コタツ評論

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一億三千万人のための小説教室

2009-04-30 13:28:00 | ブックオフ本
タイトルを書き写すのからして恥ずかしいが、一億三千万人に必携の名著です。

『一億三千万人のための 小説教室』(高橋 源一郎 岩波新書)

2001年、高橋源一郎がNHKの「ようこそ先輩」 という番組に出演して、母校である船橋小学校の小学校6年生に、「小説の書き方」を教えた授業を元にしています。どこまで番組内容に忠実なのかわかりませんが、たしかに小学生に語りかけるように書いていて、誰でも易しく読めます。

レッスン1は<小学生のための小説教室>です。つまり、著者は、一億三千万人を小学生扱いにしています。どうして私たちは小学生なのでしょうか。一億三千万人のほとんどが、著者の言う「小説以前の、小説のようなもの」しか読んだことがなく、ましてや自分で小説を書いたことはもちろん、書こうと思ったことさえないことは間違いないからです。四十年間、毎日のように小説を読み続け、小説を書いてきた著者が、私たちを小学生扱いにするのは一理あります。

それでも、一読して、これは平成の「綴り方教室」であると、エログロナンセンスを厭わぬ例文を差し替えて教育現場に導入しよう、と思う向きもあるかもしれません。でも、それはお門違いというものです。著者によれば、ちょっと手引きすれば、わずか3回の授業で小学校6年生はすぐに小説が書けたのに、私たち大人は書けないのです。

どうして私たちは小説を書けないのでしょうか? 小説を書く必要がないからです。それをいえば、小説を読む必要もありません。ただ、「小説家」にはちょっと憧れるところがあるかもしれない。

「とにかく、小説というものを書いてみて、ちょっと誉められて、あわよくば、どこかの新人賞でもとってデビューできれば御の字」だと。

「映画監督」や「プロ野球監督」「指揮者」には、そう簡単になれそうにはないけれど、「小説家」には何かの拍子にひょいとなれそうな気がします。原宿を歩いていたら、芸能プロのスカウトに声をかけられ、あれよあれよというまにアイドルになっていたというような。だって、あれくらいの「小説」なら、誰にだって書けそうな気がするじゃないですか(実は書けないのですが、あれくらいでも)。

著者の書棚には、「小説の書き方」「小説教室」といった類の本が50冊以上もあるそうです。でも、「小説の書き方」や「小説教室」を読んで小説家になった人はひとりもいない、と著者は断言します。じゃ、この本は何なんだ、といいたくなりますが、この本は「小説家」になるための本ではなく、小説を書くための本なのですね。「小説の書き方」や「小説教室」を読んで小説家になった人がいない理由を、

a)その本を書いた人は、ほんとうは「小説の書き方」を知らないから
b)その本を書いた人は、「小説の書き方」を知ってはいるが、教え方がわからないから


と著者は推測します。なるほど、「小説の書き方」と「教え方」の両方を知っているのは、この高橋だけだといいたいわけかと鼻白んでいると、別の答えが用意されています。

C)小説家は、小説の書き方を、ひとりで見つけるしかないから

やっぱり、じゃこの本は何なんだ、といいたくなりますね。また、著者は読者を篩い分けしているようです。小説家になりたい人と小説を書きたい人に。でも、タイトルは、洩れなく「一億三千万人のための小説教室」です。

昨夜、CATVで「銀河ヒッチハイクガイド」というイギリス映画を放映していました。眠かったので、冒頭でイルカが「いつも魚をありがとう~♪」と歌うところから、地球が滅亡して主人公が銀河ヒッチハイクに出かけるまでしか観ていませんが、おもしろそうでした。

主人公はガールフレンドから、マダガスカルに行こうと誘われ、コンウォールくらい(東京と奥多摩くらいの位置関係か)にしようと尻込みするような、気弱で億劫がりなのに、銀河ヒッチハイクに旅立つ羽目になります。しかたがありません。もう地球はないのですから。

この本も少し似ています。私たちを言葉の宇宙に連れ出す「小説ヒッチハイクガイド」のようです。地球を失って銀河ヒッチハイカーになったように、過去の小説ではなく、これから「私」が書く未来の「小説」に続く旅のガイドです。この本の中でも、小説を星雲に喩えています。その星雲には「小説以前の、小説のようなもの」も含まれているそうです。

 小説というものは、たとえば、広大な平原にぽつんと浮かぶ小さな集落から抜け出す少年、のようなものではないでしょうか。
 そこがどれほど居心地のいい場所であっても、見晴らしのいい、小高い丘に座って、遙か遠くの地平線あたりを眺めていると、なんだか、からだの奥底からつき動かされるような衝動にかられる。それは、ここではないどこか、へ行きたいという衝動です。
 やがて少年は、その集落を、夜中に、ひとりこっそり出ていきます。そして、新しい集落を、その広大な平原のどこかに作る。だが、やがて時がたつと、また新しい少年がその集落から、深夜にそっと、彼の勇敢な先祖がそうであったように、抜け出してゆくのです。

 ミラン・クンデラという小説家は、こういうことをいっています。
「人間の限界とは言葉の限界であり、それは文学の限界そのものなのだ」

 いまそこにある小説は、わたしたち人間の限界を描いています。しかし、これから書かれる新しい小説は、その限界の向こうにいる人間を描くでしょう。
 小説を書く、ということは、その向こうに行きたい、という人間の願いの中にその根拠を持っている、わたしはそう思っています。

 それは人間の「本能」ではないか、その「本能」に根ざして、文学が産まれ小説が生まれた、あなただけの言葉の道をいまから見つけてください。そういうことのようです。

その人だけの道を見つけていると著者が挙げた例文が凄いです。以下は、その一部です。

『うわさのベーコン』(猫田道子 太田出版)
『エーミールと探偵たち』(エーリヒ・ケストナー 岩波書店)
『わたしの生涯』(ヘレン・ケラー 岩波文庫)
『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治 岩波文庫)


『うわさのベーコン』を除けば、ここまではなるほどです。しかし、以下はどうでしょうか。

『ますます賢く』(武者小路実篤全集第十七巻 小学館)
『AV女優』(永沢光雄 文春文庫)
『平壌ハイ』(石丸元章 飛鳥新社)
『フィネガンズ・ウェイク ⅠⅡ』(ジェイムズ・ジョイス 河出書房新社)
『セックス障害者たち』(バクシーシ山下 幻冬舎文庫)
『桃尻語訳 枕草子 下』(橋本治 河出書房新社)
『たまもの』(神蔵美子 筑摩書房)
『ゴダール 映画史 Ⅰ』(ジャン・リュック・ゴダール 筑摩書房)


とても、NHK「ようこそ先輩」で小学6年生に紹介したとは思えません。一億三千万人の読み手にもどうかと思えますが、著者には、一億三千万人の書き手が見えていることはたしかなようです。

と、ここで終わるべきだし、そのつもりでいましたが、こうした「文集」を読むたびに、何か引っかかるものがあるのです。この本で紹介されている『うわさのベーコン』(猫田道子 太田出版)所収の小文を読んだときから、徐々に意識の表面に上がってきました。この小文は、いっとう最初に、「少し長いまえがき」の最後に紹介されます。

 最後に、一つだけ、ある「小説」の文章を引用して、この、いささか長すぎるまえがきを終わりたいと思います。

 全然関係ない話だけれど、TVのアナウンサーが「~~したいと思います」を連発するのは、こういう一種の書き言葉へのコンプレックスだったのかと肯きました。

 わたしは、いま、机の上にその小説を置き、仕事につまると、その本の頁をそっと開くのが習慣になっています。

いま、というのはいつでしょう。NHK「ようこそ先輩」の放送は2001年、この本の刊行は2002年。187頁、引用をはずせば100頁を書くのに、長い時間をかけて苦心したことがうかがえます。

 正確にいうなら、それは、小説ではありません。「限界を超えること」を本能として持っている小説だって、まだ、そこまでは行けない。いや、もしかしたら、永遠にその壁を超えることができないかもしれない。だから、それは小説ではないともいえます。

この本には、小説の引用だけでなく、詩や写真の解説やエッセイや歌集のあとがきといった、ふつう小説とは呼ばれない文章が多く紹介されています。著者がここで「小説ではない」といっているのは、もちろん「小説」以外ということではなく、「小説以前の、小説のようなもの」をもじれば、「小説以後の、小説のようなもの」を考えているからだと思います。前後は時間ではなく、手前とその先です。

 なぜ、それが小説ではないのか。
 それは読んでもらえばわかります。作者の精神のチューニングが、ほんの少し、ずれているように見えるからです。
 精神のチューニングがずれている(と思える)人たちの作品をいくつも読んだことがあります。その作品と、わたしたちの間には、大きな壁があって、理解することは不可能だ、と、私は思ったのでした。


「不可能だ、と、私は」とは、珍しい句読点の使い方をしますね。人気推理作家の西村京太郎もやたら句読点を打つので有名です。句読点とは、この人たちにとって吐く息なんでしょうか、吸う息なんでしょうか。ずれているように見えるとは、動いている歩いているからかもしれません。

 精神のチューニングがずれているふりをしている人たちの作品も読んだことがあります。そして、それはもう、とうてい読むにたえない代物ばかりでした。

ここでダメ押しされるようにして、私は酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文を想い出しました。あれは、「理解不可能」や「読むにたえない代物」どころか、少年が書いたとはとても思えない、きわめて明晰な文章でした。郊外の建て売り住宅のリビングルームやシステムキッチンから、マイカーや自転車で出かけるファミレスやコンビニ、TVゲームやインターネットに溢れた個室など、現代日本の都市生活の空虚さを、「汚い野菜」という一言で見事に表現し切ったのには驚きました。

 では、精神のチューニングがほんの少しずれている、というのはどういう状態なのでしょうか。それは、わたしにもよくわかりません。だが、その世界が、わたしたちが「人間」と呼び習わしている世界のすぐそばにあること、そして、同時に無限に遠いようにも思えることは事実です。
 わけがわからない、と切り捨てないでください。
 ヘン、の一言で片付けないでください。
 なぜなら、この作品は、この作者の前に、この作者のためにだけ続いているたった一本の道の果てに書かれた小説だからです。

酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文に比べれば、猫田道子の『うわさのベーコン』からの引用文は、当時、酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文がそう評されたように、とても稚拙といえます。いったい、このコメンテーターたちは、日本語が読めるのだろうかと、当時、首を捻りました。

そういう小説は、みんな、よく似ている。
 みんな、少し哀しく、孤独で、かたくなで、近寄りがたく、ただ自分の前だけをじっと見つめている。


あの事件に衝撃を受けた学校の先生は私の周囲だけでも何人もいました。もちろん、まず事件が残虐だったからですが、それ以上に、あれほどの感受性の持ち主が、という驚愕があったようです。反射的に、学校と社会がどれほど惨い状態にあるのか、そのことをあらためて思い知ったショックが、勝っていたように思えました。

 その一本の道が、ある、途轍もない奇蹟によって、やがて、突然、人々の住む広大な土地に達することがあります。それを、わたしたちは、習慣によって「傑作」とか「芸術」と呼んでいます。しかし、それが、稀なる出来事であることを、わたしたちは忘れてはならないのです。
 ほとんどの、一本の道は、結局、他のどの道と交わることもなく、広い場所にたどり着くこともなく、どこかへ消え去り、その道を歩いていった作者もまた忘れ去られる。それは仕方のないことです。


著者は、猫田道子の『うわさのベーコン』を「傑作」や「芸術」とは、いいません。カッコに入っていますから、また「習慣によって」と留保してることからも、「傑作」や「芸術」を醒めた眼で見ていることがわかります。私たち小学生にだって、そんなことは関係ありません。

 そして、わたしは、この作者が、遠く彼方を目指したために罰せられたのではないか、この作品は、人間という、この傲慢な(おそれを知らぬ)存在に、神が下した罰の徴(しるし)ではないかとさえ思うのです。

やはり、あの犯行声明文が甦ってきます。引用してほしかったくらいです。酒鬼薔薇聖斗には、犯行声明文ではなく、ほんとうの「小説」を書く資質がじゅうぶんにあったと思えます。残念ながら、彼自身が罰になってしまった以上、わたしたちは彼の道を見ることは、たぶんできないでしょう。しかし、酒鬼薔薇聖斗が書くべきだった「小説」を書く人が、どこかにいるかもしれません。いや、すでに書いているのかもしれません。

私には、木霊のように、酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文が重なったわけですが、著者の狙いどおり、私の木霊を呼び起こす力が、まさしく猫田道子の『うわさのベーコン』に、その小文にあったということかもしれません。酒鬼薔薇聖斗を呼び戻す声を持っていたとも考えられます。どこか近い何か似ていると私には思えたようです。

とはいえ、私にとっては、猫田道子の『うわさのベーコン』について、まだ、「ヘタウマ」くらいの感想しかありません。が、高橋源一郎が深くインスパイアされたことはよくわかりました。この本を書こうと思ったきっかけは、実は猫田道子を読んだからではないかと思ったくらいです。

では、この本から、猫田道子『うわさのベーコン』の一節の孫引きです。

 私がこの家に生まれた時から、私の身近には楽しい音楽がありました。これはきついレッスンにたえていく音楽ではなくて、私の生活の一部になっていました。
 藤原家は父一人母一人兄一人と、私。兄は私が生まれた時からフルートを吹いていたのですが、私が三歳になって、兄は交通事故にあい、フルートが吹けない体になってしまいました。その日、兄のフルートを手で持って遊んでいました。
 兄はその交通事故のあった日より三日もたたない内に死んでしまいました。
「お兄さんにはもう逢えないの?」
 私が母親に、この質問をしたのは、兄貴が死んで、ちゃんとあの世へ送り届け終わった後。それまで私は、兄貴の姿が見えないことに気づいていても、口にせず、いつかひょっこり現れてくるだろうと信じていました。
 この私の質問に母親は何かしら答えて下さったのだけれど、私は何を喋っていたのか分からなかった。”聞こえない”
 私の中で、はっきりその事が分かって、それでもまだ私の答えて下さる母親に申し訳がありませんでした。
 私は耳が聞こえないことを母親に言うと、私を耳鼻科に連れていって、耳の手術を受けさせました。お陰様で耳は、すごくよく聞こえる様になりました。楽しい音楽とやらは現在進行形でしたがフルートの音色が足りない。「これ、使わないの?」と誰となく聞いてみたら、母が、「お兄ちゃんが使っていたのだけれど、お兄ちゃんが交通事故で死んだら使う人がいなくなったんだよ。」と答えて来られたのでした。ここで改めて私は兄の死を知らされた。私は泣いてしまいました。わんわん泣いていても、母達は私をなぐさめず、自分の音楽にふけっています。それでもまだ泣いていた自分が、ふと泣くのをやめて辺りを見回すと、皆んな笑っている。”何故笑っているの?”


明日から猫田道子を探してみます。

(敬称略)

GWに読む予定の本

2009-04-30 07:38:00 | ブックオフ本


コフィン・ダンサー(ジェフリー・ディーヴァー 文芸春秋)

人気も評価も高いジェフリー・ディーヴァー。寝たきり科学捜査官リンカーン・ライムが最先端技術を駆使した検査機器を武器に、たとえば微量なガラス粉の断面の形状から、犯人の行動やその心理までピタリと推理する。たぶん膨大な取材に基づく、圧倒的なデティールを交錯させた謎解きと、二転三転どころか五回転くらいの息もつかせぬどんでん返し。電車の行き帰りに読んでしまったほど、大変おもしろいのだが、犯人から渡された指紋が付いているかもしれないジョーディの携帯電話をなぜ調べなかったか、標的に先回りされているのに事務所の電話盗聴をなぜ気づかなかったか、基本的な捜査の怠慢が不思議。

タオ 老子(加島 祥造 ちくま文庫)

これが道(タオ)だと口で言ったからって
それは本当の道(タオ)じゃないんだ。
これが道(タオ)だと名づけたって
それは本物の道(タオ)じゃないんだ。
なぜってそれを道(タオ)だと言ったり
名づけたりするずっと以前から
名の無い道(タオ)の領域が
はるかに広がっていたんだ。


という老子の現代語訳。

美しき日本の残像(アレックス・カー 新潮社)

外人の日本印象記。1952年生まれで1964年初来日というから、「印象記」というには失礼な、年季が入った日本観察者だ。エール大学日本学部卒業、ローズ奨学生としてオックスフォード大学で中国語を学ぶ。京都亀岡天満宮に庵を結び、書画骨董と歌舞伎を愛す。著者がハンサムなのが気に入った。来日した大学生の頃の野暮ったいTシャツにジーンズ姿が、いまでは洗練されてシックな中年男になっている。未読。

ホモセクシャルの世界史(海野 弘 文春文庫)

裏表紙の紹介文は以下の通り

世界史の中で封印され続けてきたタブー、「同性愛」。古代ギリシャから、ルネサンスの禁欲、<世紀末>の愛の迷宮、帝国主義と2つの世界大戦、そして、性意識の増大した20世紀に花開いた美と多様な価値観。その裏側には、知られざる壮大なホモセクシャル・ネットワークがあった。今、明かされる、前人未到の裏世界史。

著者は、『陰謀の世界史』『スパイの世界史』をものしているが、際物ではなくアカデミックな文献資料を渉猟したホモセクシャル通史。
といっても、

 十九世紀の性科学(セクソロジー)の誕生によって、<同性愛>というレッテルがあらわれた。性を分類したので、<同性愛><異性愛>という区別も登場したのである。(中略)
 皮肉なことに、性科学が名前をつけ、分類したことで、同性愛はアイデンティティの問題となり、性によって人格が支配され、差別され、牢獄に入れられることになった。(プロローグ 19頁)


ということなので、十九世紀以前は、ホモセクシャルの前史となるか。昔は両性的で男女の区別もあいまい、自由でおおらかな性意識だったが、近代化による学問と知識の権力化によって、嫌悪と差別につながっていった、という。正常が定められ、そこからはみ出すものを異常としたのではなく、分類整理されることで異常が決められたというわけだ。このあたり、フーコーが「監獄」や「狂人」について書いていたっけ。

また、キリスト教の宗教的な抑圧がホモフォビア(ホモ恐怖症)を助長はしたが、その原因ではないとする。ほんとうに歴史上の著名人の誰も彼もがみなホモばかり。つい最近までホモフォビア政策を行っていたのは、先進民主主義国だったはずの英仏だったなど、実におもしろい。

どんな視点からでも、通史を読むのはおもしろいものだが、著者の前著である「陰謀」や「スパイ」のネットワークとホモセクショナル・ネットワークを強引に結びつけようとするきらいがあるように思う。まだ、途中のオスカー・ワイルド事件の箇所。

イスラーム文化-その根底のあるもの (井筒 俊彦 岩波文庫)

名著の誉れ高い講演記録。岩波文庫らしい折り目正しく格調高い筆致。ムハンマドは砂漠の民出身ではなく、都市の商人で砂漠の民ベドウィンを嫌悪していたなど、こちらの予断や臆断を修正してくれる。たしか大川周明の「イスラム論」も100円書棚で見かけたので、読後挑戦してみたい。

ブラック・スワン(クリストファー・ホープ 福武書店)

なんだかよくわからないまま、100円だったのでつい。アフリカの少年の話らしい。子どもと動物が主要な役割を演じる本や映画は避けている。つまり子どもと動物に演じさせるという作為性が鼻につく場合が多く、それは、自分が子どもや動物であったことを、思い出せないからかもしれない。未読から積ん読、拾い読みまでいくには時間がかかりそう。

先輩お久しぶり

2009-04-27 23:57:00 | ノンジャンル
外国の大先輩からメールではなく手紙が来た。以下のような一節があった。気の毒だが、老人の繰り言である。

 かりに誰かが彼に向かって、ある快楽は立派で善い欲望からもたらされるものであるが、ある快楽は悪い欲望からもたらされるものであって、前者のような快楽は積極的にこれを求め尊重しなければならないが、後者のような快楽はこれを懲らしめて屈従させなければならない、と説き聞かせることがあってもね。
 そういうすべての場合に彼は、首を横に振って、あらゆる快楽は同じような資格のものであり、どれもみな平等に尊重しなければならないと、こう主張するのだ。

 こうして彼は、そのときどきに訪れる欲望に耽ってこれを満足させながら、その日その日を送っていくのだろう。あるときは酒に酔いしれて笛の音に聞きほれるかと思えば、つぎには水しか飲まに身体を痩せさせ、あるときはまた体育にいそしみ、あるときはすべてを放擲してひたすら怠け、あるときはまた哲学に没頭して時を忘れるような様子を見せる、というふうに。しばしばまた彼は国の政治に参加し、壇にかけ上って、たまたま思いついたことを言ったり行ったりする。

 こうして彼の生活には、秩序もなければ必然性もない。しかし彼はこのような生活を、快く、自由で、幸福な生活と呼んで、一生涯この生き方を守り続けるのだ。

 父親は子どもと似た人間になるように、また息子たちを怖れるように習慣づけられ、他方、息子は父親に似た人間となり、両親の前に恥じる気持ちも怖れる気持ちも持たなくなる。

 先生は生徒を怖れて御機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育掛りの者に対しても同様な態度をとる。一般に、若者たちは年長者と対等に振る舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、面白くない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちを真似て機知や冗談でいっぱいの人間になる。

ただ、「父親は子どもと似た人間になるように」は秀逸。こういう書き方は、日本では身につかぬものかもしれない。



僕らのミライへ逆回転

2009-04-23 17:06:00 | レンタルDVD映画


僕らのミライへ逆回転
http://www.gyakukaiten.jp/

1週間レンタルなので、しばらく観るのは先送りしてキープ。TUTAYAがガリバーになる以前、DVDではなくビデオテープをレンタルしていた頃、貸す方も借りる方も貧乏人ばかりの小さなビデオレンタル店が町のあちこちにあった。そんな店が舞台らしい。電磁波の影響で、在庫のビデオをおシャカにしていまい、窮余の策として、客が借りたいビデオ映画を自主制作するという話らしい。あの「ロボコップ」や「ゴーストバスターズ」がチープに甦って、意外や大人気というドタバタコメディらしい。

「昔は」と眼を細めたいくらいに以前、町のあちこちにあった小さなビデオレンタル店は、もっと昔に町のあちこちにあったタバコ屋と同じように、町の人たちが通うほんのちょっとした触れあいの場所だった。そういえば、ビデオレンタル店のオヤジやアンチャンは煙草を吸う人が多かった。「店長」と呼ばれていたけど、店員はアルバイトが二人くらい、事業という規模でもなく、起業というほど野心もなく、はるかに昔にあった貸本屋のように、安易にはじめたテキトーな商売に思えた。

「店長! 18歳になったよ」と駆け込んできて、アダルトコーナーに直行した学生服に、「おいおい、18歳未満お断りってのは・・・。ま、いいか」と客と顔を見合わせて苦笑いする光景もあった。昔のタバコ屋や貸本屋より暇な店主や店長を目当てに、無駄話に来る常連の姿もよくあった。「僕らのミライへ逆回転」の舞台となるレンタルビデオ店は、映画を借りる客がほとんどのようだが、日本の町のあちこちにあったビデオレンタル店の客のかなりの割合はアダルトビデオのファンのはずだったから、ちょっと隠微な雰囲気もあった。このちょっと恥ずかしいという気分がいいのだ。

さて、ビデオレンタルとレンタルビデオとは、カレーライスとライスカレーの違いか? 

いずれにしろ、いまでもレンタルDVD映画とはいわず、レンタルビデオという人がほとんどだろう。昔は、映画ファンの末端は、2・3番館と呼ばれるトイレの洗浄液が臭う場末の映画館の堅くて小さい座席に身を沈めて、2本立てや3本立ての旧作を観ていた。TUTAYAが全国制覇をする前のレンタルビデオ店とは、ちょうどそんな映画ファンの末端が集う場所だったように思う。うだつの上がらない中年男の店に、やはりうだつの上がらない客がやってきて、「おもしろかったよ」「まあまあかな」など、ちょっとした映画の感想を述べて帰っていく。

「僕らの未来へ逆回転」というなら、ま、たしかに、そんなとこかな。感想はいずれ観てから。

ICHI

2009-04-23 15:09:00 | レンタルDVD映画
ICHI  http://www.youtube.com/watch?v=SC3Qu0UvGX0



ご存じ勝新の「座頭市」のリメイクとはいえない。北野たけし監督主演『座頭市』こそリメイクだろうが、この「ICHI」は、あくまで綾瀬はるかの離れ瞽女「市」である。博多人形のようにノーブルな横顔。特徴である黒濡れた瞳が哀しみに虚ろう。しかし、襤褸をまといながらも、その白磁の肌の匂い立つ輝きを隠すことはできない。

ちょうど仕込み杖から白刃が一閃するように、ときおり覗かすうなじやくるぶし、ふくらはぎ。ワーナーブラザースの世界配給も得ているようだが、この羞恥のエロチシズムが毛唐にわかるかしらん。本当に美しい女優が久しぶりに誕生した気がする。「おっぱいバレー」や「ハッピーフライト」など、この後も綾瀬はるか主演作が続く、楽しみ。

監督は、傑作青春卓球映画「ピンポン」の曽利文彦。なるほど、窪塚洋介は「ピンポン」の「ペコ」のように頓狂な声を上げるし、中村獅童は「ドラゴン」のまま凄み怒鳴り、一方、竹内力は「カオルちゃん」のままグヘヘ。大沢たかおも、快活に笑う好青年というおなじみのキャラクター。綾瀬はるかの憂いと儚さを際立たせるためだ。

助演陣は、ほかに、柄本明、利重剛、杉本哲太、横山めぐみ、渡辺えり、といったところ。 役所広司や堤真一など、三谷弘喜映画に出演するような演劇畑の真面目な演技をする俳優ではなく、Vシネマや歌舞伎の傍流、TVから出てきた、どこかうさんくさい、それだけに芸能の猥雑な臭いがする人が多い。

曽利文彦監督もTVのCG制作出身であり、「アカデミー外国語映画賞」ではなく、「ワーナーブラザース配給、ハリウッド進出!」に似つかわしい娯楽映画をめざす、意気軒昂な「映画人」をみる爽やかさがある。

(敬称略)