コタツ評論

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今夜は字幕付

2015-09-28 20:39:00 | 音楽
アデルはすでに掲載済みですが、「雨に火をつけて-Set Fire to the Rain」の字幕付動画が出たので再掲します。ちょっと日本ではおめにかかれない歌詞世界をご堪能ください。

【日本語字幕Ver】アデル「Set Fire to the Rain」


アデルのライブ動画のなかでも、このロイヤル・アルバートホールの歌唱がいちばんです。もしかすると、これが絶頂かもしれないという不吉な予感を抱かせるほどにすばらしい。

比喩ではなく、男にガソリンぶっかけて焼き殺した雨の夜、と思うほどの凄絶な心象世界に圧倒されます。

Set Fire to the Rain 
雨に火を点けたの

I let it fall, my heart,
And as it fell you rose to claim it
It was dark and I was over
Until you kissed my lips and you saved me

私は自分の心が落ちるまま ほったらかしにしていたの
でも落ちている途中に あなたが立ち上がってつかまえてくれた
辺りはもう暗くて 私はくたくただった
だけどあなたが私の唇にキスして 救ってくれたのよ


My hands, they're strong
But my knees were far too weak
To stand in your arms
Without falling to your feet

私の両手はしっかりしていたけど
膝はもうがくがく震えて
あなたの腕の中で立っていられずに
思わずその足元に崩れ落ちてしまったわ


But there's a side to you that I never knew, never knew
All the things you'd say, they were never true, never true
And the games you'd play, you would always win, always win

でもあなたには私の知らない
知る由もないべつの顔があったの
あなたが私に告げた言葉はみんな ひとつ残らず偽りだった
あなたは自分の仕掛けたゲームには
いつも勝つのよね いつも独り勝ち


But I set fire to the rain
Watched it pour as I touched your face
Let it burn while I cried
'Cause I heard it screaming out your name, your name

だから私は雨に火を点けたの
じっと見ていたわ
激しく降り注ぐ雨の中で
あなたに触れながら
燃え上がった時 思わず泣いてしまった
だって私には聞こえたのよ
雨があなたの名前を叫ぶ声が


When laying with you
I could stay there, close my eyes
Feel you here, forever
You and me together, nothing gets better

あなたの隣で横たわっていると
ただ目をつぶっているだけで そこにじっとしていられた
あなたが永遠にそばにいてくれるように思えて
あなたといっしょにいられれば
それ以上のことなんて何もない


Cause there's a side to you that I never knew, never knew
All the things you'd say, they were never true, never true
And the games you'd play, you would always win, always win

でもあなたには私の知らない
知る由もないべつの顔があったの
あなたが私に告げた言葉はみんな ひとつ残らず偽りだった
あなたは自分の仕掛けたゲームには
いつも勝つのよね いつも独り勝ち


But I set fire to the rain
Watched it pour as I touched your face
Let it burn while I cried
'Cause I heard it screaming out your name, your name

だから私は雨に火を点けたの
じっと見ていたわ
激しく降り注ぐ雨の中で
あなたに触れながら
燃え上がった時 思わず泣いてしまった
だって私には聞こえたのよ
雨があなたの名前を叫ぶ声が


I set fire to the rain
And I threw us into the flames
Where I felt something die, 'cause I knew that
That was the last time, the last time

だから私は雨に火を点けたの
私たち二人を燃え盛る炎の中に投げ入れたの
その時 私たちの何かが死んだのよ
私にはわかっていたの あれが最期だったんだって


Sometimes I wake up by the door
As if that heart you caught is still waiting for you
Even now when it's already over
I can't help myself from looking for you

時に私は目が覚めるとドアの隣にいることがあるの
あなたがつかまえてくれたあの心が
きっとあなたを待っているんだわ
私たちの関係がもうすっかり終わってしまった今でも
あなたの姿を探さずにはいられないの


But I set fire to the rain
Watched it pour as I touched your face
Let it burn while I cried
'Cause I heard it screaming out your name, your name

だから私は雨に火を点けたの
じっと見ていたわ
激しく降り注ぐ雨の中で
あなたに触れながら
燃え上がった時 思わず泣いてしまった
だって私には聞こえたのよ
雨があなたの名前を叫ぶ声が


I set fire to the rain
And I threw us into the flames
Where I felt something die
'Cause I knew that that was the last time, the last time, oh
Oh, oh

だから私は雨に火を点けたの
私たち二人を燃え盛る炎の中に投げ入れたの
その時 私たちの何かが死んだのよ
私にはわかっていたの あれが最期だったんだって


Let it burn, oh
Let it burn
Let it burn

おつぎも日本では想定外の歌詞でしょう。いまなら、まちがいなく発禁放禁でしょうね。

Frank Zappa - Bobby Brown (日本語訳詞付)


いまアメリカでいちばん売れている歌手のいちばん売れた歌です。たわいない歌詞のようですが、AKBもこれくらい歌って欲しいものです。「良い女の子は天国に行けるが、悪い女の子はどこへでも行ける」という言葉を想い出しました。

テイラー・スウィフト - 「シェイク・イット・オフ」(日本語字幕付)



(敬称略)

セッション その1

2015-09-22 01:41:00 | レンタルDVD映画
久しぶりに大六のTUTAYAへ。「おお」「これは」というのはなかったが、手ぶらで帰りたくなくてみつくろったなかの一本が、「セッション」。これは公開前から話題になったので知っていた。



ジャズ批評家で演奏家でもある菊地成孔氏が、「このクソ映画め!」と16,000字に及ぶ酷評を映画公開前にブログに掲載したところ、これに映画評論家の町山智宏氏が、「公開を潰す気か!」とやはりブログで噛みつき、論争になったので記憶していたのだ(御用とお急ぎでない方は、こちらへ)。

私の印象では、菊池氏が「ジャズ愛」を町山氏が「映画愛」を迸らせて痛み分け。菊池氏に分があるところもあったが、町山氏が菊池文への読解不足を潔く認め謝ったために、両者とも読者に株を上げた格好で、珍しく後味のわるくない応酬だった。

菊池氏が、これは映画ではなく、(荒唐無稽な)「マンガ」である! と罵るや、すぐさまマンガファンから、「マンガをバカにするな!」と批判が殺到し、「マンガファンの皆様、ごめんなさい」と謝ったのも微笑ましかった。

さて、観終わって、菊池氏が批判した、「音楽愛がない」と「この映画の音楽教育とジャズは無縁」に同意同感した。町山氏の反論として、菊池氏の批判点のほとんどは監督が意図したところ、には肯くが、ラストで音楽による昇華があった、には不同意だった。

アメリカの音楽教育機関の最高峰とされるシェーファー音楽院のフレッチャー教授(J・K・シモンズ 名演!)は、チャーリー・パーカーが演奏でヘマをしたとき、ドラムスのジョー・ジョーンズがシンバルを投げたというエピソードを度々紹介して、「もし、ジョー・ジョーンズがグッジョブ(上出来 or 気にするな)と流していたら、後のバードは生まれなかった。それこそ、私からいわせれば、究極の悲劇だ」と自らの苛烈な指導を正当化する。甘い顔をするから、ジャズは死んでしまった。米語でもっとも身の毛のよだつ(horrible)言葉は、”Good job!”だと嘆くのだ。

フレッチャー教授はいわゆる鬼軍曹役。スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」のハートマン軍曹や「愛と青春の旅立ち」でリチャード・ギアをいじめ抜くフォーリ-軍曹が、罵倒で新兵を震え上がらせ、誹謗中傷によって人間的な感受性を鈍磨させ、かわりに兵士の闘争心と入れ替えるように、フレッチャー教授もパワハラを駆使して、若きジャズマンの卵たちの演奏と人格を支配しようとする。戦場や軍隊なら、一人前の兵士になることが生き残る道であり、なにより戦争に勝利する手段といえるが、フレッチャー教授のその先は違う。

つぎのサッチモやチャーリー・パーカーを育てたいと夢見るように語りながら、ニーマンから「つぎのチャーリー・パーカーを挫折させているのでは?」と問い返されると、「天才は何があっても挫折しない」と教授は嘯くのだ。じっさいにはサディスティックな支配が目的であり、若き才能を潰すために情熱を傾けているとしか思えない。

ショーン・コネリーがサリンジャーとおぼしき伝説の隠遁小説家を演じた「小説家を見つけたら」にも、天才的な小説の才能を示す高校生を盗作疑惑で葬り去ろうとしたクロフォード教授(F・マーリー・エイブラハム)と同列の人物像といえる。

芸術家になり損ねて教育者になった鬱屈を晴らしたいがために、人一倍の努力を重ねて、ほとんど一流の教育者になりながら、重大な欠陥を抱えていて、若き才能を自殺に追い込むほど抑圧的に振る舞わずにはいられない。そんな教師像に、アメリカ人はよほど心当たりが多いのだろうか? 

日本映画ではこういう教師像はほとんど見当たらない。わけもなく意地悪だったりして、主人公の足を引っ張る教師は登場するが、二流三流の教師としてはじめから小者に扱われ、健気に努力する主人公を潰すほどの悪役にはならない。むしろ、日本映画お得意の「修行映画」の教師役である師匠や先輩たちは、未熟な上にやる気にも乏しい主人公をときに叱咤しつつも、たいていは優しく見守り世話を焼く母親役だ。

素人向けの落語教室の生徒になる人たちを描いた「しゃべれどもしゃべれども」や地味な辞書の編纂の仕事を扱った「舟を編む」、最近のコミカルに林業現場を案内する「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」などの佳作にみられるように、師匠や兄弟子といっしょに働きながら学ぶ、日本の「修行映画」にハズレはあまりない。

音楽教育のフレッチャー教授や文学教育のクロフォード教授があるいは厳父的な師なのかといえば、それとも違う気がする。「小説家を見つけたら」では、天才的作家性をもつ高校生の師は、ショーン・コネリー演ずる偏屈な伝説的作家としてべつにいるのだ。フレッチャーやクロフォードが新兵教育のハートマン軍曹やフォーリ-軍曹と選ぶところない残酷な人物像として描かれるのは、教育機関という名の圧殺装置の擬人化なのかもしれない。

アメリカの自主性を重んじた自由な教育とは、ハイスクールまでの初中等教育に限られるようだ。プロを養成するロースクールやビジネススクールなどの大学院、この映画の音楽院など高等教育機関では、奇形的なほど権威主義な教授によるパワハラな教育指導が横行している。事実はともかく、そうした抑圧的な存在として少なからぬ映画作品では描かれてきた。

アメリカの本家であるイギリスでも、英文学を生み出した功績の第一は名門パブリックスクールにあり、というブラックなジョークがある。卒業生の多くをオックスブリッジに進学させ、イギリスの指導層や知識人層を育ててきたパブリックスクールは、名門の師弟に質実剛健な寮生活をおくらせ、級友や上級生と勉学やスポーツを通じて切磋琢磨させるエリート教育のモデルとして知られる。多くの英作家を輩出してきたが、その代表的な文学作品の多くが、パブリックスクールへの呪詛に満ちているからだ。

換言すれば、抑圧的な教育機関であればこそ、映画の悪役として存在感を示し、文学少年には呪詛の対象として畏怖されるわけで、そうしたサドマゾゲームとして互いの合意の上に成り立っているとも考えられる。学生にとってはゲームの賞品は成功者になることであり、教授にとっては偉大な芸術家や世界的なエリートを育成するのが使命であり、天才を育てるのが究極の夢になるわけだ。はじめフレッチャー教授から目をかけられたと舞い上がったニーマンは恋人に、「練習のジャマになる」と冷酷に別れを告げるミニ・フレッチャーにすぐさまなるのだ。(この項続く)

(敬称略)

おらが青春の歌っこ

2015-09-15 22:31:00 | 音楽
先月末、古い仲間たちが20人ほどが飯田橋の居酒屋に集まった。一足先に逝ったN氏の七回忌、U氏の三回忌が名目だった。出会ったときは私が一番若く18歳だったので、いまだにガキ扱いされているのだが、最年長のN氏が6歳上、たいてい4歳以上も離れている先輩たちばかり。当時もいまも宴会となると放歌高吟になるのが恒例で、七回忌のN氏の十八番のひとつが、蒙古放浪歌だった。

蒙古放浪歌


N氏はほかにも馬賊系の歌をよく歌い、当時、キャロルの「君はファンキーモンキーベイベー」を口ずさんでいた私としては、なんと古色蒼然なと辟易していた。でも、この「惜別の歌」は好きだった。

惜別の歌 小林旭


最近はあまり聴かないが、右翼の街宣車のテーマ曲なので聞きおぼえがあるはずの「昭和維新の歌」もよく歌われていた。「散るや万朶の桜花あ~」と唱和して盛り上がるのだ。

昭和維新の歌  映画 『2・26』 より


放歌高吟とは私たちにとって慣用句ではなく、実際、私たちの宴会ではかならず詩吟を披露するH氏という人がいるのである。それも、桜田門外の変でときの大老・井伊直弼を討った水戸浪士の一人、黒沢忠三郎の「絶命詞」が定番。

狂と呼び
賊と呼ぶも
他の評に任す
幾歳の妖雲
一旦に晴る
正に是れ
櫻花の好時節
櫻田門外

櫻の如し


もちろん、こんな歌ばかり歌われたわけではなく、C氏の「オーソレミオ」や先に紹介したO氏の「サントワマミー」などの十八番もあった。しかし、キワモノはこちらのほうで、ご紹介したような幕末まで遡る戦前の歌が好まれた。前出のH氏などは放っておけば、次々に軍歌を歌い出したものだ。

そして、間違いなく右翼的心情を抱いていた先輩たちは、かつては新左翼の党派に属していたか、全共闘活動家の一員だった。「昭和維新の歌」と「ワルシャワ労働歌」が同居して矛盾しないこの人たちが、とくに変わっていたというわけではない。当時は、そういうものだったのである。

なんとアナクロ(時代錯誤)と呆れる向きのために、ひとつ補足しておくと、愛唱歌の馬賊歌どおりの風貌でもあった亡きN氏は、後にハードロックのAC/DCを好んで聴いていた。先輩や兄貴分とはいつまでも謎めいているものなのだ。

(敬称略)




いまはもう秋

2015-09-06 00:13:00 | ノンジャンル
やっとうんざりする8月を越しました。うんざりしたのは暑さばかりのことではありません。8月は戦争月間だからです。先の戦争で亡くなり、苦しみ、傷ついた人々について、メディアが大量報道するせいです。まるで誰もが戦争の犠牲者や被害者であったかのように。誰もが国のために尽くしながら、心中では戦争を厭わしく思い、平和を願っていたかのように。ほんとうだろうかと思います。

戦争で儲けた人や企業、小権力を握って威張っていた男や女が、たくさんいたはずです。日本人が日本人を痛めつけていた。一段も二段も見下していた朝鮮人や中国人をどう扱ったかなど、想像力すら必要がないと思えます。

最近は、生き証人のほとんどが死んで少なくなりましたが、かつてこういう話はいくらでも聴くことができました。

義理の祖父に、特攻隊「伏龍」について聞いてきた
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20150902/p1 
私が、酸素ボンベのせいで亡くなっているのではないかと気付くまで、7名ずつ、2回なくなっているんです。殉職者の数は正確には分かりません。私は35~40にんくらいと思うんですけど、人によっては100人以上とか毎日何十人も死んだって言いますね

戦争責任者の問題
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

秋刀魚の味

戦争に負けてよかったじゃないか
   


(敬称略)