コタツ評論

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ドライブ

2017-08-12 01:33:00 | ダイアローグ
盆休みの11日、山梨県の大菩薩峠に山歩きに行った。行きは圏央道を青梅で下りて下道(したみち)に出て、奥多摩・小河内ダムを抜けて柳沢峠に至る一本道だ。柳沢峠を下って大菩薩峠の駐車場に。

小雨模様のおかげで連日の猛暑が嘘のような、半袖だと少し寒いくらいの気温で、前日の雨に洗われた深緑が匂いを増して山歩きは快適だった。

帰りは同じ道を辿るのは芸がないと、大菩薩峠を勝沼側に下りて、勝沼ICから中央高速で圏央道に抜けようと思った。お盆とはいえ渋滞しているのは下りで、上りは空いているはずと踏んだ。

高速に乗ってしばらくは順調だったが、やがて混みだした。後楽帰りなのか、地方から東京へ遊びに行くのか、渋滞というほどではないが、50km/hくらいになり、ときどき詰まって止まるようになった。

時間は午後5時30分。これでは八王子ジャンクションまでかなりかかりそうだと思って、我慢できずに上野原で中央高速を下りた。上野原なら、奥多摩の奥みたいなものだから山越えすればショートカットできるだろうとそう思った。

案の定、高速の出口を出たらすぐに「あきる野」方向の標識が出た。左折するときに、「大型車は通行不能です」という小さな表示があったのが気になったが、あきる野なら青梅まですぐだ、してやったり、とばかり山道を走り出した。



霧が深くなってライトを点けたころから、道幅がかなり狭くなってきた。道路際の草木が鬱蒼と生い茂っていたのもあって、目測では車が一台通れるくらい。対向車が来たらどうやって交わそうかと心配になった。私の車はクラウン並みの車幅のフォードアセダンだった。

山越えの道だからカーブの連続は覚悟していたが、想定外の霧のおかげで視界はわるく、おまけに道路幅が狭すぎる。思った以上にスピードは出せない。渋滞にはまっても、高速に乗っていたほうが、結局は楽で早かったかなと少し後悔した。

しかし、心配した対向車は2台しかなく、どちらも軽自動車だったのにくわえ、地元のドライバーらしく、こちらに気づくとカーブの入り口とか道幅が少し広くなっているところで待っていてくれたりして、立ち往生にはならなかった。

かれこれ1時間近く走って出遭ったのはその2台だけ。後続車はなく人家はもちろんない。霧深い夕暮れの林道に近い道路を一台だけで走っていると、ちょっと気が滅入ってきた。

3つほど山を越えて和田峠というところを越えたあたりから、少しスピードを上げた。路地に近い道幅に変わりはなかったが、なんとなくこのまま迷いそうな、この白黒の道から出られなくなりそうな嫌な想像が頭をもたげてきたからだ。

カーナビは役に立たない。中古の車についていた圏央道を認識しない中古ナビなので画面はオフにしたままだ。もちろん、スマホのグーグルなどのアプリでナビはできるのだが、画面が小さすぎて覗き込むことになりかえって危ない。

正直、かなり焦っていた。車を止めて、一服して落ち着こうにもそんな開けた場所がない。行けども行けども黒々とした樹々の間を走り続けるしかない。

そんなとき、前方のライトに後姿の人影が浮かび上がった。霧と薄暮で視界はわるかったが山歩きの黒か濃紺のヤッケを着込み、フードをかぶったリュック姿のたぶん男性だとわかった。久しぶりに人の姿を見てほっとした。徐行して相手が気づくのを待ったが、変わらぬ足どりで歩いていく。

こんな淋しい山道を一人歩いているなんて不思議だなと思いつつ車を止め、クラクションを鳴らそうかと手を動かしたときに、それに気づいたように歩いていた姿が立ち止まり、こちらを振り返った。

やはり男性だった。そしてこちらに向かって歩き出し、やがて小走りに駆け寄ってくるまで、息をのむように見ているしかなかった。運転席側に立ったはずの男の方に無理やり顔を向けると、コンコンとサイドガラスを叩く白い拳が見えた。

このまま素知らぬ顔で発進してしまうおうかなど混乱した頭であれこれ考えながら、しかし、渋々ウインドウボタンを押した。少し下げるつもりが、オートパワーウインドウの窓は一気に下まで降りてしまった。と同時に男がぬっと顔を下げてきた。

その顔を見て、ひっと小さな悲鳴を上げてしまった。顔というより、眼だ。黒々と光る大きく虚ろな眼が、男の異常をこれ以上なく物語っていた。

眼の次は歯だった。やはり大きな白い歯の列がいきなり現われた。男がにっこり微笑んだのだとわかるのに少し時間がかかった。そして不快に高い声がその歯の間から漏れてきた。

「道に、道に迷ったので、あなたの車に、車のあなたに、下の、下の、ずっーと下の町まで、乗せてもらおうかと思ったのですが、ですが」

耳元で奇怪にリフレインする妙なアクセントを呆けたように聴いていた。ようやく、「ずっーと」のところで気がつき、「ですが」を聴きながら、アクセルをめいっぱい踏み込もうとブレーキから足を放した。が、男の白く大きな手が窓枠を強く掴んでいるのが気になった。

明らかに異常者に間違いはないが、このまま急発進させれば、振り落として怪我をさせるかもしれないと心配したのではない。男が手を離さず、引きずったまま走ることになるのではという恐怖に掴まれたのだ。

男の右手が窓枠から消えたのを見た。男の顔と私の顔の間に風が流れるのを感じた。そして、たぶん唇に笑みをたたえた男の声が上からきた。

「すでに満席でしたね、いや失敬」

普通の声だった。男は踵を返すと森の中に分け入って去った。私はずーっと下の陣馬の町まで、前方を照らすライトの光だけを見て走った。

(止め)



歌う男

2014-09-09 22:41:00 | ダイアローグ
歌を歌えということなので、おじさんの私がおおくりする歌は、ほとんど同世代のおばさんの歌です。日本でいちばん有名なおばさんの一人といえるでしょう。ユーミンこと松任谷由実が、まだ荒井由実だった時代、1975年、昭和50年のヒット曲、「卒業写真」です。

いや、まだ歌いません。曲紹介をしなくてはいけません。そうですよね?

彼女は1954年、昭和29年の生まれですから、現在60歳ちょうど、同級生みたいなもんです。1975年というと21歳、若いですねえ。私も若かった。

こんな歌い出しです。

悲しいことがあると 開く皮の表紙
卒業写真のあの人は 優しい目をしてる


1975年、昭和50年という時代は、新・旧が入り交じり、古いものが去り、新しい事がどんどんが起きてきた、ちょうど変わり目の時代です。いろいろなことがありました。

たとえば、サイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終わり、アメリカがはじめて戦争に負けました。イギリスでは、初の女性首相、サッチャー首相が誕生しました。インターネットの巨人となるマイクロソフトをビル・ゲイツが設立した年です。

日本の首相は、田中角栄さんが失脚して三木武夫さん。日本電信電話公社、いまのNTTが「プッシュ式公衆電話機」を発売した年です。それまではジーコジーコとダイヤル式でしたね。指でダイヤル回す仕草が、(電話するよ)でした。いまは、親指を耳に小指を口に当てますね。

この年のヒット曲は、布施明「シクラメンのかほり」、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」、沢田研二「時の過ぎゆくままに」などで、子門真人の「およげ!たいやきくん」が大ヒットしました。

矢沢永吉が最初に結成した伝説のロックバンドのキャロルが解散した年でもあります。というか、YAZAWAというソロになったわけで、それから50年も活躍しているわけですね。現在も放映している『秘密戦隊ゴレンジャー』(東映 - NET系)が放送開始された年でもあります。

ユーミンが「卒業写真」という曲を作り歌った1975年、昭和50年の出来事の中で、私が印象的だなと思ったのは、この年、集団就職列車の運行が終了したんですね。詰め襟の学生服やセーラー服で上野駅や東京駅に、就職のために地方から降り立つ中卒の少年少女の姿が消えました。集団就職列車が最後になったんですね。

もうひとつは、文房具メーカーのコクヨが「Campus」ノートを発売したんです。英語のロゴが入った水色とか黄色のパステルカラーの表紙でね。30年以上続くロングセラー商品になって、いまも文房具店のノート売り場の主流です。それまでは、大学ノートという、なんか帳簿でもつけるような、陰気くさい灰色のノートが主流でした。

つまり、集団就職列車が旧とすれば、「Campus」ノートが新ですね。中卒で就職する少年少女が激減して、その多くが高校に進むようになり、その高校生の半分くらいは大学に行きたいと思うようになった。豊かな時代になった象徴的な出来事じゃないかと思ったわけです。

中学を卒業して、義務教育を終えたら、工員や店員さんになって働く、子どもからいきなり大人になることから、ほとんどの若者が青春時代を経験する時代にはっきり変わったのです。これはたいへんな変わりようです。しかし、いいことばかりじゃありません。

恋愛すればふられることもあり、受験勉強に挫けてしまったりする。青春は現実に裏切られることも多いわけです。ユーミンの「卒業写真」は、さらに胸ふくらむ青春時代を過ぎてから、現実に裏切られ挫ける苦い思いが歌われているんですね。

歌は世に連れ、といいますが、時代の変化を先取りして、青春の甘酸っぱい思い出だけじゃなく、その後の人生のほろ苦い現実も、同時に描いている。同時に味わっている私たち、青春の残骸を胸奥にしまっている私たち自身を描いています。

だから、この歌は50年以上も親しまれ、口ずさまれているんですね。1970年代以降の10代から50代、60代まで、みんなの同じ気持ちや経験を歌っている。たかだか21歳の荒井由実はそれを見通しているんですね。私は、全然、時代を見通すなんてことはできませんでした。そういう、すごい歌手のすごい歌なんですね。

はい、はい、長すぎましたね、いま、歌います、歌います。

話かけるように~ 揺れる柳の下を~

「はい、結構です。次の方、どうぞお」

「榊原里奈、17歳でえす。昭和の歌が好きなんでえ、工藤静香さんのMUGO・ん…色っぽいを歌います!」

「元気いいですね、ではどうぞ歌って」

(敬称略)


北風の中に聴こうよ春を

2014-01-12 11:10:00 | ダイアローグ
北風吹き抜く寒い朝も心ひとつで暖かくなる♪と吉永小百合が歌っていたその昔/だれもその歌詞を無茶だとは思わなかった/教室のだるまストーブと湯気をあげていた大やかん/手をかざしながら「給食、カレーだぜ」の情報にみんな顔を輝かせた/先生までも/懐かしい寒い朝



暑い夏は扇風機に限る

2011-07-13 22:13:00 | ダイアローグ


せんぷうき

ぼくはおさけをふくんで
きみはおみずをのんで
よっぱらっちゃったね
ころがってきみはおおわらい
おつまみはもろきゅうと
はつきのしんしょうがをあかみそで
しろいやっこどうふには
おくらをきざもうね

せんぷうきがだれもいないとこへ
かぜをおくっている
ぼくたちがいどうしたからね
はあはあふうふうすこしあついね
ぼくのあせがきみのひたいにおちて
おとがしたときみはおおわらい
よくわらいよくなくきみに
あきれてぼくもおおわらい

(02/07/14)

暑さ厳しき折、食も進まぬ日に

2011-07-12 21:44:00 | ダイアローグ


ゴッゴッゴ、ゴーヤチャンプルー!

まずはゴーヤをまっぷたつ
スプーンで種をえぐり出す
トトンと薄く切ったなら
勝手にさらせ塩水に
苦み青みも10分まで
豆腐は木綿絹は嫌
焼けたフライパンの上
かどや純正胡麻油
たらりとすれば煙るほど
水切り豆腐つかんでは投げ
投げてはつかむと火傷する
豆腐に焼き目がついたなら
ゴーヤをくわえ
パラリンリンと塩胡椒
醤油の一滴
地獄の業火もかくなるや
まぜてかえしてちょうだいな
あとは2個の溶き卵
とろりと流してまぜません
揺すり傾け
蓋して1分
ちょとチャンプルー
ゴヤチャンプルー!

(2001/8/23)