私だけではないようです。

(敬称略)


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行間を読むということ

2018-10-27 12:09:00 | ノンジャンル
「行間を読む」という言葉があります。何も書いていない行間の空白に、推敲して削除しただろう描写や説明が浮かび上がってくるような文章があります。あるいは、もっと暗示的に行間から想像力を立ち上がらせようとする文章もあります。

言い換えれば、「行間を埋める」書き手と「行間を読める」読み手との共感の空間を行間と呼ぶのです。

ただし、上記は文学や思想分野の文章にほぼ当てはまるもので、報道記事などではべつの「行間を読む」読み方が求められます。論理的には、どういう考えであっても、これこれについて言及しなければ片手落ちではないか、あるいはかくかくしかじかと、よけいな言及が過ぎるのではないか、と過不足に気づくことです。

次に、書き手が書かなかった、さらに書き過ぎているときは、何かを隠すか目くらましのためではないかと疑うことです。簡単に言うと、いわゆるリテラシーですね。

日本の大学の成果は米企業に 本庶氏「見る目ない」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36792840T21C18A0MM8000/

日本の大学などの研究論文がどこでビジネスの種である特許に結びついているかを調べると、米国の比率が4割を超す。研究開発力の低下が指摘されるなか、イノベーションにつながる国内の芽をどう見いだすのか、企業の「目利き力」が問われる。

すぐに気づくのは、「日本の大学はもっと企業から学べ」という声がこの数十年の間、主に日経のようなメディアから熱心に発信されてきたことです。企業の即戦力となるような人材育成を大学教育は果たさねばならない。企業に門戸を開いた研究活動を促進しなければならない。そういう企業側の要請を代弁した声に、メディアから異議が唱えられたことはありませんでした。

おかげで、「大学にも企業努力を(持ち込むべき)」という掛け声から、そのまま、「大学の企業努力」を求めるのが当たり前になりました。そうした企業の要請を社会の声として、メディアが文部科学省の尻を叩き、大学改革を迫ってきたという事実と経緯については、跡形もなく書いていません。

大学が生み出した研究成果について、日本企業に「見る目ない」のなら、見る目のある米企業に比べて、日本企業には著しく企業努力が足りない。にもかかわらず、大学側にだけ改革という名目で、企業努力を求めてきた日経新聞の責任や反省はないのか。同様に、メディアも「見る目ない」のではないか。論理的な帰結とはそういうものでしょう。

この日経記事では、書かれている行、書かれていない行間を含めて、書き手と読み手の間に読解を巡る応酬はありません。文学や思想に関わる文章ではなく報道記事だからというだけなく、書き手が報道機関の機関性に拠っているからです。何も書かれていない行間はただの空白であり、書かれていることだけが事実であり、そのまま読めばよいという関係性です。

もちろん、書き手も一人の国民や人間であろうとする報道記事もあります。そこでは何を省こうとも、自らを含む国民の視線や言及を棚上げしたり避けることはあり得ません。それとわかる形ではなくとも、それこそ行間に苦渋や逡巡、諦念などが込められるものです。それは書き手の努力や姿勢というより、あらかじめ設定した読み手、読者との関係性からもたされるものです。

その記事が正確な事実に基づいて書かれているか、書き手の判断や考察は妥当なものか、当該の分野について無知不案内な読み手が判断するとき、それは物差しとなるものです。この記事は私にわかるように、私宛に書かれたものか、そうであれば、書き手の意識の流れが読み手に感じられて伝わるものです。

「行間を読む」とは何か高度で複雑な読解に関わることではなく、つまりは最初の一歩なのです。

行間がない文章はあり得ないが、行間を持たない文章はあります。機関から国民や消費者へ向けた連絡や広報文書の多くがそうであり、残念ながら、少なからぬ報道記事もこれに準ずるものになりました。反対に、どれほど人の感情に訴えてこようと、個人を前面に出して語られていようとも、為にするために書かれた行間を持たない文章もあります。

いや、「このエッセイ、小説の登場人物のモデルは私に違いない」と筆者のところに押しかけるのは妄想からの一体化であって、同期ではありません。

(止め)

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源ちゃん、まずいよ

2018-10-20 23:25:00 | ノンジャンル
先に、『新潮45』の休刊(実際は廃刊)を受けて、おなじ新潮社の月刊文芸誌『新潮』の編集長が「反省文」を書いたので俎上にのせた。

その同じ11月号に作家高橋源一郎が、<「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた>を寄稿して、そこそこ話題を呼んだ。

高橋源一郎の小説は読んだことはないが、『文学がこんなにわかっていいかしら』『文学じゃないかもしれない症候群』『文学なんかこわくない』『一億三千万人のための小説教室』、そして「評論文学」とでも名づけるべきか、『日本文学盛衰史』など、高橋の「文芸評論」を好んで読んできたので、「文藝評論家」小川榮太郎 VS 「文芸評論好き」高橋源一郎には興味をそそられた。

図書館に寄る機会でもあれば、『月刊新潮』を探して、高橋寄稿文を読んでみたいと思っていたのだが、Web上で公開されたので紹介する。

http://kangaeruhito.jp/articles/-あま/2641

9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。

どうしてこの原稿を書く羽目になったか、思ったこと考えたことを17行も「不必要に」書き連ねている。どうして高橋ほどの書き手がこんな駆け出しのデーターマン原稿のような冗漫な書き出しにしたのか。

たぶん、書きたくなかった、書く気にならないまま書き出したからだと思う。

いまではどうか知らないが、昔、新潮や文春など出版社系の週刊誌記事は、データーマンとアンカーマンのチームで作られていた。数人の取材記者(データーマン)が取材データを集め、ベテランライターである執筆者(アンカーマン)がそのデータを使って記事にまとめるのだ。

昨日聞いて、今日取材して、明日は原稿にしなければならない週刊誌では、一人ですべてをこなせず、取材と執筆の役割が分業化したのである。

執筆するアンカーマンも取材するデーターマンも原稿用紙1枚いくらで報酬が支払われることでは同じ。アンカーマンの原稿料は原稿用紙数×ページで決まっているが、データーマンの原稿枚数は決まっていない。書けば書くほど、ギャラは多くなるのである(もちろん、データーマンの原稿単価はアンカーマンよりはるかに低いのだが)。

そこで、データーマンのなかには、ダラダラ長いデータ原稿を書いて出す者もいた。「編集から電話がかかってきた」とエッセイ風に書き出し、「前夜、飲みすぎてフラフラなのに、いきなり安宅産業を取材しろというが、こちらは何の知識もない」など、埒もないことを延々書き連ねるのがよくあるパターンだった。これで原稿用紙4、5枚はよけいに稼げるのである。

毎号、毎号、たくさんの記事で誌面を埋めなければいけない週刊誌では、ライティングマシーンやデータマシーンが求められたわけだ。何の興味や関心もなく、当然、情報や知識の蓄積などほとんどないまま取材に出かけ、その報告を原稿にしなければならないデーターマンに「玉稿」を期待することもできず、そんなダラダラ原稿にも「しょうがない奴だな」と舌打ちしながら、大目に見るのがアンカーマンや編集者のつねだった。

「何も知らない人」がそのトピックをどう受け取り、取材した事実に何を思い考えながら歩いたのかという意識と視点は、「何も知らない読者」を想定すれば、いちがいに不要な駄文と切り捨てもできない。そういう考えもあったろう。まだネットは普及しておらず、活字媒体がメディアの中心にいた頃、いまから思えば人も仕事も余裕がある豊かな時代だった。

残念ながら、高橋源一郎文にもかつてのデーターマンと同様な、書くことへの飽きと諦めがうかがえた。ほんとうに書きたくなかったのだし、書く気にならない相手だったのだろう。全編、その言い訳に終始したようにも思う。

また、対手を「物書き」と認識していたなら、「小川さん」などと敬称をつけず、呼び捨てにするのが一種の礼儀とさえ思うが、「リスペクト」にこだわって、自縄自縛になっている。

もちろん、かつて同様な文学青年時代を送り、その「文学愛」にも共感したのは事実だろうし、あるいはもしかすると、「小川榮太郎」になっていたかもしれない「高橋源一郎」として、つまり我が事のように、「泣いてしまった」というのが正当な読み方だろうとは思う。

であれば、「リスペクト」のようなPC風を捨ててかかるべきで、そもそも、「リスペクト」は読み手に結果的に感じさせるもので、思想のように押しつけるものではないはず。また、それが、「小川榮太郎氏」ではなく、「小川榮太郎なるもの」への「リスペクト」というより、「気遣い」に堕していることに気づいていないようにも思える。

かの「小川榮太郎氏」がこの「話題になった」高橋文を歯牙にもかけないと言っているのは、あながち強がりばかりではなく、手続きと自虐にリスペクトを絡めて、「小川榮太郎」シンパへも色目をつかった迷走文と正しく読解したのではないかと思う。高橋さん、今回はちょっと残念でした。




(敬称略もあり)



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忘れようとしても思い出せない話

2018-10-14 23:06:00 | ノンジャンル
大事なことやつい最近の出来事はすぐに忘れてしまい、なかなか思い出せないくせに、昔のくだらない話は覚えているし、ふとしたときに鮮明に思い出したりする。

輪島が死んで、たしかNYTの女性記者が日本ルポに来たときの取材エピソードの記憶がひょっこり出てきた。日本の政財官界、スポーツ芸術分野の主だった人物をインタビューして回った女性記者は、朝日新聞のやはり女性記者の質問に答えて日本印象記を語った。

そのインタビュー記事で、妙齢の彼女は日本の男性の印象について、「日本の男性はとてもシャイだと感じました」といった。「でも、とくに印象に残った男性がいました」と続け、当時、横綱だった輪島の名前を挙げた。

「彼だけが私の目をまっすぐに見て、自分の言葉で話したから」。手元にその記事があるわけではなく、記憶に頼っているから正確ではないかもしれないが、政財界の大物や芸術家などではなく、まっさきに輪島の名前を出したのを意外に思って印象に残ったのだ。

「彼だけが私の目を見て話した」。たぶん、取材された有名人たちは、とりあえず通訳に向いて話したり、不躾に見えないように目をそらしたり、あるいは金髪碧眼長身のインテリ女性に臆したりしたのかもしれない。その頃は、アイコンタクトなどという言葉はなかった。

先進的な経済大国なのにどこか変てこりんな極東の島国を「ディスカバージャパン(古くてゴメン)」しにきた彼女に、相撲の勝負どころや横綱の生活がわかろうはずもないから、輪島の話の内容より、その堂々たる態度がよほど印象深かったのだろう。

髷と回しや浴衣姿なども相まって、ちょっと謎めいて見えたのかもしれない。まあ、輪島には謎などなかったはずで、彼女を直視したのは、輪島がただ女好きだったから、しげしげと眺めたに過ぎないといまでも思っているが。

昔は、相撲の関取、なかでも横綱は大人気で水商売の女性たちからよくモテていたものだ。とりわけ、男らしい風貌と遊び慣れた輪島などはどんな美人でもよりどりみどりだったはず。輪島からしてみれば、毛色の変わった美人を鑑賞しているだけだったかもしれない。もちろん、男盛りの男が女を鑑賞する場合、ルノアールの描く女性を鑑賞するのとは違うわけだが。

そんなちょっぴり官能めいた二人の視線の交差があたのではないかと想像して、にんまり読んだ記憶がある。

かつて日本中の大学がデモと集会で騒然としていた70年前後、ロックアウトした日大側から頼まれて、大学に入ろうとする全共闘の学生たちの前に立ち塞がったのは右翼体育会の猛者たちだった。

なかでも、その巨体で壁となった相撲部の輪島や荒瀬たちに、突撃しては蠅のように叩き潰されていた、長髪痩せっぽちに絵の具などで汚れた白衣をまとった「芸斗委(日大芸術学部闘争委員会)」の諸君などは、輪島の訃報をどのような思いで聞いただろう。

もちろん、私にはそんな身体をぶつけ合った肉感的な思い出はない。あの少年のような率直な視線と、左回しをとってからいつの間にか下手投げに入っている巧緻な取り口を思い出しただけだ。輪島は享年70、荒瀬は59歳ですでに亡い。やはり相撲取りの寿命は短い。

(敬称略)
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