コタツ評論

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適応力について

2019-11-09 22:42:00 | スポーツ
WBSS バンタム級決勝の井上尚弥 VS ノニト・ドネア戦を観た。翌日の試合を振り返った記者会見も視聴した。いずれも Youtube だった。いうまでもなく凄い試合だったのだが、記者会見にも釘づけになってしまった。

井上尚弥の窮地救った息子「初めて顔浮かんだ」会見
https://www.nikkansports.com/battle/news/201911080000403.html

所属ジムの大橋会長が語った「適応力」について、井上尚弥が語った内容に感嘆した。「適応力」とは何かということを考え直してしまった。

「早いラウンドに決着がつくと思った」と井上も大橋会長も出だしでは思ったそうだ。ドネアのパンチやスピードは「想定内」のものだったので、初戦のパヤノや準決勝でロドリゲスを下したときのように、2、3ラウンドでKOできると踏んだわけだ。ところが、

「2ラウンドに左フックをもらって目を切ったことで、すべて(の作戦・計画)が壊れてしまった。そこから12ラウンドまでずっと二重に見えて、ドネアが二人いるような状態が続いた」

目を切ってからはいつもの尚也ではなかった。得意の左ボディフックは一発も出せず、ほとんど無駄なパンチを出さないはずなのに、おおぶりのパンチが何度も空を切る。それでもドネアをぐらつかせたりしたが、コンパクトで鋭いドネアのカウンターを一発でも食らえば、とひやひやしたものだった。じっさい、痛打を食らってクリンチに逃れるという、これまでの輝かしいキャリアではあり得なかった光景も見られた。

二重に見えるという片目より悪い状態をドネアを含む相手陣営に隠し通すために、右目をしっかりグローブで覆うポーズに変えて、出血を気にして TKO を恐れているように思わせた。そんな舌を巻くような冷静な試合運びを裏づける言葉がこれだ。

「後に出血がひどくなり、完全に右目が見えなくなったことで、もうグローブで右目を隠す必要がなくなって返って楽になった」

つまり、受けたダメージを隠すという以上に、ダメージの所在を誤認させたのだ。

ドネアのパンチが見えないから、左しか応酬できないのを逆手にとって、左ジャブを多用してポイントを積み重ねるというマイナスをプラスに転じる作戦も同様だろう。

8,9ラウンドを捨てて終盤のラウンドに体力を温存して、ドネアを迎え撃つか勝負に出る。2ラウンドに右目を切ってから、そうした判定をも視野に入れたゲームプランをすぐさま立てて、ラウンドごとに着々と実行していく。

これが井上尚弥の「適応力」なのだ。比べて、我々の「適応力」ときたら、涙目をした負け犬の苦笑いではないか。ただ我慢して、堪えて、慣れるまで俯いているだけ。

いかにダメージを受けようとどれほど不利な条件があろうと、どうしたら相手の優位に立って戦い続けられるかを考えつつ、同時に一瞬一瞬を勝ちにいく。それが井上尚弥の「適応力」なのだ。ただただ具体的に何かを仕掛けていく、大きく小さく。

ジャーナリズムと我々が大好きな艱難辛苦の物語性など、そこにはない。井上尚弥は試合終了直後、セコンドのスタッフに、「楽しかったあ」と笑みを洩らしたそうだ。

いや、ひとつだけ。「ボディにくるかと思ったパンチが顔面に来た」とき、一回だけ、倒れそうになった。そのとき、「初めて息子の顔が浮かんだ」。おかげで、なんとか立ち直ることができたという。

「息子」については、ドネアが恥を忍んで井上にアリ・トロフィーを一夜借りたという佳話が伝えられている。


モハメッド・アリの名を冠したアリ・トロフィー

ドネア陣営 優勝トロフィー貸してくれた井上と大橋会長に感謝
https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/boxing/1614813/

36歳と盛りを越えてさえこれほどなら、全盛期のドネアはどれほどのボクサーだったのか。たぶん、ボクシング史に残る名勝負となったのはドネアの奮闘のおかげですが、ドネアもまた、「残念だったけど、楽しかったな」と独りごちている気がします。

11月10日 追記

井上尚弥 眼窩底骨折だった 手術は回避「鼻も骨折していました。。」
https://news.livedoor.com/article/detail/17357624/

いやはやまったく!

(止め)






今週のGJ ジョーの明日

2019-05-01 19:08:00 | スポーツ
センチなNunbar節がときどき鼻につくときがあるが、これはギリギリにとどめている。ボクシング分野にはときどき文学的好読み物が出てくるのは、ボクシングという野蛮で危険なスポーツに何かがあるせいで、優れた書き手を惹きつけるのかもしれない。

今もリングを目指す辰吉丈一郎。あしたのジョーは、もういない。
https://number.bunshun.jp/articles/-/839060

辰吉の王座を奪った元WBC世界バンタム級チャンピオンのウィラポンは、当時の「バンタム級最強は辰吉丈一郎だった」と振り返っている。

元WBC世界王者ウィラポンが、辰吉丈一郎、西岡利晃、長谷川穂積を語る
https://a-sign-box.com/2018/06/17/veeraphol/

6歳からキックボクシングをはじめたウィラポンにとって、ボクシングは「仕事」だった。マンガ「あしたのジョー」には、「仕事」として矢吹丈に挑んでくるボクサーはいなかったな。

バンタム級歴代最強といわれる井上尚人のロドリゲス戦がますます待ち遠しくなるばかり。

(敬称略)

イチロー賛江

2019-03-22 23:32:00 | スポーツ
とりたてて野球ファンでもベースボールファンではないので、イチローの引退についてとくべつな感慨も意見もない。ただ、記者会見の受け答えのひとつの見本として、イチロー会見の「ノーカット版」と「まとめ」を併せて掲載する。

イチローの言葉だけを読んだなら、どうして「見本」なのか、わからないだろう。記者の質問のほとんど(最後の質問だけはGJだった)はまことにくだらないのだ。そのくだらない質問を受けて、当意即妙に、しかし本質的な事柄を含んで、イチローは答えた。自分の考えがあるということがどういうことなのか。イチローは示してくれた。

そこいらの社長や会長、CEOだかCLEOだか、あるいは審議官だか次官だか、首相だか大臣だか知らないが、これから記者会見に臨む機会がある人は、イチロー会見をよっく見たほうがよい。そして、思い知るだろう。自分にはさしたる考えなどないということを。

したがって、適当なスピーチライターを雇うか、側近の書いた原稿を暗記して、記者会見の場では原稿を読み上げるに徹した方がよいのだ。記者の質問がくだらなかったり、繰り返しばかりだから、記者会見が失敗に終わるのではなく、自身が不慣れなくせに、自分には経験と実績があり、それなりの考えもあると誤認した結果なのだ。

とはいえ、じつのところ、イチロー会見はそういう人の参考にはならない。イチローほどの経験と実績がある人は滅多にいないだろうし、試合に出られなくとも黙々と練習と調整、チームへの貢献を積み重ねる努力をしてきた人もまずいないだろう。

この会見ではイチローには珍しく、試合に出られなかった日を「誇りに思う」と口にした。最多安打やMVP、ゴールデングラブなどの実績を上げた場面では、「通過点」としかいわなかった男が、である。

たとえ参考にはならずとも、今後、うぬぼれ鏡の向こうからイチローの真摯な眼光を思い出すことはあるかもしれない。そのとき、自らの教養や知識がじつのところ蘊蓄に過ぎず、「自分の考え」など支えていないことに気づき、相応に謙虚になることを教えてくれるだろう。

言葉は言葉それだけで語ってはならない。質問や対話の中で生まれてくるものである限り、コミュニケーションとして考えられ、判断され、評価されねばならない。イチローは会見において、インテリジェンスだけでなく、質問者する記者と、その向こうに控える視聴者や野球ファンにディセンシーを示し、それがイチローのディグニティとなった。

カタカナ語の頻発をご容赦願いたい。日本語だと感じが出ないのである。そういえば、最近死んだ内田裕也の主演映画「コミック雑誌なんかいらない」の最後で、内田裕也が「アイキャントスピーク」だか「アイドントスピーク」だか忘れたが、「ファキングジャパニーズ!」と叫んでいたっけ。

さて、たぶん、これから、いや、もうすでに、『イチロー名言集』や『世界で勝ち抜く男のクールな言葉』といった本が、いくつも企画されて動き出しているはずだし、続々と出版されるだろう。私は買わない。しつこいが、イチローの言葉より、あのくだらない質問の数々から、正統で正当な答えを返すところがグレートなのだ。

“イチロー節”全開、85分間の引退会見 一問一答ノーカット「孤独感は全くない」
https://full-count.jp/2019/03/22/post325131/6/

惜しいかな、よくできた「まとめ」だが、2番目だけが間違っている。イチローは引退を「後悔していない」のである。

イチロー選手の会見のまとめ!これを読めば会見の詳細がよく分かる!!
https://twicolle-plus.com/articles/431902

(敬称略)

all or nothing

2019-01-20 23:38:00 | スポーツ
「勝者には何もやるな」”Winner Take Nothing”, Ernest Miller Hemingway の短編中の有名な一節です。

「他のあらゆる争いや戦いと違って、前提条件となるのは、勝者に何ものをも与えぬこと―その者にくつろぎもよろこびも、また栄光の思いをも与えず、さらに、断然たる勝利を収めた場合も、勝者の内面にいかなる報償をも存在せしめないこと――である。」
(三笠書房刊『ヘミングウェイ全集 -第1巻-』谷口睦男訳)


また、「敗者が全部取る」”Loser takes all”というGraham (Henry) Greene の小説もあります。ヘミングウェイやグレアム・グリーンを読んだはずの梶原一騎は、力石徹に敗れた矢吹ジョーの控室に押しかけた記者たちに対して、丹下段平にこう言わせます。

何だいあんた達は?部屋間違えたんじゃ無いのか?敗者には何もくれてやるな、それがこの世界の掟だ!さあ勝った力石の部屋はあっちだ!

「勝者には何もやるな」
「敗者が全部取る」
「敗者には何もくれてやるな」

それぞれにいろいろな解釈が考えられますが、「敗者には何もくれてやるな」に得心する優れたボクシング記事に出会いました。筆者は森合正範という東京新聞のスポーツ記者でした。

井上尚弥に敗れた男が初めて明かす「モンスターの実像」
怪物に敗れた男たち①

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58544

「井上尚弥はすべてが理想形」敗れた元世界王者が語る怪物の実像
怪物に敗れた男たち②

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59401

おまけ①

グレアム・グリーンさん。たぶん、ヘミングウウェイがかくあれかしと望んだ顔であり、たぶん、丹下段平のモデルだと思う。

おまけ②
冬の歌なので。
広瀬香美 / promise


(敬称略)

クロアチアよくやった!

2018-07-16 16:12:00 | スポーツ
なんと楽しい動画なり。日本じゃ考えられないのが辛い。「プレイの邪魔をするなんて言語道断」というワカランチンが涌いて出るだろうな。