コタツ評論

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今夜はセント・ジェームス病院

2014-06-29 00:23:00 | 音楽
ルイ・アームストロングが1928年(昭和3)に吹き込んだ、代表的な St James Infirmary です。Hospital ではなく Infirmary の場合は診療所や医務室が第一義なので、幼い娘が死んだ小さな病院へ行ったという歌なのでしょう。

Louis Armstrong: St. James Infirmary


歌詞はこちらにありますが、途中から、娘は忘れたように、「俺が死ぬときは」という歌詞に変わっています。次のキャブ・キャロウェイ版では、「俺が死ぬとき」の情景がさらに増えています。「6人の棺の付き添い人は博打仲間に頼み、コーラスガール付きでジャズバンドを入れて、酒の入ったショットグラスを手に、ハレルヤと歌おう。それがいつの日なのか教えてくれよ」という具合です。葬送曲なんですね。

St James Infirmary Cab Calloway


たぶん、娘にろくなものも食わせず、病気になっても金がないので医者にも診せられず、危篤になってからやっと病院に運ばれ、「お前の娘が死んだそうだよ」と飲んだくれていた酒場で聞かされやってきた「俺」です。すでに手遅れだったのか、病室のベッドにも移されず、廊下でストレッチャーに寝かされたままの娘を見て、「ああ、かわいそうに」と嘆き悲しむのではなく、「俺が死ぬときは」派手に賑やかに洒落のめしたいものだ、と思い浮かべて楽しむ、なかば狂った男の葬送曲です。

たしかに長いトローンボーンですが、ショーティというほどチビではありません。オバマ大統領夫妻を前にホワイトハウスで演奏しています。前述のような残酷悲痛な歌詞の内容を思えば、なかなか皮肉な選曲です。

Trombone Shorty - St. James Infirmary - In Performance at the White House: Red, White, and Blues


お懐かしやトム・ジョーンズです。ルイ・アームストロング、キャブ・キャロウェイのいずれの歌詞とも違うようです。

the cooles version of st. james infirmary blues


コレット・マグニーというのでしょうか。フランスの歌手です。ブルース曲として知られていますが、原曲はアイルランドの民謡のようです。

Colette Magny - Saint James Infirmary (live)


オーストラリアの歌手です。

Steve Smyth - 6/13 : Saint James Infirmary (Louis Armstrong cover) | HibOO d'Scene


St. James Infirmary - Allen Toussaint (!)


先に葬送曲だとしましたが、検索してみると、ストリップ音楽としてもよく使われているようです。卑猥にミュートをかけたトランペットがリードする演奏が多く、ちょうど、加藤茶の「ちょっとだけヨ」の「タブー」みたいなものなのでしょう。おまけです。

Peekaboo Pointe at Duane Park "St. James Infirmary" 5/26/12


(敬称略)









今夜はすき焼き

2014-06-23 23:51:00 | 音楽
日本語のまま歌って、1963年のビルボード週間ヒットチャート1位、年間10位の Sukiyaki です。コメントを読むと、「子どもの頃に大好きな歌だった」「幼稚園で歌って褒められた」「kyu Sakamoto version がいちばん!」など、classic song として愛されているのがよくわかります。アメリカだけでなく、アジアやヨーロッパでも大ヒットして、いまも歌われ続けているようです。

Sukiyaki - Kyu Sakamoto (English Translation and Lyrics)


来日した音楽プロデューサーが買い漁ったレコードのなかで、たまたま気に入った曲が人から人へDJへ渡り、あれよあれよという間に大ヒットしたからではなく、坂本九の歌にはちょっと奇跡的な感じがあります。雲や星や月や青空という言葉が出てくるというだけでなく、宇宙空間のような清澄さというか。アポロ11号が月面着陸するのは、6年後の1969年のことです。これも人類終焉のBGMにふさわしい歌ですね。

SUKI YAKI by Kenny Ball and his Jazzmen


朝鮮日報案内に挿入した「モスクワの夜は更けて」をヒットさせた、イギリスのディキシージャズバンドのKenny Ball and his Jazzmen が、初のインストルメンタル曲としてヒットさせました。途中で2回、トランペットとトロンボーンのかけあいに、シンバルだけでアクセントをつけていたドラムが、ドシャドシャするところ、歌詞でいくと、<涙がこぼ・れ・れ・ないよおおおに>がたまりませんな。

TOMMY EMMANUEL : SUKIYAKI


オーストラリアの「フィンガーピッキングの達人」と呼ばれるギタリストだそうです。指で弾くせいで、柔らかくあたたかい音が出るのでしょうか。

Billy Vaughn - Sukiyaki


おなじみビリー・ボーン楽団でした。やっぱり、出だしのビブラフォンが効いていますね。次は、アカ・ペラグループです。素晴らしいハーモニーを聴かせてくれますが、ひどい服を着てますね。

4 P.M. - Sukiyaki (Live)


英語歌詞を紹介しようと思いましたが、「君がいなくて毎日が雨の日のようだ」とか、「君を思って泣いているよ」とか、「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」という秀逸なフレーズとは比べようもない、たあいもない歌詞のようでしたので、止めました。

ただ、「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」なんてことは、「ある、ある!」といえば嘘、「ない、ない」です。悲しくて、悔しくて、涙するとき、人は誰でもうつむき、下を向くものです。だからこそ、「上を向いて歩こう」なんですね。ありそうもないことをまるであったかのように、回想しているのです。

中学校の英文法で習った過去完了仮定形ですね。仮定は未来に属しますから、未来の過去、過去の未来になります。「上を向いて歩きたかったんだよなあ、涙がこぼれないようにさ、次にはきっとそうしよう」でしょう。永六輔の名歌詞はやはり英語には置き換えられません。

Sissel Kyrkjebø - Sukiyaki


知らない言葉なので歌手の名前さえ読めず、どこの国なのかもわかりません。音楽は国境を越えると気楽にいう人がいますが、まず国境を確定してもらいたい、というのが世界の緊近の課題ではないでしょうか。いや、怒っているのではありません。感動しているのです。このクソみたいな世界にまだ音楽があることに。

なんちゃって。Sissel Kyrkjeb (最後のbの後にOに斜線が付きます)を検索してみたら、ホセ・カレーラスと共演するほど、国際的に活躍しているノルウェイの人気ソプラノ歌手でした。

(敬称略)

今夜はアストラド・ジルベルト

2014-06-22 03:49:00 | 音楽
ボサノバの元祖ジョアン・ジルベルトの女房だったのが、レコーディングについてきて、お遊びで歌わしてみたら、「いけるじゃん」と吹き込んだところ、素人歌手なのにアメリカで「イパネマの娘」が爆発的に売れたエピソードは有名です。

亭主と同じ歌いかたなので、「門前の小僧、習わぬ経を読み」なのですが、以後、「歌わあ、声量とかあ音程とかじゃなくてえ、もちろんそれも大事だけどお、何よりもスタイル?なわけでしょ」とその脱力スタイルを真似た小娘をたくさん生みました。

Fly me to the moon By Astrud Gilberto


絶品です。ナット・キング・コールやシナトラ、トニー・ベネットの Fly me to the moon と聴き比べても、です。

Agua de Beber - Astrud Gilberto


アグワジベベーアグワジベベーと脳内リフレインしますね。「おいしい水」という邦題で知られています。アグワは、ポルトガル語で水の意味。ブラジルの BAR で飲み物に困ったら、「アグワ・カリエンテ」と云えば、ウイスキーの水割りが出てきます。

ピンガが有名ですが、甘くて呑みやすいけれどえらく強い酒で、酒に弱い人なら腰が抜けます。ベベを英語に置き換えると、chamber なので、「飲料室」と直訳できます。ポルトガル語から英語にgoogle翻訳すると、以下になります。

I would love more afraid, and wanted to save my heart
But love knows a secret, Fear can kill your heart
Drinking water, drinking water chamber
Drinking water, drinking water chamber

I've never done something so right, I went to school forgiveness
My house lives open, I opened all the doors of the heart
Drinking water, drinking water chamber
Drinking water, drinking water chamber
I always had a certainty, that sums gave disillusionment
It is that love is a sadness, too much heartache for a heart
Drinking water, drinking water chamber
Drinking water, drinking water chamber


「愛の水汲み場」とでもいえましょうか。簡単な言葉だけで、愛への渇き、傷つくことへの怖れを歌っています。歌詞の解説を見つけました。ただ、赤字の部分がわかりませんでしたね。

Astrud Gilberto - Manha De Carnabal


名画「黒いオルフェ」のテーマですね。ジョアン・ジルベルトと並ぶ、ボサノバの創始者・アントニオ・カルロス・ジョビンの作曲です。ちなみに、映画で歌っているのは、ブラジルを代表する歌手カルドーソです。

Astrud Gilberto Featuring Chet Baker - FAR AWAY


スタン・ゲッツとの共演は有名ですが、これはチェット・ベーカーのトランペットとボーカルがからみます。

(敬称略)

朝鮮日報案内

2014-06-20 21:52:00 | 政治
コタツ評論はじつは韓流推しでして、その筆頭は天才少女民謡歌手のソン・ソヒ嬢なのですが、その次はパク・ユハ(朴裕河)さんであります。

以前に、パク・ユハさんの新著『帝国の慰安婦』が韓国で出版されたことを紹介しました。メディアの評価はおおむね好意的でしたが、残念なことに、やはり慰安婦側(というより、挺対協)から、提訴されました。

元慰安婦ら、『帝国の慰安婦』著者を告訴
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/06/17/2014061701009.html

元慰安婦ら 韓国人教授著書の出版差し止め求め提訴へ
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/06/15/2014061500858.html

提訴を報じる朝鮮日報の記事は、「提訴された」という事実中心の客観的といえるものですが、次の記事は、はっきりと『帝国の慰安婦』を擁護したので驚きました。慰安婦問題について、これほど「客観的」な記事を朝鮮日報ではじめて読みました。「政治的な公正」を排した記者の主観的な記事をはじめて読みました。

朝鮮日報記者に質問:『帝国の慰安婦』の内容に一理あるのか
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/06/19/2014061901778.html

「今必要なのは、彼女たちを『正しい朝鮮人闘士』に仕立て上げることで『国家の品格』を高めることではなく、彼女たちを単なる『一人の個人』に戻してやることだ。中国やオランダのように敵国の女性が『完璧な被害』を受けたという記憶を借りてきて、それによって覆い隠し、朝鮮女性による『協力』の記憶を無きものとし、少女像を作り上げて彼女たちを『民族の娘』に祭り上げる行為は、家父長制と国家の犠牲者だった『慰安婦』をいま一度国家のために犠牲にする行為にすぎない」

と、短いコラムなのに、「朝鮮人慰安婦」を再定義した長い引用を厭わず、以下では、「慰安婦問題」の所在を簡潔に適切にまとめています。

さらに「慰安婦問題を再構成するわれわれの記憶は決して正確なものではなく、互いに異なった記憶の間には闘争が存在する」とした上で、われわれが持つ記憶が不完全であることを指摘しています。つまり朴教授の主張は「韓国人が持っている慰安婦のイメージは、慰安婦たちの『記憶と経験』の片方の側面にすぎない」「そのような形の『慰安婦』そのものに対する不十分な理解と、日本による『謝罪と補償』をめぐる『誤解』、そして現実の政治と絡み合い、またそれ(政治)に利用されていることが、20年以上にわたり慰安婦問題が解決しない最も大きな理由だ」との見解も示しています。

と、ここまでなら、記者の有能と見事なまとめに帰するのですが、そこまで書いて大丈夫かというところまで行き、慰安婦のおばあさんたちへぎりぎりの気配りに帰ってきます。

朴教授は上記のような自らの考えを表明することで、日本軍慰安婦被害者につらい思いをさせたようです。記事にも書きましたが、同書の110ページには「日本軍による性暴力には単発の強姦(ごうかん)、拉致した上での性暴力、管理売春の3種類が存在していた。(中略)朝鮮人慰安婦のほとんどはこの3番目のケースが中心だった」と記載されています。このような記述を実際に日本軍によって拉致され、被害を受けた女性たちが見れば、非常に気分を害すると思います。

最後の行は、存命の54人のおばあさんだけに向けて書いています。パク・ユハさんが、「彼女たちを『一人の個人』に戻したい」と主張していることを踏まえて、「ハルモニ」たちの心中を思いやっています。それ自体がきわめて侮辱的な差別語ともいえる、「性奴隷」という呼称を使う余地をまったく残していません。

「朝鮮人慰安婦のほとんどは、管理売春だった」という文言が一人歩きすることを覚悟の上で、「ハルモニ」たちの「つらい思い」を引き受けようとしています。それは、「朴裕河とは、どのような人物なのか?」という読者の質問に、「答えない」ことでもうかがえるものです。パク・ユハさんが提起した「慰安婦問題」の所在について、自らが問題の一部であること、それは読者を含む「我々」の一部でもあるからでしょう。

いま、朝鮮日報をはじめ、韓国のメディアでは、新首相候補の「親日」が問題になっています。セウォル号沈没の責任をとって辞任した首相に代わり、パク・クネ大統領から新首相候補に指名された、ムン・チャングク(文昌克)元中央日報主筆の言動を連日報道しています。新首相候補がかつて書いた「親日記事」や「慰安婦」をめぐる発言が、「首相になる資格がない」と国民から批判され、その去就が注目されているのです。

朴大統領側近の与党重鎮 首相候補に指名辞退促す
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/06/20/2014062001896.html

そのさなかというだけでなく、安倍内閣の河野談話検証の結果発表を明日に控えた6月19日に、オム・ボウン記者は、読者の疑問への回答という形、つまり、社論とみなされることを承知の上で、客観的で良心的な記事を書きました。中立的な耳障りがよい記事を書きませんでした。主観的な人を傷つけるかもしれない記事を書きました。そして、20日を迎え、日本の大久保は次から次へシュートをミスしました。

韓国政府「日本の河野談話検証強行に遺憾」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140620-00000043-yonh-kr

Midnight In Moscow - Kenny Ball

(敬称略)

今夜は Let It Go

2014-06-18 17:18:00 | 政治
ひさしぶりに伸晃語録が加わりました。

最後は金目でしょ
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140617/plc14061722590018-n1.htm

私の第二の故郷である神奈川県平塚市には金目(かなめ)という地名があります。白鷺が遊ぶ花水川沿いを東名秦野インターに向かうと金目橋がかかり、橋を渡って大磯方向に向かう途中に我が家の墓所があります。平塚市へ編入される前は金目村、以前は田畑ばかりでしたが、いまでは公民館や中学校のほかに、パチンコホールやヨークマートもあります。


平塚市金目を流れる花水川からダイヤモンド富士を望む


金目(きんめ)というなら金目鯛。平塚周辺の回転寿司では、季節もありますが伊豆で獲とれる金目は欠かせません。白身にほんのりピンクの帯が入って、淡泊ながらもちっとした食感がたまりません。旨い脂が出る煮付けも格別です。新鮮な金目鯛を生姜と鷹の爪を浮かべた煮汁を沸かしてサッと煮ます。

石原環境大臣の「最後は金目でしょ」の金目(かねめ)は初耳でした。会話でも文章でも覚えのない用法です。「何か金目の物を探せ」と泥棒はいいますが、「金目でしょ」という用例を思いつきません。ただ、「金目当て(かねめあて)」と補えば、何の過不足もありません。もしかすると、永田町界隈では、「金目当て」と口にするのを憚って、「金目」と省略して云う慣行でもあるのでしょうか。

そうではなく、石原伸晃環境大臣だけが、たまたま口に出したのだとすれば、なかなかユニークな言語感覚です。かつて、福島第一原発を「サティアン」と称して物議を呼びましたが、父親譲りの身も蓋もないレトリックに、作家の血をみるのは私だけでしょうか。私だけでしょうね。

「最後は金目でしょ」発言は、福島第一原発事故の除染で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設の候補地として、福島県大熊、双葉両町の住民説明会を終えた直後に出たものです。

中間貯蔵施設といいながら、やがて恒久的な貯蔵施設になるのは誰もが予想していることです。その補償額も当然、中間貯蔵施設を建前にしながらも、実質的には恒久的な貯蔵施設として、政治的に算定されるわけです。

「住民説明会ではお金(補償)の話が多く出た」ので、「最終的には補償額」と結論づけたのはわかるのですが、「最後は金目でしょ」と「PC(政治的な公正)」の問題だけでなく、日本語としても奇妙な変換を口にしてしまいました。住民説明会の直後というTPOから考えれば、「(住民側も)最後は金目(当て)でしょ」と補って解釈するのが至って妥当でしょう。

お約束のように、野党や県知事などから、「住民に不快な思いをさせた」「住民の心を傷つける」という批判が出て、石原大臣も「不快な思いをさせたとしたら」と「お詫び」しました。かねてから、この「不快な思い」や「心を傷つける」の乱発が気になってしかたがないのですが、いったい、なんなんですかね、これ。

「不快な思いをさせられた」や「心を傷つけられた」と面と向かって批難する人々が、一方にいなければ成り立ちませんが、そんな人がいるとはとうてい思えません。もしいたとしたら、その救済は、「愉快な思いをさせてもらった」や「心の傷が癒やされた」などであるはずですが、そんな話はついぞ聞いたこともありません。

いや、「不快な思いをさせられた」り「心を傷つけられた」人々は、その声を上げることさえできないのだ、それは想像的に聴くものだ、代わって忖度や配慮しているのだ、というなら、事実報道にはまったくそぐわないし、そんな代弁をいったい誰が認めたのでしょう。いかにも露悪的な「最後は金目でしょ」と、いかがわしく偽善的な「不快な思い」や「心を傷つけ」を、まさに好一対と思えるのは、私だけでしょうか。

些末な言い間違いをとりあげてという向きもありましょうが、国民は記者でも学者でもないのですから、議員や大臣などの些細な言動から、その適否を判断するのはしかたがないことです。また、人物判断としては、あながち的外れではない事例(バンソーコ大臣とか)を私たちは数多く見てきました。

石原伸晃環境大臣にも、そんな些細な場面がありました。石原大臣はお詫び記者会見の間、手元の原稿を読むためにほとんど顔を伏せていました。記者との質疑が終わり、林立するマイクの前を離れ、会見場を後にするとき、その場面が映されました。写真左に映っている、たぶん環境省の秘書官に、読んでいた原稿をサッと手渡し、足も止めずに歩き去ったのです。


石原伸晃環境大臣と秘書官(左)

秘書官は写真の通り、なかなか男らしい渋い風貌で知的な眼光を備えています。誰が見ても、石原伸晃大臣より格上の人物と思うはずですが、たかが数枚のペーパーを持たせて従わせたのです。

なるほど、たかが数枚のペーパーとはいえ、持ち続けるのが負担になるほど重かったんだな。なるほど、たかが数枚のペーパーとはいえ、一秒でも早く手離したいほど忌々しかったんだな。なるほど、記者会見のお詫びペーパーは、この秘書官が一字一句書いたものを渡されて、用済みになったので返したのだな。なるほど、秘書官が書いたにしろ、自分がその作成にほんの少しでも関与していたら、こう突っ返しはしないものだな。以上四つのことがわかるわけです。なるほど、石原伸晃は威張ってるんだな、を入れると五つですが。

自分なりの、自分らしい、ありのままの、石原伸晃が話すと「最後は金目でしょ」になるわけです。「「れでぃっごー」」にうんざりしているのは、私だけでしょうか。

(敬称略)