コタツ評論

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残酷な視線

2014-10-31 00:37:00 | ノンジャンル
これほどオリジナルを凌駕したカバーも珍しい。歌詞(訳詞)や編曲もさることながら、森川由加里の歌がすばらしい。これほど才能豊かだったのに。

SHOW ME / 森川由加里


この直視できぬ痛々しい痴呆的な猥褻感が歌謡曲の残酷な一面であることがわからなければ、あなたは歌謡曲とは無縁である。

AKEMI ISHII LAMBADA - ランバダ・石井明美 1990


なぜ、いま頃、森川由加里や石井明美なのか? 先日、CATVを視ていたら、UFCの中継をしていて、ヴァンダレイ・シウバが若い中国系ファイターと闘っていたからだ。50歳にもみえるほど老けて皺だらけの顔を辛勝に綻ばせていた。かつての彼なら、1Rで楽勝していただろうに。

芸能者や格闘者に向けるときだけでなく、人が人に向ける視線はつねにある残酷さをともなっている。

(敬称略)
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人は見かけで判断する

2014-10-30 22:55:00 | 音楽
アメリカ人の半分以上が「バック」と呼んでいるバッハの平均律です。昔は、なんて単調なんだとバッハを聴かず嫌いでしたが、石坂公子さんの演奏でちょっと好きになりました。というか、石坂さん、よい笑顔ですね。口が半開きになるところもかわいくて、フォトジェニックです。

Kimiko Ishizaka performs The Well-Tempered Clavier at Manifold Recording


シャヘラザードです。昔から、こういう賑やかな音が好きでした。というかゲルギエフ、アル中の浮浪者みたいな風貌と指揮ぶりがフォトジェニックですねえ。

Rimsky-Korsakov: Scheherazade / Gergiev · Vienna Philharmonic · Salzburg Festival 2005


(敬称略)
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高麗神社と谷内正太郎

2014-10-27 00:22:00 | 政治
いつもの朝鮮日報記事だが、興味をひかれたのは2001年の天皇発言の後段である。

【コラム】韓国を「人権後進国」と批判する日本の極右へ
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/10/24/2014102401361.html

「桓武天皇(737-806)の生母が百済の武寧王(462-523)の子孫であると『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じている。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の(韓国からの)移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に(朝鮮半島から伝来した)雅楽を演奏している人がいる」

宮内庁で雅楽を演奏する楽師のなかにも、朝鮮半島からの帰化人の子孫がいるという下り。少し前に日高市の高麗神社を訪ねたことを思い出した。

1300年前、日本に移り住んだ高句麗人
http://komagun.jp/

なぜ、高麗神社を訪ねたかといえば、車で小一時間ほどの「ご近所」だったのと、ほんの気まぐれからだった。なぜ、気まぐれを起こしたかといえば、「右折 高麗神社」の標識を見たとき、初代内閣官房国家安全保障局長に就任した谷内正太郎の名が浮かんだからだ。

いうまでもなく、国家安全保障局(NSC)はたいへん重要な機関であり、当然、その局長ポストは注目された。その初代に就任した谷内正太郎が高麗神社に参拝したのを知っていたからだ。それも就任前のたぶん忙しい合間に。新聞の埼玉版に小さく、「谷内正太郎氏 高麗神社へ」という記事が出たのだ。それが頭にひっかかっていた。

「なぜ、高麗神社に?」。富山県出身の谷内氏に埼玉や日高市、旧高麗郡との地縁はないはず。神社仏閣巡りが趣味とも思えない。たとえ趣味であったとしても、就任直前に訪ねるものだろうか。もしかして、国家安全保障局の重要案件であるはずの北朝鮮や韓国との外交問題に関わるのかも? そんなことも考えてみたが、その窓口やパイプ役が神社に関係するなど、小説や映画でもあるまいしとも思ったりした。

?を抱えながら高麗神社を訪ねてみたわけだが、参拝者の名札に「谷内正太郎」の名前がたしかにあったのには拍子抜けした。堂々と公式参拝したわけだ。ただ、ほかの名札を眺めて、ちょっと仰天に近い驚きがあった。明治から昭和にかけて、日本の政治家や官僚、とくに大蔵官僚の大物の名が多いのだ。日本の政治家は官僚出身者が多いわけだから、ちょっとした「官僚神社」の感がある。

伊勢神宮や明治神宮、靖国神社ではない。交通の便の悪い埼玉県の奥深い地にある小さな、それも朝鮮渡来人の神社なのである。たとえがひどいという批判はあろうが、東十条のぼろい焼き肉屋に、安倍総理や黒田日銀総裁、齋木昭隆外務次官などが店主と一緒に写ったサイン入り写真が飾られていたようなもの、といったらよいか(まずいか)。

これはもしかすると、半村良の伝奇世界かもということで、「大物たち」やほかの「有名人」の名前を含めて、続きは次回に。

(敬称略)

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コートにスミレを

2014-10-19 03:06:00 | 音楽
すてきなタイトルですね。たとえばオードリー・ヘプバーンのような娘が、襟にスミレをつけた丈の短い薄手のトレンチコートの裾を返して、都会を闊歩する姿が見えるようです。恋して恋される娘の輝く瞳のクローズアップ! 

John Coltrane Quartet - Violets For Your Furs


でも、原題は ”violets for your furs ”「あなたの毛皮にスミレを(買った)」です。コートではなく毛皮となるとずいぶんイメージが変わります。紫が映えるとなると、黒いミンクではなくシルバーフォックスでしょうか。とすれば、ゴージャスで妖艶な女ですね。毛皮を着る冬にスミレを買うとはキザな伊達男でしょうか。

でも、武骨なコルトレーンの演奏は、スミレを贈る内気な男心に寄せているかのようです。もともと女を賛美する男視線の歌なんです。たいていのジャズ・スタンダード曲がそうであるように、フランク・シナトラの歌唱が白眉ですが、今回はハドリー・フレーザーで。

Hadley Fraser "Violets For Your Furs"


ビリー・ホリディは”violets for my furs ”と女心に歌い替えています。自ら買ったのか、以前の男が買ってくれたのか、毛皮への執着がうかがえますから、あまり裕福とは思えない男女です。四季をともにしているからたぶん同棲しているのでしょう。たった一度、男がスミレを買ってくれたことを想い出しているのは、いまがあまり幸せとはいえないからでしょうか。いや、幸せだったときに戻って陶然としている女を歌っています。

Lady in Satin Billie Holiday & Ray Ellis - Violets For Your Furs (Columbia Records 1958)


You bought me violets for my furs
And it was spring for a while, remember?
You bought me violets for my furs
And there was April in that December

The snow drifted on the flowers and melted where it lay
The snow looked like dew on the blossoms
As on a Summer day

You bought me violets for my furs
And there was blue in the wintry sky
You pinned the violets to my furs
And gave a lift to the crowds passing by

You smiled at me so sweetly
Since then one thought occurs
That we fell in love completely
The day you bought me violets for my furs

You smiled at me so sweetly
Since then one thought occurs
That we fell in love completely
The day you bought me violets for my furs

(敬称略)
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中学生の正義

2014-10-16 04:57:00 | 政治
かつて、この人の『単一民族神話の起源――<日本人>の自画像の系譜』、『<日本人>の境界――沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮:植民地支配から復帰運動まで』、『<民主>と<愛国>――戦後日本のナショナリズムと公共性』などを読み、「現代の丸山真男」と買っていたのだが、なんとひどいコラムを書くようになったのだろう。

『<民主>と<愛国>』では「進歩的知識人」を分析対象にしながら、その淵源のひとつである「国際社会」については、無前提、無原則に臣従して、地球に対する温室効果ガスのような、「効果」と「作用」の話しかしない。戦前と戦後の「断絶」を自らの断絶と分かち難く苦闘した、戦後初期の「進歩的知識人」の矜持の欠片もみられないではないか。

いや、丸山真男ですら、一個の思想家というより、「ただの優等生」と評した、夫子自身の思想が「枢軸国日本」と「戦後日本」にとどまるとは! 戦前の「悪い日本」と戦後の「正しい日本」というなら、<日本人>に「自画像」や「境界」などありはしない。ただの「中学生の正義」である。

占領軍司令官ダグラス・マッカーサーは「日本は12歳の子ども」と発言したことがあったが、映画監督の篠田正浩は、黒澤明の一連の「社会派映画」を評して、「中学生の正義」と冷笑したことがある。しかし、いずれも占領期や戦後遠からずの頃の発言である。

戦後70年近くを経て、これがたどりついた「思想」かという空しさ。安倍政権の低劣な「戦前回帰」と同様に低劣な「戦後回帰」を表す、「戦前」の「進歩的知識人」の一人に数え上げておく。

(思想の地層)「誤解」を解く 「枢軸国日本」と一線を 小熊英二
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11401532.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11401532
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