コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

桜餅はまだかいな

2010-02-28 23:50:00 | ノンジャンル
落語に、「まんじゅう怖い」という噺があります。さんざん「怖い」まんじゅうを投げつけられて満腹となり、「今度は、茶が怖い」という下げでしたね。甘い物が好きです。左手にまんじゅう、右手(ゆんで)に抹茶、もう波目になりますな。最近、頂いたなかでは、これは抜群でした。あたしは、「いちご大福」が食わず嫌い。イチゴの酸っぱくてサクサクに、甘い餡に粘る餅でしょ。どうもしっくりこない。洋菓子定番のイチゴショートケーキに、色目遣っているようで、なんか気にくわない。でも、「どうぞ」と出されれば、「けっこう」ともいえず、ひとくち食べてみたら、抹茶餡が絶妙で、つい断面を眺めてしまいました。「まんじゅう怖い」の仕種ですね。口蓋に広がる赤白緑のハーモニー。ふたくち、「けっこうでした」と胸をとんとん。伊右衛門を頼みました。

いちご抹茶だいふく
http://www.itohkyuemon.co.jp/item/216.html


20世紀の幽霊たち

2010-02-19 00:49:00 | ブックオフ本
何の気なしに、本棚から手にとって、250円ならいいかと期待せずに読みはじめた、『20世紀の幽霊たち(20th Century Ghosts)』(J・ヒル 小学館文庫)でしたが……。



序文
クリストファー・ゴールデンという作家が大絶賛していて、この短編集のどの作品にも、「精妙な幽玄」があるといいます。しかし、「幽玄」とはどんな英単語の翻訳なのでしょうか。
著者の謝辞
謝辞に代えて、『シェヘラザードのタイプライター』という短編を書いています。亡き父が愛用したタイプライターが勝手に小説書く幽霊タイプライターの話です。
年間ホラー傑作選

ホラーアンソロジーの編集者が、身震いするほどの傑作の著者を訪ねて味わう恐怖。
二十世紀の幽霊たち映画館に出没する女幽霊と出遭った人々が迎える大団円。
ポップ・アート
風船人との美しくも哀しい友情と別れ。
いなごの歌をきくがよい
カフカの「変身」へというより、「巨大蝗の逆襲」へのオマージュ。
アブラハムの息子たち
父と息子は、たがいを殺し合う憎悪で結ばれている。
うちよりここのほうが
プロ野球監督の父と障害者の息子。「ここ」とは、人気のない野球場。あたたかい交流。
黒電話
アメリカの田舎では、こんな変態殺人鬼がいまだにうろうろしている。
挟殺
野球で塁間に挟まれた走者の絶望感を再び味わう男。
マント
空飛ぶマントを手に入れた男が悪に堕ち不幸になっていく。
末期の吐息
いろいろな人の「末期の吐息」を集めた博物館を訪ねた家族。
死樹
木々の幽霊が出る。実際に目撃されたらしい。
寡婦の朝食
貧しいとは、どれほど恐怖の毎日なのか。しかし、天使はいる。天使の姿をしていないだけだ。
ボビー・コンロイ死者の国より帰る
「ゾンビ」撮影中のトビー・フーパーやジョージ・A・ロメロ監督が登場。
おとうさんの仮面
また父と息子。この父は不在として存在する。
自発的入院
段ボールで巨大な要塞をつくる弟と消えた友だち。
救われしもの
「父」が迷子になる。もともと正しい道を歩いていなかったのだが。
黒電話[削除部分
前出の『黒電話』で、編集者と相談の上、バッサリ削除した結末を復活させたもの。もちろん私は、削除にも、削除しない、のどちらにも賛成。

どうです。タイトルだけでも、それぞれの短編の世界がバラエティに富んでいることがわかるでしょう。スプラッタもあれば、ファンタジー色が強い作品もあり、人情噺めいたものもあります。最初は、ほんとうに、第一線のホラー作家たちの『年間ホラー傑作選』なのかと思ったほどでした。そして、どれも怖い。日射しに長く伸びた自分の黒い影を見入ってしまうように、怖い。鏡に映る自分の顔にどこか違和感を感じるように、怖い。

収録作品についてのノート
とりたてて、意味もないように思われるメモです。どうして入れたのでしょうか。 
訳者あとがき 白石朗
白石朗さんは、名翻訳者ですね。 
[解説]ジョー・ヒルという名の希望(ホープ) 東雅夫
この[解説]を読んではじめて知りました。著者のジョー・ヒルは、なんと、スティーブン・キングの次男でした。なんとも出来すぎた話です。世界的な人気作家の息子が33歳(1972年生まれ)のときに上梓した、この短編集『二十世紀の幽霊たち』が出版されるや、批評家や編集者から瞠目され、世界幻想文学大賞やブラム・ストーカー賞や英国幻想文学大賞などを相次ぎ受賞し、デビュー作だけですでに大物作家として遇されているのですから。そして、キングの息子であることは、2007年にゴシップ雑誌が暴露するまで秘匿されていたというのですから。



恐怖や怪奇、怪物などを扱った、いわゆるホラー小説を読むとき、S・キングと比べてどうかと私は必ず考えてしまいます。この分野の小説の怖さや完成度の基準にキングがなっているわけです。異なる作家の違う作品を比較することは無意味だし、まして上下などつけられるわけもないのですが、私だけの読後の満足感と留保すれば、これまでキング以上のものを読んだことはありませんでした。ところが、この短編集の最初の3篇ほどを読んで、すぐに、これはもしかするとキング以上かな、少なくとも以下ではないなと唸りました。スティーブン・キングに比肩する、完成されたスタイルがありました。

新人なのに、名人。デビュー作なのに、完璧。批評家は、絶賛、発売前から、ベストセラー。これが安手のホラー小説なら、主人公の作家が悪魔に魂でも売った代わりに得た才能と名声であり、その未来には必ず怖ろしい破滅が待ち受けていることでしょう。驚異の才能とは、実際にあるものなのですね。

スティーブン・キングの息子なら、大金持ちのお坊ちゃんのはずです。なのに、どうして、若くして(25歳から書き出しています)、貧しい暮らしや人々をこれほど痛切に描けるのでしょう。そして、これが特筆すべきだと思うのですが、貧困の人間的相貌を端正としかいいようがない、きわめて精妙な筆致で描けるのでしょうか(なるほど、クリストファー・ゴールデンが序文のなかで指摘した、「精妙な幽玄」とはこのことなのか)。

『黒電話』[削除部分]において、その執筆姿勢をジョー・ヒルは明かしています。
「削って削って書き直して削ってまた、そんな風にその原稿を二度と見たくないと思えるほど、うんざりするほど手をかけてようやくできあがる」
削るということが、努力と才能の証であることは、古今東西変わらないようです。

(敬称略)

60万人の帰省ラッシュ

2010-02-16 16:47:00 | ノンジャンル
先日、学生時代の友人と久しぶりに新橋で待ち合わせ、烏森口に近い居酒屋で一献交わした。休日前の小雨降る宵の口。新橋駅周辺には、「ちょっと一杯」に口許を緩ませた安サラリーマンたちの傘と肩が接していたが、ちょっと驚くことに気づいた。誰もタバコを吸っていないのだ。吸い殻も落ちていない。例の路上タバコ監視員を見かけるわけでもないのに、大手町や丸の内のようにお行儀がよい。場外馬券売場やパチンコ屋の行列に見かけるような、崩れた雰囲気の男たちもいなくなっていた。

パンクロッカーみたいな銀髪になった友人が、いつのまにか「旅人」になっていたのにも驚かされた。シルクロードをオートバイで走破した話は仄聞していたが、オートバイ仲間のツアーに参加したもので、よくある熟年の気まぐれイベントだろうと推測していた。尋ねると、数年前には、南米10か国を一人でバス旅行したという。私より2歳年長組のはずなのに、学生のような貧乏旅行らしい。仲間内でもっとも早く結婚し、ゴミゴミした新橋の町のあちこちに、鼠の穴のような酒場やバーを馴染みとする彼が、そんな辺境へ放浪へ憧れる思いを抱いていたとは実に意外だった。

昔のことだが、私もブラジルやメキシコのサンパウロやグアダラハラなどを訪ねたことがあったので、南米バス旅行と聞けば、冷房もなく開け放した窓のオンボロな車体に、生きた鶏を抱えたインディオのおばさんが乗り込んできたり、乱杭歯にタバコを挿したストローハットの老農夫と隣り合わせたり、貧困が四輪タイヤを履いているような様子を思い浮かべ、「山賊やゲリラに襲われる危険があるだろう」と聞いたのだが、「全然、すごく快適なバスだったな」と彼はいうのだ。

翌晩、NHKBSのハイビジョン特集「60万人の帰省ラッシュ~ブラジル・長距離バスターミナル~」を観て、ようやく彼の話に「なるほど」と肯いたものだ。私が観たのは、2月6日に放映された番組の再放送だったようだが、たぶんまた再放送されると思うので、その機会にはお見逃しなく。受信料払ってもいいなと思ったくらいの好番組でした。



BRICs(ブリックス)の一角として、経済成長めざましくオリンピックの開催も控えたブラジルの首都サンパウロは建築ラッシュに沸き、地方の貧しい町や村から仕事を求める膨大な出稼ぎ労働者を集めている。彼らがクリスマス休暇の帰省に利用する南米最大のバスターミナル「チエテ(Tietê)」の様子を追ったドキュメンタリーである。

クリスマス前後のバスターミナルの利用者数60万人、バスの乗降ゲート100近く、バスの運転手2000人余、最長運行距離5000km以上、1日から3日もかけてブラジル各地へバスは走る。オンボロ乗り合いバスどころか、日本の長距離バス以上の最新設備、日本の鉄道オタクに似たブラジルの「バスオタク」の言によれば、「航空機以上に快適な車内」なのである。

ブラジルのクリスマスは夏。悪趣味な安物のTシャツや短パン姿の種々雑多な人々が、広大なバスターミナルを埋め尽くしている俯瞰撮影に、まず圧倒された。同じ光景を見たことがある。中国の正月である「春節」に、帰郷客でごったがえす北京や上海駅の様子を映した「23億人の大移動」という、同じくNHKのドキュメンタリ番組で、蟻のように蠢く人々を見た。

さらに記憶をたどれば、90年初頭に食糧不足の地方からモスクワ駅に蝟集した「ソ連」の人々を思い出させた。私は構内の回廊に上がり、フロアをほぼ埋め尽くした群衆をビデオカメラに撮影していた。国家がなかば崩壊して怯えた表情だった「ソ連人」たちが、終戦直後の「焼け跡闇市」に佇む日本人だとすれば、さしずめ中国人たちは、「戦後は終わった」という経済白書が出た高度経済成長期、ぬかるみの路地にセメント袋を運び込んでいた日本人に見え、ブラジル人たちは、東京オリンピックから万博の間、色とりどりの風船に眼を奪われていた日本人のように思えた。

いずれにしろ、肌の色や顔立ち、体形は違っていても、陽と風に晒された顔に、ときに屈託のない笑みを溢れさせる、かつては日本にもありふれていた人々が、TV画面のなかにいた。いま、渋谷駅前のスクランブル交差点を埋める通行人や、ラッシュアワーの池袋駅構内にひしめく乗降客たちは、生気に乏しい病者の群れのように見える。2009年の東京への人口流入は、5年前に比べて、32%も減ったそうだ。過去は過ぎ去ったが、未来はまだ来ていない。そんな同義反復の袋小路に私たちはいるようだ。



日本の23倍という広大な国土から、鉄道よりバス輸送が発達したブラジルでは、バスが貧乏人専用というわけではないようだが、やはり、「チエテ(Tietê)」に行き交う、貧しい人々の人間ドラマが胸を打つ。出稼ぎの目的を果たし、TVや家財道具まで引っ越し荷物ほどを積み込む中年男は、「サンパウロに未練なんてないよ。せいせいした。早く帰りたいよ。故郷の料理は旨いからね」と晴れやかな表情。「まだ、帰りたくないが、仕事が見つからないから、仕切り直しだよ」と工事現場をリストラされ不本意な帰郷をする青年。まだ過去と未来を手放していない人々の、悲喜こもごもの横顔と後ろ姿をカメラは追う。

30代にも40代にも見える夫婦が印象的だった。
「疲れたわ。もう歩くのは嫌」
バスターミナル外の木陰に腰を下ろし、夫を見上げて妻は言う。
ビーチサンダルを履いて、ちいさなリュックしか持っていない妻は口角を下げ、いかにも不満げだ。禿頭に野球帽をかぶり、ランニングシャツに短パンの夫は、さかんに妻をなだめている。どうやら、バスターミナルまで歩いてきたらしい。サンパウロの農園の管理人夫婦として15年も働いたが、農園主が夜逃げをしたおかげで全財産を失い、故郷の村へ帰ろうとしているところだという。しかし、手持ちの金は一人分のバスの運賃にすら足りない。

「しかたがない。お前だけ途中まで行け。そこから先は歩いて、近くの町に着いたら、俺が連絡して誰か迎えに来させるから」
「あんたは、どうするの?」
「俺は、どうにでもなる」
「また、そこいらで寝るの?」
夫のポケットには、小銭しか残っていない。何やら夫にまくしたてて、妻は座ったまま動かない。一人で行けという夫の計画に反対しているのだ。ふて腐れた妻を残して、案内所や公衆電話に、忙しく歩き回る夫の汗だくの顔。とっくに万策は尽き、瞳は力を失っている。しかし、構内に福祉事務所があるのを教えられ、二人で相談に行く。そこで、近くに無料の宿泊所があること、そこに寝泊まりしながら仕事を探すことを勧められる。

カメラから去り際に振り返った妻が見せた、はじめての笑顔。やはり、まだ30代と思える幼さが口許に表れる。人が良いばかりに、15年も働いて得た家財や金のすべてを失い、住むところもなく路上に寝起きして、歩き通しに駅までたどり着いたところで、行く宛ても示せなかった夫を責めていた妻ではなかった。何より夫の身を案じ、二人が離ればなれになれば、今生の別れになりかねないことを予感し、その運命を拒んで緊張していたのが、解けた美しい笑顔だった。

バスターミナルには、福祉事務所だけでなく、帰省できない人々のために、クリスマスカードを代筆して郵送するボランティアのコーナーもある。無料だという。その一方で、誘拐した子どもの人身売買を防ぐため、親族の証明がなければ子ども連れは乗車券が買えないそうだ。

まだ若いバスの運転士は、こう言って胸を張り、番組は終わる。
「僕たちは、みんなの夢と命を運ぶ、この仕事を誇りに思っている」