コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

ただし、借りちゃいけない。本は買うものだ。

2015-08-27 23:13:00 | 今週の箴言
教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。  (『今夜、すベてのバーで』中島 らも)

その技術のひとつが読書なのはいうまでもないが、図書館へ行くことはそれ以上の経験かもしれません。読書すると図書館へ行くはイコールではない。葉脈を見つめるのと樹木を眺めること、林や森を歩くのは違うものです。いや、本棚や読書する人々の間を歩かず、ただ閲覧デスクにつっ伏しているだけでもかまいません。私もまた、そんな寄る辺ない少年であり、青年であり、中年でした。図書館は読書をしない人のためにもあるのです。

鎌倉市図書館のツイート「学校がつらい子は図書館へ」 一時は削除も検討
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/26/kamakurashi-library_n_8046562.html?utm_hp_ref=tw

2002年に起きた図書館がきっかけになった殺人事件の3面記事が元になっています。

名もない時代の名もない国で
http://moon.ap.teacup.com/chijin/84.html

なかなか楽しい歌です。子どもの英会話教室で教えればよいのに。

Library Song, by Tom Chapin



今夜は、雨に消えたあなた

2015-08-17 00:29:00 | 音楽
1970年の大阪万博で歌うカイン・リーというベトナムの女性歌手です。覚えていますか?「雨に消えたあなた」というタイトルで発売され、大ヒットした名曲です。

Khanh Ly In Japan 1970


ベトナム語では「美しい昔」というタイトルだそうです。やはり、日本語で歌うよりずっとのびやかで表現が豊かに思えます。

Diễm xưa - Khánh Ly - Ca sỹ Khánh Ly - Nhạc Trịnh - ca khúc diễm xưa


(敬称略)


今夜はサン・トワ・マミー

2015-08-09 20:48:00 | 音楽
アダモと越路吹雪の歌唱が有名ですが、日の丸関係者にはO氏の十八番として、卑猥な腰くねダンスとともに思い出す歌です。髪型そっくりで顔立ちもやや力石徹に似ていたのに、越路吹雪を真似たのか唇をすぼめて流し目するのに抱腹したのは、ずいぶん昔にようについ昨日のようにも思えます。

奇妙礼太郎 - サン・トワ・マミー


未知の歌い手ですが、なかなかいいです。

(敬称略)

ダウン症の子の母親に言わないで

2015-08-02 23:08:00 | 今週の箴言
「何を差し置いて」という"名称"は醜いものです。(ルイーズのママ)

はじめ、Facebook上のコメントについて語っているのかと思いました。ネット上の書き込みなら残念ながら日本でもあり得ることですが、どうも「ルイーズのママ」は面と向かって、尋ねられたり意見されたりしているらしい。

アメリカとはなんと思いやりのない野蛮な社会なのだろうと憮然としました。もちろん、日本でも陰口や聞こえよがしなら少ないだろうがあるでしょう。しかし、「面と向かって」は考えられません。遠慮というものがある。自分が思ったこと、疑問を感じたことなら何でも口に出してよいとはまったく思っていないはず。自分の意見や考えを述べることはとりあえず正しい。少なくとも率直であることは評価されるべきという社会的な合意があるとすれば、利己主義よりずっと厄介ではないでしょうか。

ただ、さすがと感銘したところもありました。「ジャーナリスト」としての文章を片鱗も書かなかった「ルイーズのママ」にです。日本なら、ダウン症の子を持つ母親としてだけでなく、「ジャーナリスト」として「私にできること」に引きずられがちになるからです。3.11のときも、「自分は歌手ですから、歌うことで被災地の皆さんを励ますことができたら」というコメントを幾度も聴いた。それは尊い結構なことに違いはないのですが、あるいは型どおりの説明に過ぎないのかもしれませんが、考え抜いたあげくに「それだけができること」と唯一無二のように云われると、どうしても違和感を覚えたものです。

もちろん、職業はその人を規定する重要なファクターですが、職業生活が人生の一部に過ぎないこともあたりまえのこと。やはり、アメリカには、唯一無二の「個人」がいるのだなと「ルイーズのママ」に感じ入った次第。たぶん、そのことをルイーズから学んだのではないかと推測します。えっ、ダウン症児を災難視している? 違いますよ。ダウン症児を持つ母親はたくさんいるし、3.11の被災者も膨大にいるけれど、その内の一人ではなく、その中心としての一人を個人というのです。そう最首悟さんが云っているわけです。

ダウン症の子を持つ母親に、こんなことは言わないでください
http://www.huffingtonpost.jp/caroline-boudet/meet-louise-my-4-month-old-daughter-with-two-arms-two-legs-and-one-extra-chromosome_b_7574788.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

(敬称略)