コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

今週のGJ

2018-11-21 23:53:00 | ノンジャンル
ゴーン逮捕はフランスの国内問題であることがよくわかる記事です。

ゴーン追放はクーデターか…日産内で囁かれる「逮捕の深層」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58561

日本初の司法取引事件としては国内問題です。「技術の日産」と自称していますが、川又塩路以来、「お家騒動の日産」という「伝統」も。西川(さいかわ)社長が曲者くさい。

未視聴ですが、ぜひ視たい番組です。

https://www.sankei.com/premium/news/181118/prm1811180010-n1.html

新聞が点火して群衆が炎上させ、ときには警察が鎮火につとめたわけです。

(止め)


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タクシー運転手

2018-11-05 23:04:00 | ノンジャンル
タクシー運転手 約束は海を越えて」をCATVで観ました。

傑作です。アメリカアカデミー賞の外国語映画賞の韓国代表映画ですが、すかした芸術作品や小難しい政治映画ではありません。韓国では映画は有力な輸出産業のひとつですから、「光州事件」を扱って事実に基づきながら、誰でも楽しめるエンタティメント映画に仕上げています。

たいていの人は、この映画を見た後、二つのことに気づくはずです。

第一、日本ではこんな映画は作れない。韓国映画のはるか後塵を拝している。そう思えるほど、質の高い映画である。

第二、クライマックスのカーチェイスシーンは、いくらなんでもフィクションだろう。そんなご都合主義があるものか。

第一については、私見ですが、ここ10年くらいに封切られた作品を比べても、質でいうなら、韓国>中国>香港>台湾>日本という順です。これに最近、躍進がめざましいインドネシアやフィリッピン、タイなどの映画産業が、娯楽アクション分野で日本を追い上げています。

また、ソウルのタクシー運転手を演じたソン・ガンホや彼を助ける光州のタクシー運転手に扮したユ・ヘジンの二人を名優だと唸らない人は少ないでしょう。ほかにもたくさんの優れた俳優が韓国映画では活躍しています。映画には役者から入るのがつねなので、韓国映画を観たとたん、なんてユニークな俳優がいるんだと驚きました。



第二についてはその通りでしょう。ただし、軍から銃撃されて倒れた負傷者を助けようとした光州のタクシー運転手がいたことは事実のようです。また、4台どころか、映画をはるかに上回る大規模なタクシーやバスの車列が集結して、軍の弾幕を前に決起したことも記録されています。

私たちが、「光州で暴動」という記事で知っていた、1980年の韓国の「学生を中心とした反政府デモから暴徒化」というものではなかった、そうした政府発表の裏側の事実(惨劇と抵抗)が鮮烈に描かれています。

映画『タクシー運転手』神話の構造と実在のタクシー部隊
https://www.huffingtonpost.jp/hotaka-sugimoto/taxi-20180515_a_23433398/

この軍が民衆を弾圧する迫真的な街頭シーンは、誰もがすぐに天安門事件を想起させることでしょう。

中国当局、韓国映画「タクシー運転手」の議論を禁止、六四天安門事件連想で
https://www.epochtimes.jp/2017/10/28740.html

ソン・フン監督ら、スタッフは、当然、76年の天安門事件のこのエピソードを念頭に脚色したのでしょう。当時、天安門事件と光州事件を比較考査した論考があったかどうか。連鎖とみるべきかどうか。いずれも私は不案内だが、現在から見直す契機になってもよいはずです。ただし、天安門事件はいまだに中国政府によって、「なかったもの」とされているので資料が乏しく比較は難しいものがあります。

ふたりの車夫
https://gamayauber1001.wordpress.com/2017/06/15/arickshawman/

したがって、第2についても、「光州事件」において、タクシー運転手たちの負傷者救援はあった、数百台の車列をつくるほどの「決起」もあった。事実を元にした脚色と考えてよいはずです。

御用あって暇がなくても、観ておくべき映画です。

(止め)


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死語ならまだしもゾンビ

2018-11-03 10:45:00 | ノンジャンル
「他人様(ひとさま)に迷惑をかけてはいけない」は翻訳可能かどうかわからないが、世界中どこへ行っても通用する戒律だと思う。個人間や周辺という範囲において、遂行的に言われたり思われるなら、ほとんど「美しいルールだ」とさえ思える。

だが、その目的語が会社や社会や国家、あるいは国民などに無前提に拡大し、人間の顔がない組織や機構や集団に向けて、事後的に「迷惑をかけてしまった」と謝罪に使われるとき、この言葉本来の自戒を込めた謙虚な物言いという核心はまったく損なわれる。

たとえば、安田一平氏が、昨日の「謝罪記者会見」で「皆様にご迷惑を…」と言い淀んだのはたぶんその抵抗感であり、東電裁判で、「国民に多大な迷惑をかける事故を起こした企業の経営トップとしての責任を問われている勝俣元会長」という慣用へ私たちが違和感を感じるゆえんだろう。

迷惑? あれほどの危機が? これほどの被害が? アメリカ軍がシリア空爆で民間人を誤爆して殺してしまったとき、死傷者やその遺家族に対して、「皆さんに、多大なご迷惑をおかけして」とアメリカがコメントを出す場面を想像してほしい。まだ「遺憾である」が空疎なだけでも、よりましな気がするくらいだ。

「迷惑をかけてはいけない」対象が、「他人様(よそさま)」にとどまらず、それ以上に拡大解釈されるようになった。他人様の集合である「世間様」と自らに引き寄せるのではなく、ともすれば夜郎自大的に使われるようになった

家の前を掃除したり、ゴミ出しの分別をいい加減にしない、電車やバスでは座席に詰めて座る、人や車の通行をジャマしないように歩くなど、気がつけばすぐに直せる正せるそれぞれの自主ルールと、企業のコンプライアンス(法令順守)違反などが別次元なのは誰しもわかるのに、「迷惑」が援用されるのはなぜか。

「迷惑」を使うことによって、あたかも個人やいくつかの部署間にとどまるかのように問題を矮小化することができ、すぐにも是正できるような印象を与えて、結果として企業責任を過少に見積もらせようとする意図があるからだろう。そこまでは企業防衛という立場を考えてみれば、わからない理屈ではない。

わからないのは、「他人様(世間様)に迷惑をかけてはいけない」というご近所の言葉が、企業や社会、国家にまで援用されることで、もはや自主ルールといえないほど抑圧的な責め言葉になったことに、多くの人が違和感を持たないことだ。

他者から発せられるときはほとんど断罪に近く、自らが発語する場合は遁辞であれ自白の面持ちが求められ、頭を垂れて薄毛頭を晒す首脳や幹部が映った画面と相まって、「世間様」の留飲を下げ、ときには同情を引いていることだ。

「他人様(世間様)に迷惑をかけてはいけない」という言葉が、「思いやり」という、どこまでも人へ向けた言葉と対であることを思えば、今、これほど実質と離れて使われている言葉もないだろう。

私たちは待っていたのではないか。安田一平氏が帰国後初の記者会見で、「国民の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことをあらためてお詫びします」と頭を下げる場面を。それだけを期待したのではなかったか。

まるで、延長10回、ソフトバンクの柳田悠岐が広島カープの守護神の中崎投手からサヨナラホームランを打った場面をスポーツニュースダイジェストで視るように。

チコちゃんなら、「ボーっと生きてんじゃねえよ!!」と喝を入れる場面だ。

(敬称略したり、しなかったり)







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