コタツ評論

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グッド・シェパード

2008-05-28 19:37:25 | レンタルDVD映画
ロバート・デニーロ監督作品。フランシス・フォード・コッポラ製作総指揮。マット・デイモン主演。アンジェリ-ナ・ジョリー共演。

http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/18509/

「グッド・シェパード(良い猟犬という意味か?)」たるCIA(アメリカ中央情報局)の創設に関わり、CIA最大の失敗といわれているキューバ侵攻作戦の指揮を執り、やはりCIAの大スキャンダルとなった偽KGB大佐の亡命事件など、1940~60年代に海外諜報に暗躍したCIAエリートの苦悩の半生を描いた映画だ。

臆断すると、テーマはコッポラが持ち込み、キャスティングと演出はデニーロという分担ではなかったか。イラク戦争でさらに評判を落としたCIAをいまさら取り上げる狙いは、「反民主党的」なCIA擁護でなければ、スパイ業界に舞台を移して「ゴッドファーザー」の夢よもう一度なのか。

監督デニーロに馳せ参じた俳優陣の顔ぶれが凄い。ジョン・タートゥーロ、ウィリアム・ハート、ティモシー・ハットン、おなじみジョー・ペシ、アレック・ボールドウィン、マイケル・ガンボン、ケア・デュリアなどが、添え役、端役で出演している。

クリントン元大統領やブッシュ大統領も会員だったという「スカル&ボーン」(骸骨と骨?)という実在のエリート大学生のクラブが、アメリカの体制側の象徴として登場する。主人公のエドワード(マット・デイモン)もその一員であり、そこでクラブOBを介してCIAの前身であるOSSからスカウトを受け、第2次大戦後の米ソスパイ戦の司令塔になっていく。

スカウトに赴いてきたロバート・デニーロ扮する「将軍」は、スカウトの条件を、「黒人やユダヤ人ではなく、カソリック以外の然るべき家柄の者に限る。ただし、わしは例外だ」という。将軍はカソリックらしい。つまり、CIAはWASPのアメリカ合衆国の「良き猟犬」として創られたわけだが、後にJFKというアメリカ大頭領史上初のカソリックの大統領に仕えることになる。

「仕事に生きる男」の骨太な映画なのだが、秘密だらけの仕事は勲章や賞賛とは無縁の上、その職業人生はアメリカとCIAの失敗に重なり合い、冷酷な汚れ仕事に身を浸すうちに、家庭生活は遠ざかり、妻には去られ、息子には結局憎まれ、唯一愛した女性も組織を守るために捨て、エドワードは空虚な人生を歩むことになる。

エドワード(マット・デイモン)は、カストロ首相暗殺の協力を得るために、サム・ジアンカーナに擬したイタリア系マフィアのパルミ(ジョー・ペシ)のフロリダの自宅を訪ねる。パルミは室内には通さず、テラスにエドワードらを座らせ、海岸に遊びに出かける孫たちを見やりながら、こういう。

「我々イタリア人には家族がある。ユダヤ人には伝統がある。黒人には音楽がある。あんたたちにはいったい何があるね?」
CIAのNO2であり、「グッド・シェパード」であるエドワードは、苦渋に満ちた声で、「アメリカ合衆国がある」とつぶやく。

この映画の政治性と非政治性をよく表した場面だと思う。CIAを擁護する反動的映画だという批判は当たらないだろう。たとえ、「グッド・シェパード」として守ろうとするのが、イタリア人やユダヤ人や黒人以外のWASPの「アメリカ合衆国」だとしても、それはアメリカのひとつの現実であり、コッポラとデニーロはその現実にしか生き得ないCIAマンを通して、祖国へ悲恋する男のメロドラマを描きたかっただけなのだから。

もし、この映画にいささかなりとユニークでリアルな点があるとすれば、エドワードをはじめとするCIAマンたちの自己規定が公務員であることだろう。「我々はしょせん役人なのだ」という認識だ。奇しくも、オバマとヒラリーの民主党大統領候補選が激しく戦われている。ブッシュ大統領の側近や政権幹部が、石油企業や軍需産業、金融機関の元重役たちで占められているのはよく知られている。

アメリカは「スカル&ボーン」のOBである政治家や企業家によって動かされているかのようだが、実はそのスタッフとなって働く、公務員や役人こそが「アメリカ合衆国」であり、そうあるべきだといっているようにも思える。強大な権力と莫大な富を手中にしたアメリカの政治家や企業家なら、マフィアのボス・パルミの「あんたたちにはいったい何があるね?」という問いに、「そりゃ世界さ(爆)」あるいは「そりゃ戦争さ(爆)」と応じるかもしれない。

この愚かで強欲で無慈悲な「アメリカ合衆国」を誰も背負わない。その苦渋の認識こそが、この映画を「ゴッドファーザー」の二番煎じを免れさせている。その功績が、コッポラとデニーロのいずれにあるかはわからないが、3時間と長尺を飽きさせず保たせたのは、俳優たちの力であり、彼らを集めたデニーロの功績とはいえるだろう。ただ、型にはまった演技合戦の感もある。俳優たちが、余白と糊代を認める自由な演技を見せてくれると、もっと楽しめたように思える。



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ひとりぼっちの青春

2008-05-27 23:36:24 | レンタルDVD映画
シドニー・ポラック(Sydney Pollack)監督が亡くなったそうだ。
以下の作品を監督した。

雨のニューオリンズ This Property Is Condemned (1966)
インディアン狩り The Scalphunters(1968)
大反撃 CASTLE KEEP(1969)
ひとりぼっちの青春 They Shoot Horses, Don't They? (1969)
追憶 The Way We Were (1973)
ザ・ヤクザ The Yakuza (1974)
コンドル Three Days of the Condor (1975)
トッツィー Tootsie (1982)
愛と哀しみの果て Out of Africa (1985)
ザ・ファーム/法律事務所 The Firm (1993)
サブリナ Sabrina (1995)
ランダム・ハーツ Random Hearts (1999)
ザ・インタープリター The Interpreter (2005)

享年73歳。すると、「ひとりぼっちの青春」 They Shoot Horses, Don't They? (1969)を撮ったときは、36歳だったのか。若くはないが、中年というほどでもない。ハリウッドの有名監督の一人ではあったが、一流半から二流といった位置だったのではないか。

73年の「追憶」以降は、すべて駄作といっても異議を唱える映画ファンはそう多くないだろう。バーブラ・ストレイザンドとロバート・レッドフォードが共演したメロドラマ「追憶」はヒット作となり、好きな人も多いかもしれないが、「追憶」はひとえにバーブラ・ストレイザンドの魅力と歌声でもった映画であり、レッドフォードとストレイザンドのツーショットになると、とてもこの二人が魅かれ合うはずがないというちぐはぐさで、あんな変な顔の女でもハンサムを射止め振り回すことができるという女性ファンの溜飲を下げたという以上の映画ではなかった。

「ザ・ヤクザ」や 「愛と哀しみの果て」「サブリナ」「ザ・インタープリター」などは、俺がプロデューサーだったなら、 試写室でシドニー・ポラックの首を絞めただろう出来だった。「ザ・ヤクザ」に出たおかげで、高倉健は本当に不器用なのだと呆れ、「愛と哀しみの果て」でメリル・ストリープはブスだとあらためて思い、「サブリナ」であの輝くばかりだったジュリア・オーモンドがその光を失い、「ザ・インタープリター」で国連ビルというのは何とつまらない場所かと知った。「トッツィー」もダスティン・ホフマンのワンマンショーで、映画として心に残る場面はなかった。

しかし、30代のシドニー・ポラックが60年代に立て続けに撮った「雨のニューオリンズ」「インディアン狩り」「大反撃」「ひとりぼっちの青春」はいずれも傑作・秀作だった。これらを撮って、もしシドニー・ポラックが死んでいたら、いまごろはカルト・ムービー作家としてその名を不動にしていただろう。

とりわけ、

ひとりぼっちの青春 (They Shoot Horses Don't They?)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD7535/

この作品は、俺のナンバーワンの映画だ。もっと優れた映画はあるし、もっと感動した映画もたくさんあるが、いちばん好きな映画といえば、俺は迷わずこの映画を挙げる。もっと具体的にいえば、この映画でジェーン・フォンダが演じた、不安定でやけっぱちでシニカルだが、懸命に前を向いて歩こうとするグロリアに、19歳の俺は恋したのだった。

3番館で1週間の上映期間中、毎日開館から閉館まで繰り返し観た。併映の「ひまわり」(ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ共演、監督ビットリオ・デシーカ)が上映している間は寝ていた。この映画も映画ファンの間では、思い出の名画に上げられることが少なくないが、俺にとってはただ邪魔な駄作であった。いま思えば、そうわるい映画ではなかったのだが、「ひとりぼっちの青春」と比べると、古色蒼然という感は否めなかった。

ジェーン・フォンダはこの「ひとりぼっちの青春」の演技が高く評価され、71年に「コールガール」でアカデミー主演女優賞に輝くが、明らかにコールガールの役作りはグロリアの焼き直しだった。その後、紆余曲折を経て、ジェーン・フォンダはハリウッドセレブになっていくが、俺にとっては、「ひとりぼっちの青春」のジェーン・フォンダとして、ナンバーワンの女優であり続けている。

1930年代の大恐慌のさなか、過酷なマラソンダンスに参加した貧しい若者たちを描いたこの映画は、アメリカンドリームの残酷な本質を露わにさせながら、しかし美しく静かにグロリアを終わらせた。生へ深い哀しみを捧げるかのように、死が安らぎであるかのような静謐に包まれた結末は、その古い着色写真のようなくすんだ色彩と相まってより深く胸に残った。

比べると、「ダンサー・イン・ザダーク」におけるビョークの処刑シーンは、正視に耐えないほど惨(むご)い。シドニー・ポラックよりラース・フォン・トリアーのほうがはるかに「芸術的」な作家だが、映画は演劇ではなく、映画館は劇場ではない。映画として、映画監督としては、俺は「ひとりぼっちの青春」と36歳のシドニー・ポラックの通俗性を愛する。

『彼らは廃馬を撃つ』(They Shoot Horses Don't They?)というホレス・マッコイの原作を読みたいと思いながら、いまだに果たせないでいるが、この映画を観なかったら、いまも映画を観続けていることはなかっただろうと思う。シドニー・ポラック監督の冥福を祈る。
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最近、購入した100円本

2008-05-20 17:34:25 | ブックオフ本
『オイディプス王・アンティゴネ』(ソポクレス 福田恒存 訳 新潮文庫)

ソポクレス。いやにさっぱりした名前である。前後に何も付かないのであるか。アリストテレスやソクラテスも、それだけの名前なのか。しかし、アリストテレスやソクラテスはまだいい。プラトンとはどうだ。タロ、ジロと変わらぬではないか。アンティゴネがおもしろい。

翻訳したフクダコーソンのコウがほんとはもっと変な字なのだが見つからない。厳格な人だったそうだから、申し訳ない気がする。ツネアリと読むそうだが、吉本隆明を誰もヨシモトタカアキと読まないように、偉い人の名前は訓読みではなく音読みになるのである。著名な政治学者もマルヤマシンダンと読まれていた。ところで、福田恒存の顎は長い。羽仁五郎や伊藤雄之助も長かった。最近では俳優の嶋田久作が長い。

『ダブリンの市民』(ジェイムズ・ジョイス 高松雄一 訳 福武文庫)

アイルランドでは、きっと山田太郎みたいな名前ではないか。ジェイムズとはジェームス、あるいはジェームズとも表記される。どれが正しいのか。統一してほしいものだ。ジェームズといえば、「あなたの名前は?」「ボンド。ジェームズ・ボンド」という名科白がある。なぜ、最初から、「ジェームズ・ボンドです」といわないのだろう。

『貧しき人々』(フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー 北垣信行 旺文社文庫)

『カラマーゾフの兄弟』の殺されて当然のお父さん、フョードルと同じ名前だとは知らなかった。ロシアの小説が読みにくいのは、登場人物の正式名の他に、幼名やら、呼び名やら、綽名やら、呼びかける人の関係性や親しさの度合いに応じて変わるからだとよくいわれる。たしかに、実際にロシア人が呼びかけているのを聴いたことがあるが、「ズイズイズッコロバシーチ」とか、やたらZ音が多くて何回繰り返してもらっても聴き分けることはできなかった。

『私説博物誌』(筒井康隆 新潮文庫)

博物館長の息子が書いた本。私は日本の文豪の一人に数え上げている。早く、ジョイスやドストエフスキーのように、「筒井」とだけ筆者名が表記されるようになって、フルネームの夏目漱石や三島由紀夫を超えてほしいものだ。

『面目ないが』(寒川猫持 新潮文庫)

万葉集の編纂者といわれる大伴家持(おおとものやかもち)の子孫なのか。いずれにしろ、猫持(ねこもち)という名前は秀逸である。たしかに、猫ほど飼うという言葉からほど遠い存在はない。あれは持つ、持っている、ものかもしれぬ。

尻舐めた 舌でわが口舐める猫 好意謝するに余りあれども

寺山修司の「マッチ擦るつかの間~」と並び、私が人知れず涙した歌である。

この本にも、猫の歌がいくつもある。

遅くまで 物書く吾(われ)を蒲団から 顔だけ出して猫が見ている

電球の 下の猫より煙出て カチカチ山になった慌てた

にゃん吉よ おまえが死ねばボク独り なんでんかんでん死なねでけろ

手も足も ちゃんとあるのに口だけで 物食う猫の可愛ゆてならぬ

日曜が 降ろが晴れよがオッサンと ネコのお二人どうでもよろし

猫の歌というより、猫と暮らしている中年男の歌である。が、猫もまた、とある中年男と暮らしている、とある猫の歌を詠んでいるのではないか。

謝る男
http://moon.ap.teacup.com/applet/chijin/200109/archive

(敬称略)





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