コタツ評論

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靖国をめぐる教養

2005-07-23 12:02:47 | ノンジャンル
施設ってのがあったほうがいいな。戦死と戦災死、鎮魂と慰霊についての考察ができる。なにい、チンコトイレ? 不謹慎な!
俺は新たな慰霊施設の建設は疑問。そんな小学校の校庭にあるトーテムポールみたいなものつくってどうする。あれは、実に奇異なものだ。アメリカの小学校にあるなら、先住民に対する学習契機であろうと、欺瞞の象徴であろうと、某かの意味を持つ。日本の小学校に生徒がつくった稚拙なトーテムポールがあることの無意味さ。トーテムポール以前の小学校の校庭には二宮尊徳像が置かれていたことを思い出すと、符丁が合いすぎて泣き笑いたくなるほどだ。靖国が靖国である限り、それが偽史であろうと国民と国家にとって某かの意味を持つ。少なくとも問い直すことはつねに可能だ。一方、トーテムポールに関心を持ち続ける人がいるとするなら、それは制作を指導した教員たちと、施設管理の用務員さんに限られるだろう。

教養主義の終焉

2005-07-18 12:01:42 | ブックオフ本
たしか、京大の先生の本に、『教養主義の終焉』とかいうのがあった。
経年で学生の読書傾向を調べてみたら、団塊の世代までは、戦前の学生とほぼ同じ本を読んでいたが、以降は読んでいないという調査結果だったそうだ。そうなんだ、団塊の世代というのは旧世代の尻尾なんだな。消費においても巨大な団塊だから注目されるが、よくもわるくもそこに革新性はない。といって、団塊以降の世代に何か現代的な教養があるかといえば、これも怪しい。そんなことをやろうとして、珍妙な講座名を捻り出した大学もあったが、ついにカリキュラムにはならなかった。

いぬのふぐり

2005-07-17 11:58:27 | ノンジャンル
どんな野草だったっけかな。犬の睾丸はすぐに思い浮かぶのだが。

かなり以前に聴いた話で出典不明だが、日本の共産党員や共産主義者、社会主義者は人口の1%を越えたことはないそうで、その割合はキリスト教徒とほぼ等しいそうだ。右翼や民族主義者はもっと少ないだろう。右翼や左翼になるとは、自分の政治的立場を決定することだが、日本では民主主義政治が確立していないのだから、政治的な座標軸が定まっていない。したがって、しばしばサヨクやウヨクと表記されるように、たいていは空気の問題であり、その実態はキリスト教徒よりはるかに少ないのではないか。また、政治的立場に基づいた政治的生活を送っていることが、政治的立場を担保するのだが、そんな人はさらに少ないだろう。日本人の大多数は、「重層的非決定」に身を委ねているようだ。それを仮に戦後民主主義という政治的立場と考えてみると、その有効性や成果は、「プロジェクト×」が高唱するような経済民主主義に行き着く。この番組が、企業や技術のサクセスストーリーでは破綻しないのに、教育や市民政治を扱うと捏造までする破綻に陥るのは、戦後民主主義の政治的な成果の脆弱さをよく表している。だが、こうもいえるだろう。日本の経済政策が戦前の統制経済を下敷きにしたという定説がありながら、一定の経済民主主義を達成したとすれば、戦後民主主義はいわれるほど迷妄なのかどうか、まだ留保すべきではないかと。いぬのふぐりのように、名前も形状も格好よくないが、そこらの空き地にありふれていた時代があった。空き地は整地されて住宅地となり、コンクリートが敷かれてファミレスの駐車場となったが、そこにはかつて野草が生い茂っていた。地中に根がなかったと誰がいえるだろうか。

網走監獄博物館

2005-07-15 11:52:25 | ノンジャンル
東北・函館戦争に敗残した賊軍将兵が監獄につながれ、まさに弊履の如くその命を扱われた、という記録が網走監獄博物館に残されている。というより、官軍による賊軍将兵の死に至るまでの酷使が網走監獄のはじまり。その後も、「白河以北一山三文」とされ、東北・北海道は国内植民地として収奪されるがまま。戦争が起きる度に、東北の諸連隊は最前線の死地に赴かされた。戦後においても、たとえば東北からの集団就職列車はアフリカの植民地からの英国移民を乗せた船と変わらない。網走監獄博物館を一見すれば、腸煮えくり返り、「明治」と「靖国」を深く疑うことうけあい。