コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

水村山郭不動産番外にして決定版 その2

2014-09-30 23:47:00 | ノンジャンル
安倍総理は所信表明に「地方創成」を上げ、「やる気になればできる!」とこれまでやる気がなかったのを認めて、あらためて取り組む決意を示した。やる気が出なかったのは、できないものとあきらめていたからだし、できるものならとっくに少しは何とかなっている。というか、日本は東京で食うという選択をずっとしてきたわけだ。悪いのは安倍政権や自民党ではなく、その前の民主党でもなく、悪いのはそげな選択をした国民である。国民がいちばん悪い。

水村山郭不動産の条件は、土地建物で2000万円以下だが、いずれ200万円以下になるのではないかという、全国各地の人口減少予測地図が日経から出た。すでに廃村は珍しくないが、そのうち廃町が出現するだろう。

人口減少地図完全版
統計でみる市区町村のすがた2014/9/24 公開

http://www.nikkei.com/edit/interactive/population2014/map.html#!/z=9/

しかし、先には台湾で大学生が、いま香港では中高生が、若者が中心になって数千、数万人のデモが起きている。強大な中国に抵抗の意志を示している。一方、日本では韓国叩きという弱い者いじめが流行中だ。官邸前や金曜日デモには中高年の姿が目立つ。多勢の若い衆が国会議事堂を取り巻く光景を見るには、これからどれほど世の中が悪くならねばならないのだろうか。おっちゃんはもうすぐお役御免だけど、おめーらはいったいどうすんだよ。
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今夜はアルフィー

2014-09-28 01:27:00 | 音楽
「ねえ、アルフィ?」と語りかけるハル・ディビッドの歌詞がすばらしい。作曲したバート・バカラックが歌う訳詞付がありました。こんな歌詞世界は日本にはありません。ちなみに、かつて日本では犬の平凡な名前は「ペス」でしたが、アメリカでは「アルフィ」が多いそうです。

Burt Bacharach - Alfie Amazing version


なぜ、歌詞から入るかといえば、この歌は映画「アルフィ」のテーマ曲だからです。モテモテの「アルフィ」君が独身を謳歌して女出入りをくり返すストーリーですが、女性から観れば、盛りがついてあちこちに掛けションしてまわるペットの雄犬みたいなものでしょう。だから、「ねえ、アルフィ?」と笑いかけるのです。

軽い二枚目を演じて右に出る者がいない名優マイケル・ケインのデビュー作です。きらめくような彼のセリフ回しは一度聴くと忘れられません。イラク爆撃の採決を求めるイギリスのキャメロン首相の演説を聴いていると、マイケル・ケインの発声を真似たのではないかと思うほど似ています。最近ではジュード・ロウ主演でリメイクされました。

Alfie - Sax Marcelo Carvalho


バカラックのなかでも名曲中の名曲ですから、サラ・ボーン、デイオンヌ・ワーウィック、バネッサ・ウイリアムズ、ナンシー・ウイルソンなど多くの女性ボーカリストが歌っています。ですが、ビル・エバンス、ソニー・ロリンズ、バーニー・ケッセル、ローランド・カークなど器楽奏者の演奏に比すと、ボーカル勢はかなり落ちますね。あえて選ぶとすれば、木村芳子でどうでしょう。

木村芳子 / YOSHIKO KIMURA _ALFIE 7/9


「ねえ、アルフィ?」とペット犬に話しかけるような驕慢な調子はまるでみられません。原曲のニュアンスや映画のストーリーとは離れているはずですが、「ねえ、あなた?」と柔らかく話すしっとりした女性像ですね。

(敬称略)
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間違えました。ごめん!

2014-09-25 23:58:00 | 政治


先ごろ、朝日新聞は吉田証言と吉田調書について誤報と認め、後者について謝罪した。当ブログでも、朝日の吉田調書スクープを事実と前提して、「私たちのセウォル号 フクイチ」を書いた。

公開された吉田調書の当該部分を読むと、「所員の9割が待機命令に背いて逃げ出した」と直ちに解釈することはできない。これが独占インタビューなら、受け止めかたの違いという強弁もあり得るが、調書というテキストだけを根拠に、なぜ、「9割が逃げた」という解釈を無理押ししたのか、正直よくわからない。

くり返すが、個人の勇み足ならあり得るが、チームで取材した結果なら、考えられない。当然、「フクイチ」の取材経験を買われてチームに参加したはずだから、「所員の9割が逃げた」なんてことがあれば、それまでに多少は見聞きしていたはず。

それとも、ブログに書いたように、マスコミが真っ先に逃げ出したために、やはりわからなかったのか? とすれば、確信もないまま、吉田証言に乗ったのか? いや、調書と証言を間違えたのではない。

吉田証言も吉田調書も、勇気ある当事者の直接な見聞に基づく告発であることへ依存したせいで、間違いを犯したと思える。はたして勇気が問われているのか? 当事者であるのか? 直接の見聞なのか? 「告発」以前に、当然、検証されるべき事実がなおざりにされていたのではないか? 

吉田調書の当該部分を読むかぎり、少なくとも、「所員の9割が待機命令に背いて逃げ出した」というのは、「そう聞いた」という吉田所長の伝聞証言である。であるなら、当然、伝聞の裏づけを取らなければならない。それなら、取材のイロハである。

吉田証言と吉田調書の誤報問題を考えているとき、なぜか、アントニオ猪木のコメントが思い浮かんだ。「いちばん弱い奴が行った」というものだ。

1998年10月11日、プロレスラー高田延彦が無敗のヒクソン・グレーシーにPRIDE.4のリングで挑み、1R、腕ひしぎ十字固めであっけなく負けた後、猪木はそう吐き捨てるように言ったものだ。プロレスラーのなかでは、高田延彦はいちばん弱いと断じたのだ。

じつは、マスコミのなかで、朝日はいちばん弱い環なのではないか? 

「吉田調書」報道、なぜ朝日新聞は誤ったのか-吉田調書と朝日新聞記事の対比
http://www.iza.ne.jp/kiji/events/photos/140912/evt14091208000002-p4.html

(敬称略)
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白人ジャズが好き

2014-09-17 22:44:00 | 音楽
やっぱ、ズージャだな。私の師匠であるマルスなら舌打ちするだろうが、ヨウツべで音楽検索するようになって、白人ジャズが好きなことに気がついた。昔は、みんなが神のように崇めたビル・エバンスが退屈でしかたなかったのに。それも、北欧とかの正規の音楽教育を受けた演奏家に惹かれる。なぜだか考え中だが、ひとつにはジャズという音楽スタイルをその蘊蓄抜きで楽しめるようになったのだと思う。ウイントン・マルサリスが米音楽誌のインタビューに答えて、「日本の客はジャズをわかっちゃいない」と嘆いたそうだ。アメリカ黒人の伝統音楽であることを忘れるなかれという主張はわからないでもないが、「そんなことは知っちゃいない」という「ジャズファン」が出てきているのも、ひとつの成熟ではないかと思う。教養主義的に音楽や本に接することはとっくに廃れて、そのスタイルだけが残っているに過ぎないのに、ないものねだりに思えてしまうのはひねくれすぎだろうか。音楽は作曲家や作詞家、演奏家といった一家を成した者の所有ではなく、いつでもどこまでも、「ファン」のものだとは当たり前のことだ。歌や演奏が聴衆を集めるのではなく、聴衆の中から歌や演奏がはじまったのが、初源だろう。というのも典型的な歴史主義的な口振りなので、我ながら苦笑するしかない。つまらんお喋りはこれくらいにして、「どないだ、これ」です。最後だけ、毛色が違っているが、おなじみのメロディのところだけでも聴いてほしい。違うから。

Joonas Haavisto Quartet - ´Round Midnight


Seamus Blake - Body and Soul


Dear Old Stockholm ~Salute to Charly Cristian / 西条孝之介 沢田駿吾 etc,


Kaoru Abe - Lover Come Back To Me [1971]


(敬称略)
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週末はレバニラ炒めを

2014-09-11 23:20:00 | レンタルDVD映画



昨夜、CATVのチャンネルNEKOで園子温の「地獄でなぜ悪い」を放映していた。期待せずに観はじめて、ついに最後までつきあった。うん、わるくなかった。いや、よかったかも。むしろ、すばらしかった、といって過言ではないだろう。歯切れが悪い? だってさ、あらすじが紹介できないほど、でたらめな作品なんだから。あらすじが成立しない。つまり、荒唐無稽がテーマといえばテーマ。

観るべきポイントは、まず日本のお父さん俳優になりつつある國村隼の怪演。クリストフ・ヴァルツを「オーストリアの國村隼」と呼んできたが、國村隼を「日本のクリストフ・ヴァルツ」と称さねばならなくなってきたかと最近の彼には落胆していた。それは杞憂であったようで、「日本のタランティーノ」園子温のおかげで、かつての饒舌でスタイリッシュで非リアリな國村隼が帰ってきた。

タランティーノにつらなるのは、園子温ではなくて「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」を撮った三池崇史だろうという声が多いだろうが、「地獄でなぜ悪い」は明らかに、タランティーノ脚本の「フロム・ダスク・ティル・ドーン」を想いださせる。

そして、園子温とタランティーノが本質的に似かよっているのは、その daily conversation の頭が足らん感なのだ。この二人は、そのまま土方のおっさんやトラック運転手、焼き肉屋の店員、キャバクラのおねえちゃん、などと話せるのである。よい意味で、というのも変だが、一見してみれば、頭が足りなそうだし、その作品を凝視しても、やはり頭が足りないと思えるのだ。映像に頭が足りない爽快感が横溢している。「そんな考え込まずに、思い込まずに、観たまんまを楽しめよ、映画なんて、そんなもんだろ?」というニヤニヤ笑いを作品にしているのだ。

次のポイントは、よおく観なさいよ。二階堂ふみの腰のくびれだ。日本の女優というより、日本の女に腰がくびれたのは少ない。いい女というのは、この際だから教えておくが、腰がくびれて、足首がキュッと締まって、口角のクィッと上がっている女だ。なかでも腰のくびれは稀少である。ま、知ってる人は知っているが。

タランティーノ作品のほとんどが、「映画の映画」であり、「映画へのオマージュ」をテーマとしているように、「地獄でなぜ悪い」も「映画のための映画」である。いま、(映画のための)と打ち込んだら、打ち損ねて、<映画炒め>と出た。これは合縁奇縁かも。メタ映画とか、オマージュとか、気取ることはない。ようするに、「映画炒め」なのだ、「地獄でなぜ悪い」も。ヤクザの殴り込みをそのまま映画に撮ろうというんだから。

監督と撮影スタッフは、8ミリ映画を自主制作してきたアマチュア仲間。高校時代から10年たっても、ビデオカメラに機材を変えただけで、「平成のブルース・リー」主演のアクション映画をつくることを夢見ている。ほら、どの映画を「映画炒め」したか、もうわかったね。「桐島、部活やめるってよ」の映画部こそ、「地獄でなぜ悪い」のファック・ボンバーズなんだよ。神木隆之介君の10年後、28歳を長谷川博己が演っているわけだ。

「桐島」がゾンビ、「地獄」がブルース・リーという世代の違いはあれど、明らかに見立て、返歌、変奏である。日本では、オマージュなんて気恥ずかしい野暮な言葉は使わないのだ。オマージュなんてソバージュくらいが似合いだな。あとね、最後に警察が出動するのは、ただのお約束だからね。刺身のつまの大根の千切り。とにかく観てよ。元気が出るよお。こんなでたらめな映画は日本でなきゃできないって優越感にひたれるぜ。いまのところ、今年のベスト1だ。最近は、あまり映画を観てないんだが。

(敬称略)
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