コタツ評論

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無名仮名人名簿

2008-11-30 02:55:04 | ブックオフ本
『無名仮名人名簿』(向田 邦子 文春文庫)

痛々しい。痛ましい。痛い気な(もちろん、当て字は承知)。痛たまれぬ(前記に同じ)。そこらへんが、ファンにとってはたまらないのだろうな。俺にはちょっとつらい。「おまえさんね、」とか、そこらのおっさんにいわれていたかと思うと。

そこらのおっさんが女性に向かっていう「おまえさん」ってのは背筋がゾッとするな。こういうやつは、ちょっと許せない。女性が男にいう「おまえさん」は格別だが。いまどき、そんな女はいないって。そらそうですが。

「おまえさんね、」とか、そこらのおっさんにいわれて、向田邦子さんは奥歯噛みしめたこともあるんだろうな。勝手な想像だが。一人前の女性に向かって、「おまえさんね、」とか、説教はじめるような大人になってはいけないと文部省の指導要領に明記すべきだよな。

俺は、「おまえ」ということはあるが、たいていは「君」だな。ほかに適当な呼び方が思いつかない。「あなた」は気取りすぎだろ。ネットで、「あなた」と呼びはじめるときは、必ず対手は男で、ロックオンしたという合図だな。

(景勝略)



イースタン・プロミス

2008-11-28 00:11:45 | レンタルDVD映画
http://www.easternpromise.jp/

ヴィゴ・モーテンセン主演、デヴィッド・クローネンバーグ監督コンビの「日活ヤクザ映画」。ヴィゴ・モーテンセンは渡哲也、ヴァンサン・カッセルは川地民夫、ナオミ・ワッツは松原智恵子、悪者ボスのスタールは安部徹の役所である。となると監督は舛田利雄だろう(「無頼」より大幹部 1968)。「無頼」シリーズのファンなら、ナオミ・ワッツが松原智恵子とはとんでもない、松尾嘉代だろうという年増批判が出るかもしれない。松原智恵子に比肩するハリウッド女優などいるわけないじゃないか。ヴィゴ・モーテンセンは渡哲也というより、「エースのジョー」宍戸錠の扮装だというかもしれない。衣装を扮装だとはひどい言い様だが、そこまでいうなら噴装が近いだろう。ロシア人少女をレイプする悪者ボスは、安部徹で観たかった。あれほど素晴らしい悪役は、世界の映画界を見回してもそうはお目にかかれない。2008年のゴールデングローブ賞やアカデミー賞にノミネートされたというが、40年も古い日活作品に負けている。ヴィゴ・モーテンセンとクローネンバーグがコンビの前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』には感心したのだが、買いかぶりだったかと疑いはじめている。

みんなが書いているから俺も

2008-11-25 01:51:53 | ノンジャンル
厚生省元事務次官夫妻の殺害事件について、というより出頭してきた小泉毅容疑者について、報道とネットは過熱している。被害者への哀悼と加害者への怒りは前置きに過ぎない。「許し難い犯罪」という憤りや「奥さんまで殺すとは」という驚きは、駄弁の申しわけに過ぎない。秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大容疑者と同様、あのときもいまも被害者(たち)は、はるか後景に引いている。その大義名分はある。事件の全容と犯人像の解明が次なる事件を防ぐと。しかし、それを信じている者が、はたして全国に何人いるだろうか。

容疑者や犯人は根ほり葉ほり、事件に至るまでの人生を跡づけられ、その言動はさまざまに解釈され、スポットライトを浴び続ける一方、被害者は被害者という記号を押しつけられ、名前すら誰にも記憶されない。その不均衡と落差をいまさらなじるつもりはない。俺もこうしてニワカ評論家の名乗りを上げているに過ぎないわけだから。「知る権利」は生者のものであり、せいぜいが「死者に代わって」遺族が要求するにとどまる。また、被害者と加害者に関係性がないという意味で「動機なき殺人」の場合、解釈の対象は容疑者もしくは犯人にだけ、向かわざるをえない。

しかたがないことだとすら思う。被害者は二度殺された。一度目は犯人によって、二度目は事件をめぐる報道によって、という気が利いた風な言いまわしがあるが、マスメディアから発すべき言葉ではないし、マスメディアからの情報に依拠して発せられるべき言葉でもないと思う。報道批判がしたいだけで、実は被害者など眼中にないことでは、犯人情報を満載することで読者の興味本位に応えて売り上げを伸ばそうとするメディアと、ほぼ選ぶところがない。それをいうとすれば、わずかに遺族や友人だけであり、代弁する権利や必然性は他の誰にもないだろう。

しかし、俺が気にかかるのは、そういうことではない。異常で残虐な事件が起きる。メディアがその詳細を報じる。それについてこうして俺が某かを書く。その間に、俺の中で起きていることについて、である。誰に頼まれたわけではない。心覚えに書きとめておく。日記代わりである。俺はそう思ってきたし、いまもそう思っている。それで問題はないはずなのだが。

たとえば、山口剛彦元厚生次官に面識はないが、俺は彼と奥さんの葬儀に出ることができたはずだ。焼香をして香典を包む。たくさんの人が来ていたはずだ。あちこちで立ち話の輪もできただろう。そこで、誰彼をつかまえて、俺はここで書いているような話をするだろうかと想像してみる。けっして、しなかっただろうと思う。

このブログを書いているネットは、よく公共の場だといわれる。言論空間ともいわれる。では、山口剛彦夫妻の葬儀会場は、場として公私のいずれなのだろうか。俺は私的な場だと思う。そこでの俺は必ず自制しただろう。しかし、ネットという公の場では書いてしまう。社会的にはもちろんのこと、自らの内に何の必然性もないのに。

つまり、俺にとっての公私の使い分けがあり、私の場では当然抑制されている何らかの欲望が、公の場においてこそ発動しているとしか考えられない。そこが小泉毅容疑者と俺は通底するように思う。何かとんでもない公私の錯誤がありやしないか。私の場ではけっして行わない言動を、公の場ではさほど躊躇しない。それはなぜなのか。

その謎は、公にはないのではないか。私に有る、というより、私が無いことへ向かう謎ではないかと、TV画面の小泉毅容疑者の顔を眺めて思った。私が無い顔だと思った。父親とは十年余も音信不通、決行前の身辺整理の品を同じアパートの顔見知りですらない住人に渡すなど、彼にとって近親や友人がいたことはなかったと思わせる。

彼が唯一、愛情を感じた家族は犬のチロだけだったとすれば、それから30年以上も恨みをつのらせた末の「ペットロス殺人事件」と嘲笑できるだろうか。俺たちは彼を例外とするほど、豊かな私を抱いているだろうか。あるいは、家族や友人などが、ほんとうに俺たちの私であり得ているのだろうか、という問いが立てられる。

秋葉原では、私を満喫している人たちがいる。加藤智大や小泉毅容疑者は、すでに私にはなり得ない家族や友人にとらわれたがゆえに、社会を道連れに自殺することで自らを公へ解放しようとしたのではないか。私への入り口が見つからず、公という出口、犯罪というドアは見つけられた。だから、開けた。そんな風に思えるのだ。

家族を核として、友人や職場の親しい同僚、趣味を同じくする仲間、といった同心円に拡がる私的領域は、必ずしも親密圏と重なるものではない。重なる、重なるべきだという物語が溢れている。そうであってもちろんかまわないが、そうではない人も少なからずいる。そうではない物語はまだじゅうぶんに綴られてはいないが。

公とは何か、ではなく、私とは何か、という問いの立て方がいま必要ではないかと思う。いったい俺は何が言いたいのか。もう少しで届きそうな気がするのだが、ごく平凡な見解かも知れぬが、まだ、続く・・・。

降参した歌3 変更は来るんです(google翻訳)

2008-11-19 23:59:49 | 音楽
オバマさんが次期アメリカ大統領に決まりました。オバマさんのキャッチフレーズといえば、”Change!”と”Yes We Can!”。40年前にSam Cookeが歌った”A Change Is Gonna Come”の”Change”と”Yes It Will”の本歌取りでしょう。”A Change Is Gonna Come”は、オバマの選挙キャンペーンに多大な貢献をしたようです。

「ブラック」・オバマといわれますが、周知のようにオバマ氏はアメリカ黒人奴隷の子孫ではありません。父はアフリカ人、母はアメリカ白人ですから、ハーフであり、白人の子どもでもあるわけです。だからこそ”We”という発語が説得力を持つのですが、黒人層の支持を取り付けるのには、やはり虐げられた人種差別の歴史をアピールするのが有効です。

一方、サム・クックはミシシッピ州に生まれ、後にシカゴに移住。父親は牧師。聖歌隊のゴスペルで歌を学び、R&Bに転向してスター歌手となりますが、人気絶頂の1964年、ロサンゼルスのモーテルで管理人に射殺されました。33歳。白人女性を部屋に連れ込んで憤激を買ったという説もありますが、真相は定かではありません。南部の農場から都市に囲い込まれ、宗教と家族の絆に育ち、芸能やスポーツで身を立て、しかし差別のくびきを脱することはできない。典型的な黒人の生死です。

「アチェンジイズゴナカム」というメッセージソングを書くだけに、彼はただの歌うたいではありませんでした。白人に簒奪されるばかりだった著作権を自分で管理した数少ない黒人ミュージシャンであり、キング牧師やマルコムXとも交流する政治意識の高い人でした。「アチェンジイズゴナカム」もボブ・ディランの「風に吹かれて」に触発されて書かれたというエピソードもあります。オバマ氏はアメリカ黒人としては非嫡子ですが、サム・クックはアメリカ黒人としてはもちろん、当時勢いを増していた黒人解放運動の嫡子でもあるわけです。スパイク・リー監督の映画「マルコムX」の最後にこの
「アチェンジイズゴナカム」が流れます。

ところで、一時は初の黒人大統領候補と取りざたされた共和党員のコリン・パウエル元国務長官がオバマ氏支持を打ち出して話題になりました。記者から、「オバマ氏はイスラム教徒といわれているが」と聞かれたパウエルは、「それが何か問題でも?」と聞き返し、「イスラム教徒であれ、キリスト教徒であれ、大統領職には関係ない」といったそうです。いい話ですね。

Sam Cooke
やはり名唱です。
http://jp.youtube.com/watch?v=wUT1WgHat6I

Seal
この人が歌ったことでオバマキャンペーン歌になったようです。
顔面がデコボコしているのはどうしてでしょう。
http://jp.youtube.com/watch?v=cUrsMGf2Cqk

Aretha Franklin
ゴスペルにしています。カバーを越えています。
http://jp.youtube.com/watch?v=onN9qSTLaAo&NR=1

Otis Redding
サム・クックが名唱なら、この人は絶唱です。
http://jp.youtube.com/watch?v=S2V3REseFwE&feature=related

Terence Trent d Arby
黒人差別の歴史を重ね合わせたプロバガンダ的な投稿がyoutubeにはいくつもあります。でも、テレンストレントダービーいいですね。
http://jp.youtube.com/watch?v=zwSBbfECfFk&feature=related

THE NEVILLE BROTHERS
きれいで、おもしろい声ですね。
http://jp.youtube.com/watch?v=D_76L6rgF6M&feature=related

Luther Vandross
http://jp.youtube.com/watch?v=cSmd6PdVxfQ

Tina Turner
おなじみ鏡獅子ヘアのティナです。
http://jp.youtube.com/watch?v=dkjShklowGo

Al Green
http://jp.youtube.com/watch?v=4ybutf-1J7s

Allison Moorer
ぜんぜん知らない人。プロなのかアマなのかわからないが、いい声です。
http://jp.youtube.com/watch?v=7sqRjcAEXGA

James Brown
凄いですね。ひたすら凄い。神ですね。
http://jp.youtube.com/watch?v=4DAfBZbz3tI

Brian Owens
http://jp.youtube.com/watch?v=CfybqvVxagE

Thomas Rhyant
なんと井沢八郎も歌っていたんですね
http://jp.youtube.com/watch?v=WWDg-VrPXxw

Murali Coryell
http://jp.youtube.com/watch?v=EGJzGzwkWqY

bob dylan
サム・クックの映像が挿入されています。動いてます。ハンサムですね。ボブ・ディランの「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」を歌っています。
http://jp.youtube.com/watch?v=6_nP55cAwsk

Billy Preston
http://jp.youtube.com/watch?v=4CyDo1M_xsE