コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

イチロー賛江

2019-03-22 23:32:00 | スポーツ
とりたてて野球ファンでもベースボールファンではないので、イチローの引退についてとくべつな感慨も意見もない。ただ、記者会見の受け答えのひとつの見本として、イチロー会見の「ノーカット版」と「まとめ」を併せて掲載する。

イチローの言葉だけを読んだなら、どうして「見本」なのか、わからないだろう。記者の質問のほとんど(最後の質問だけはGJだった)はまことにくだらないのだ。そのくだらない質問を受けて、当意即妙に、しかし本質的な事柄を含んで、イチローは答えた。自分の考えがあるということがどういうことなのか。イチローは示してくれた。

そこいらの社長や会長、CEOだかCLEOだか、あるいは審議官だか次官だか、首相だか大臣だか知らないが、これから記者会見に臨む機会がある人は、イチロー会見をよっく見たほうがよい。そして、思い知るだろう。自分にはさしたる考えなどないということを。

したがって、適当なスピーチライターを雇うか、側近の書いた原稿を暗記して、記者会見の場では原稿を読み上げるに徹した方がよいのだ。記者の質問がくだらなかったり、繰り返しばかりだから、記者会見が失敗に終わるのではなく、自身が不慣れなくせに、自分には経験と実績があり、それなりの考えもあると誤認した結果なのだ。

とはいえ、じつのところ、イチロー会見はそういう人の参考にはならない。イチローほどの経験と実績がある人は滅多にいないだろうし、試合に出られなくとも黙々と練習と調整、チームへの貢献を積み重ねる努力をしてきた人もまずいないだろう。

この会見ではイチローには珍しく、試合に出られなかった日を「誇りに思う」と口にした。最多安打やMVP、ゴールデングラブなどの実績を上げた場面では、「通過点」としかいわなかった男が、である。

たとえ参考にはならずとも、今後、うぬぼれ鏡の向こうからイチローの真摯な眼光を思い出すことはあるかもしれない。そのとき、自らの教養や知識がじつのところ蘊蓄に過ぎず、「自分の考え」など支えていないことに気づき、相応に謙虚になることを教えてくれるだろう。

言葉は言葉それだけで語ってはならない。質問や対話の中で生まれてくるものである限り、コミュニケーションとして考えられ、判断され、評価されねばならない。イチローは会見において、インテリジェンスだけでなく、質問者する記者と、その向こうに控える視聴者や野球ファンにディセンシーを示し、それがイチローのディグニティとなった。

カタカナ語の頻発をご容赦願いたい。日本語だと感じが出ないのである。そういえば、最近死んだ内田裕也の主演映画「コミック雑誌なんかいらない」の最後で、内田裕也が「アイキャントスピーク」だか「アイドントスピーク」だか忘れたが、「ファキングジャパニーズ!」と叫んでいたっけ。

さて、たぶん、これから、いや、もうすでに、『イチロー名言集』や『世界で勝ち抜く男のクールな言葉』といった本が、いくつも企画されて動き出しているはずだし、続々と出版されるだろう。私は買わない。しつこいが、イチローの言葉より、あのくだらない質問の数々から、正統で正当な答えを返すところがグレートなのだ。

“イチロー節”全開、85分間の引退会見 一問一答ノーカット「孤独感は全くない」
https://full-count.jp/2019/03/22/post325131/6/

惜しいかな、よくできた「まとめ」だが、2番目だけが間違っている。イチローは引退を「後悔していない」のである。

イチロー選手の会見のまとめ!これを読めば会見の詳細がよく分かる!!
https://twicolle-plus.com/articles/431902

(敬称略)
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私は猫派ですが

2019-03-19 21:58:00 | レンタルDVD映画
ーなあ、ちょっと訊いてもいいかい
 あんたは犬派、それとも猫派?

棘のように小さな傷跡を胸奥に残す映画でした。

JCOMのオンデマンドTVの洋画新作3日間540円です。

予備知識はありませんでしたが、俳優陣に惹かれました。エイドリアン・ブロディ(Adrien Brody)、アントニオ・バンデラス(Antonio Banderas)、ジョン・マルコヴィッチ(John Malkovich)。名優ぞろいです。

”Bullet_Head”というタイトル(弾頭?)から、犯罪アクション物と見当をつけたのです。「荒廃した倉庫に逃げ込んだ窃盗団が・・・」と流し読みしたあらすじから、窃盗団と警察の熾烈な攻防戦かな、ならば、たぶん、悪役のボスはもちろんジョン・マルコヴィッチ、犯罪を憎む刑事はアントニオ・バンデラスか、いや、冷酷なエイドリアン・ブロディの警察幹部から潜入を命じられたアントニオ・バンデラスが冷や汗をかきながら、裏切り裏切られ、丁々発止とギャングや警察と渡り合う・・・。そんな映画を期待しましたが、まるで違いました。

小さな店に忍び込んで3万ドルくらい入った金庫ごと盗んで逃げる途中、駆けつけた警官に撃たれて運転手は瀕死、巨大な廃倉庫に逃げ込みはしたものの、街は非常線が張られている上に、乗ってきた古いキャデラックは大破したので動くに動けない。金庫が開けられるはずの運転手は死亡したので、重い金庫を担いで出るわけにもいかない。

そんなにっちもさっちもいかなくなった、窃盗団とは大げさなただの泥棒3人組です。そのうちの中年と初老の二人がエイドリアン・ブロディとジョン・マルコヴィッチなのです。これに薬中の若造ロリー・カルキン(マコーレ・カルキンの兄弟でしょうか。顔が似ています)がおなじみの厄介者として加わります。犯罪者としてもうだつの上がらない面々です。

出るに出られぬ密室の巨大な廃倉庫のなかで、舞台劇のような3人の愛憎のドラマが繰り広げられるかというと、そんなこともなく、焦燥と不安に駆られながらも、「あんたは犬派、それとも猫派?」と訊いたりします。寄せ集めの仲間なのです。

アントニオ・バンデラスは? もちろん、重要な役回りですが、意外な役で登場します。少年のようにきれいな笑顔の持ち主なのに、ナチス将校のように無表情なので、一瞬、誰だかわかりませんでした。主な登場人物はこの4人ですが、じつは彼ら以外に、泥棒たち3人を恐怖につき落とす怪物が出てきます。

怪物とは何か、廃倉庫の秘密は? あとは観てのお楽しみですが、じつは怪物こそが主役で、エイドリアン・ブロディとジョン・マルコヴィッチ、アントニオ・バンデラスはわき役ともいえます。



そして、たぶん、企画を知り、脚本を読んだ名優3人は、負け犬泥棒たちの恐怖の一昼夜の密室劇に、二つの理由から進んで出演を望んだのだと推測します。

化物のような悪人や不死身のヒーローやどこまでも心優しい青年に扮するより、怒鳴りもせず、演説もぶたず、長い独白もしない、ありふれた不幸を抱える、世界の片隅の人物を演ずることに、まず演技者として格別の魅力を感じたはずです。

もうひとつの理由は、たぶん、彼ら自身の私生活にあると思います。これも映画をみればすぐにわかります。

追い詰められた犯罪者たちは、欲得が剥き出しになり、たいてい仲間割れを起こして、自滅していくのが常です。しかし、この映画では怪物の登場によって、「あんたは犬派、それとも猫派?」と尋ねるほど知り合ったばかりの泥棒たちが互いを助け合います。それだけに留まらず、怪物のおかげで自分のやりきれない人生と和解するきっかけをつかむのです。

密室劇とはいえ、怪物を見せられないはずなので舞台化はできません。舞台上の人物が怪物について語るとか、音響を駆使するとかで補うこともできそうにありません。それをしたら、台無しです。隠れた主役とは比喩であって、ほんとうに主役が不可視なら、やはり主役にはなりません。これは映画にしかできない映画なのです。

傑作や名作ではないし、演技合戦といえるほどセリフが飛び交ったりもしません。なにせ、「なあ、ちょっと訊いてもいいかい。あんたは犬派、それとも猫派?」と凡庸な会話をはじめるくらいです。そんなところから、殴り合いや殺し合い、あるいは愁嘆場や懺悔に発展するわけがありません。

そのうえ、さらに、これは男の映画です。女はいらない、男だけの世界を描いています。じっさい、ちらとしか女優は出てきません。そして、あなたが男なら、観終わった後、胸の奥のかすかな傷跡が疼くのに気づくでしょう。この映画が傷つけたのではありません。元からそこにあったのです。あなたが女なら、そんな男はうっちゃって、どこかへ出かけて、美味しいものでも食べてください。

最後のモリーへの謝辞に泣けます。監督のポール・ソレットだけでなく、エイドリアン・ブロディ、アントニオ・バンデラス、ジョン・マルコヴィッチ、ロリー・カルキンも、たぶん涙ぐんだでしょう。

(敬称略)
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内田つながり

2019-03-19 11:00:00 | 音楽
内田裕也が死んだそうで、彼の場合、亡くなったより死んだというのがふさわしいでしょう。

1970年初頭に「日本語でロックは可能か」論争があったそうで、内田裕也はボーカルにジョー山中を据えて「フラワートラベリングバンド」を結成、英語歌詞を引っ下げてアメリカに進出してみせました。

一方、大瀧詠一らは「はっぴいえんど」というバンドをつくって、「日本語ロック」に先駆け、いまや、そんな論争さえ忘れ去られるほど、「日本語ロック」は当たり前になったのはご存知の通り。

しかし、最近のヒットチャートには一聴しただけでは、洋楽としか思えない音作りや歌詞の邦楽バンドが多いのに驚きます。けっして「紅白歌合戦」には出ない、たぶん、候補にさえならない、そんな「非日」バンドがたくさん活躍しているようです。

50年前の「日本語でロックは可能か」論争は未決着らしいが、内田裕也のちょっと前に、もうひとりの内田氏が亡くなっています。「日本語でロックは可能か」論争以前から、「日本語でドゥアップ」を実践してきた、シャネルズが現れるまではほとんど唯一のパイオニアでしたから、「亡くなった」と追悼すべきでしょう。

今回ご紹介するのは、すべて日本の楽曲と歌詞で綴られた国産R&Bです。まずは、若き日の内田正人とキングトーンズから。誰かにちょっと似ている? そうか久保田利伸が後継者なんだなと思いました。

The King Tones "Good Night, Baby" live in 1968


家へ帰ろう★キングトーンズ~いつでも帰っといでやバージョン


キングトーンズ 一度だけのディスコ


暗い港のブルース ザ・キング・トーンズ


このハイトーンに興味のある方は、次の日曜日の3月24日、午後2時からTOKYO-FMの「山下達郎サンデー・ソングブック」で「ザ・キング・トーンズ 内田正人追悼」特集が放送されますので、お聴き逃しなく。https://www.tatsuro.co.jp/sunday/

(敬称略)
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アヤマテリアル

2019-03-13 00:46:00 | 政治
以下が事実とすれば、イソコファンに続き、「事実誤認とは言えないし、言ってはならない」事例です。 

【お知らせ】堤未果著『日本が売られる』についてのファクトチェックを幻冬舎に送付しました
http://migrants.jp/news/factcheck-nihongaurareru/

彼女の著作では『貧困大陸アメリカ』を読んだだけですが、移住連が取り上げたこの『日本が売られる』についても、いずれ読んでみたいと思っていました。

同書の「水が売られる」で、水道事業の民営化がいかに多くの問題点を抱えているかを指摘して、かねてから話題になっていたからです。

望月衣塑子さんと共に、今後の活躍が期待できるジャーナリストと注目していただけに、ちょっと、いや、かなり驚きました。

同書の「医療が売られる」のなかで、彼女が指摘する「日本の医療機関へタダ乗りする外国人」について、移住連は「そもそもデータがなく、根拠も示さないフェイク記事」と断じています。

移住連の批判内容より、私がいちばん驚いたのは、移住連は彼女の取材を受けていない、あるいは取材申し込みすらされていない、とみられることです。

「日本の医療機関を利用する在日や観光の外国人」について取材しようとしたら、外務省や厚労省の基本データやその外郭団体など公的な機関の資料を収集するのは、取材の第一歩だからです。

「日本の医療機関」=「日本の医療制度」ですから、官の資料を引用するか、踏まえなければ一行も書けないはずなのです。

制度からこぼれ落ちた事例や最近の動向を知ろうとするなら、NGOやNPOなど民間の団体や組織に頼るのも常道です。

そうやって、最低、段ボール一箱分の資料を集めて、ようやく概要の概要がつかめるものです。

そこから、各役所の担当者へ「概要」の確認を進め、同時に「賛成」「反対」「中立」のコメントをしてくれる人を探して聞き歩きます。

しかし、担当者であれ、専門家であれ、たいていは自分の仕事や立場でしか語ってくれません。全体を見通すような構図や構造を教えてくれる人は、「あの人なら」と推薦されて会ってくれた人が10人いるとすれば、1人いるかいないかです。

つまり、ここまでは、いわば自分の「お勉強」のためなのです。ある程度、「知ったかぶり」ができるようになって、ようやく、「事実誤認」のレベルに達することができるのです。

そこから先、「事実」を「誤認」せずに、「真相」がおぼろげながら見えてくるまでいくには、まだまだ時間と手間がかかります。

ほんとうに、堤未果さんはどうしちゃったんだろう。普通の手順を踏めば、移住連から「フェイク」などと抗議を受けるなんて、あり得ないことなんですが。

(止め)



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はじまりのおわり、おわりのはじまり

2019-03-11 07:48:00 | 3・11大震災
8年前のあの日に何をしていたか? そんな話になるときがある。とにかくびっくりした、延々と歩いた、すごい渋滞で帰宅が深夜になった、翌日になった。こんな危ない思いをした、誰それが翌朝から会社に来た、家族がどうだった・・・。

つい昨日の事のように語りはじめ、とりとめなく話は終わる。そこから、結論めいた考えやまとまった思いにつながるようなことは、まずない。地震の話だけでフクイチについては話されることはない。

あれから、8年、何かが変わった気もするし、変わっていないと思いもする。メディアは、「振り返る」とか「節目を迎えている」という過去形と「復興に、復興を」という未来形で喋っているが、私たちは災害と事故をまだ扱いかねている。

3月11日を語る言葉も文脈も見当たらない。そんな失語症の自覚はあるのだが、何をいまさら、何の意味があるのかとの思いが立ち塞がる。私たちのこの無力感はあの日からはじまり、あの日から積み重ねられてきている現在進行形のようだ。

(止め)
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