コタツ評論

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今夜は蘇州夜曲

2013-12-29 01:01:00 | 音楽
びっくりするほど、たくさんの動画が youtube に上がっています。まずは、オリジナルの李香蘭(リーシャンラン)から。 wikipediaでもわかるように、とてつもない人生です。

私の好きなエピソードは、日中国交回復後、参議院議員山口淑子として訪中した際、中国人民解放軍の将軍たちに出迎えられた場面です。あでやかな笑顔を向ける「李香蘭」に、居並ぶ朱徳など中国人民共和国建国に貢献した伝説の将軍たちが、往年の大スターを前にして、少年のように顔を赤らめ緊張して立っていたそうです。山口淑子さんは、1920年(大正9年)生まれ、93歳でお元気だそうです。

彼女に及ばずとも近い存在ならば、全盛期には「昼はトウ(小平)、夜はトウ(麗君)」といわれたテレサテンくらいでしょうか。残念ながら、テレサの COVER はみつかりませんでした。

李香蘭


映画「支那の夜」から、渡辺はま子が歌った主題歌の「支那の夜」と李香蘭の「蘇州夜曲」がともに大ヒットします。いずれも西條八十作詞、服部良一作曲という”日本歌謡の至宝”コンビです。西條八十の歌詞の影響は、松任谷由実や井上陽水、桑田佳祐まで脈々と続いていますね。

君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の歌
水の蘇州の 花ちる春を
惜しむか 柳がすすり泣く

花をうかべて 流れる水の
明日のゆくえは 知らねども
こよい映した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも

髮に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか
君が手折りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺


アン・サリー


WeiWei Wuu ウェイウェイ・ウー 二胡


中島聖子


中国語の歌詞です。

王梓


(敬称略)

靖国だョ おっ母さん

2013-12-28 00:53:00 | 政治
先頃亡くなった島倉千代子に、「東京だョ おっ母さん」というヒット曲があります。その2番の歌詞に靖国神社が歌われています。

久しぶりに 手をひいて
親子で歩ける うれしさに
小さい頃が 浮かんで来ますよ
おっ母さん
ここが ここが 二重橋
記念の写真を とりましょね

やさしかった 兄さんが
田舎の話を 聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ
おっ母さん
あれが あれが 九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも

さあさ着いた 着きました
達者で永生き するように
お参りしましょよ 観音様です
おっ母さん
ここが ここが 浅草よ
お祭りみたいに 賑かね


1957年、昭和32年に150万枚の大ヒットをしたのはなぜなのか? 歌曲よりもその歌詞に理由があるように思います。田舎から出てきた老母のために娘が東京案内をします。1番に二重橋、2番で靖国神社が歌われ、3番に当時の代表的な東京の繁華街である浅草が出てきます。

昭和32年は敗戦からまだ12年、連合軍の占領統治が終わってわずか5年しか経っていません。つまり大日本帝国や皇軍など、旧体制の記憶が否定され、美化が禁じられた、アメリカによる検閲期間が終わってから、この歌がつくられ、歌われたわけです。

上京したら、皇居と靖国神社にはお参りしたいものだ、そんな庶民の願望を口にするのが憚れる時代から、歌に歌われるまでの時代になった。「東京だョ おっ母さん」の背景には、まずこの政治的な解放があり、それは懐古的に表現されました。つまり、すでにレトロな歌として口ずさまれた。この年には、もっと露骨に復古調の映画「明治天皇と日露大戦争」が封切られています。

田舎の老母が娘に手を引かれて東京見物ができるほど、経済的な解放もありました。前年、昭和31年の経済白書は、「もはや戦後ではない」という流行語を生み、復興から経済成長への離陸を高らかに宣言しました。「東京だョ おっ母さん」がヒットした年、日本専売公社から「HOPE」が発売され、トヨタは「コロナ」を出し、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」がヒットしました。

庶民は国民は、ほんの少し前のことを、かつての時代を、もう忘れてやしないか。作り手である作詞家・野村俊夫(明治34年生)、作曲家・船村徹(昭和7年生)の思いはそこにあったろうと思います。宮城に向けて遙拝したことを忘れ、多くの戦没者が出たことを忘れ、敗戦直後の飢餓を忘れ、占領されていたことを忘れ、亡国だったことを忘れている日本へ、彼らの抵抗の歌だったのかもしれません。

それほど、昭和30年代の靖国神社は閑散としていたようです。それまでは見向きもされない存在だった靖国神社が、復古主義とそれに反対する勢力によって、A級戦犯合祀をきっかけに政治利用されたことから、今日に続く大問題になっているわけです。「東京だョ おっ母さん」の2番、靖国を歌った歌詞も、TVなどでは放送禁止に近い扱いだったという説もあるくらいです。靖国神社とは、終始、政治問題であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。そこに人間はいない。そう思えます。

一方、「東京だョ おっ母さん」には、遠ざかる「忘れてくれるな」という声に、近づこうとする老母と「忘れてごめんね」という娘(妹)の三者がいます。死者と死者を悼む者と生きていく者です。すべての人間がいます。その意味では、戦後日本人の心の故郷といえる歌なのかもしれません。好悪、愛憎なかばする故郷の歌なのかもしれません。

繰り返しますが、「東京だョ おっ母さん」は、昭和32年当時すでにレトロ、「時代遅れの歌」でした。したがって、歌謡曲に歌われたことで、靖国は国民的な受容を深めたのであって、その逆ではなかったはずです。

そういう複雑骨折した歌をだなあ、カラオケで気持ちよさげに涙ぐんで歌ったりするんじゃねえよ、おっさん!それから、そこのガキ! みやぎじゃねえぞ、宮城(きゅうじょう)と読むんだ。戦前から戦後まもなくまで、皇居とはいわなかったの。宮城遙拝ってのは、遥か遠くの地から皇居の方向へ拝礼することなの(ちっ、皇居って云っちまった)。新聞もよ、安倍首相の個人の思いとか気軽にいうが、靖国神社に思い入れが記者にあるのか? 自らにはなくとも、周囲にそんな人がそんなにいるかね。俺はまったくないし、周囲にも見当たらないがね。



(敬称略)

観音と武蔵

2013-12-24 12:23:00 | スポーツ
おこたに入っておみかんむきながら、浅田真央の福耳を見ていた。『山口百恵は菩薩である』(平岡正明)という本があったが、舞い踊るまおちゃんは観音様のようであった。

まおちゃん観音様説に反対は少ないだろうが、さらにまおちゃん宮本武蔵説も加わったのが、昨夜の日本フィギア選手権だった。

来年、2月7日のソチオリンピック開催まで、正味1か月しかないのに、トリプルアクセル(3回転半)を優先して、難技に挑戦を続けるその求道的な姿勢。

さらに、選択曲がラフマニノフピアノ協奏曲第2番という難曲。「ポル・ウナ・カベサ」なら誰でも気持ちよくのれるだろうに、ラフマニノフによく手拍子がとれたものと観客へ拍手。

前夜の高橋大輔も、武蔵を彷彿とさせた。選択曲はビートルズ・メドレー。それも、クラッシックからの影響が濃い曲ばかり。つまり、たとえば、ワーグナーやドビュッシーやチャイコフスキーたちの曲をつなげて、舞い踊るという難業に挑戦したようなもの。

クライマックスの『ロング・アンド・ワインディング・ロード』を滑りながら、犯したミスに打ちのめされたような表情だった。完成度を高めるより、困難に挑むことで、自らの集中力の限界を試そうとした、大輔とまおちゃん。

気がつけば、おみかんに入っておこたをむいていた。

NIKOLAI LUGANSKY & ANTONI WIT ラフマニノフピアノ協奏曲第2番第1楽章


ザ・ビートルズ The Long and Winding Road


(敬称略)

私たちって、態度わるい?

2013-12-21 14:02:00 | 政治
日本の新聞は読んだり読まなかったりになって久しい。一方、朝鮮日報人民日報には必ず目を通すようになった。それはなぜだろうかと考えてみる。

日本の新聞が当然備えている情報や視点が、朝鮮日報や人民日報には欠如している場合が多いのに、前者は読む気にならず、後者は読むのを止められない。

彼我の違いを探してみると、とても賛同はできず過剰に思えることも多いが、朝鮮日報や人民日報の長文記事には、主義主張にくわえ国民感情があることに気づく。

日本の場合はどうだろう。新聞・雑誌、TVなどには、A.主義・主張・国民感情のどれもがない B.主張はあるが主義はない C.主義はあるが主張はない という3種に思える。

日本の主義主張とは何か、考えれば膨大な問題になるが、どうもなさそうに思える記事や番組、たとえあったとしても脆弱なものに過ぎないと思える事例には、実感としては事欠かないのではないだろうか。

また、国民感情に訴える記事が見当たらない。これもまた、定義するのはきわめて難しいが、日本のマスメディアに接して、これまで一度として腑に落ちた覚えがない。マスメディアからは蔑視されることの多い国民感情の一部を、一部のネットが汲み取っているように思える。

少なくとも、こんな風にはいえないだろうか。私たちは無いものを有るかのように見ることはできない。けれども、よそに有るものを通して、いまここに無いもの、かつて有ったものに気づくことはできる。当たり前のことをご大層にいうようで恐縮だが。

以下は、主義・主張・国民感情を備えた、韓国の大手紙のひとつ中央日報の名文社説です。

【社説】この地に「問題解決型の民主主義」はないのか=韓国

定義を独占したような双方の過剰な信念の中から、問題自体を解決してみるという責任感はなかなか見出せなかった。

この地で、原則と闘争をこえた「問題解決型の民主主義」は不可能なことなのだろうか。

選挙は勝利の論理が支配するが、政治は傾聴の論理がさらに貴重だ。

民主主義は制度であり、歴史であり、態度でもある。法と原則の民主主義が制度ならば、闘争と社会運動圏の民主主義は歴史であろう。

韓国の民主主義を態度としての民主主義、問題解決型の民主主義に進展させる議論を始めなければならない時だ。


日本にもそのまま当てはまる気もするし、当てはまらないという思いもします。しかし、「問題解決型の民主主義に進展」には、同意同感です。

では、日本の民主主義の制度と歴史、そして、「態度」とはいかなるものか、とりあえず来年2月の都知事選が試金石となることは間違いなさそうです。

新聞記者がインタビュー相手に、「もしかして、御用学者と呼ばれていませんか?」「苛立っていませんか?」と訊き、その態度の悪さが評判となっている記事です。

(今こそ政治を話そう)秘密法とどう向き合う 憲法学者・長谷部恭男さん(朝日新聞デジタル)

この記者の口ぶりは、まさに朝鮮日報社説が指摘した「闘争と社会運動圏の民主主義」に当てはまります。また、私的分類でいえば、前述のA.B.Cすべてという混合型です。

記者に主義や主張、国民感情らしき背景はあるのでしょうが、あまりに類型的か脆弱な論理に思えて、あるかなきか困惑させる印象です。

このような「民主主義の態度」では、とても今後の状況には抗しえないでしょう。えっ、お前の「意思ばてろ発言に軍ぐつのヒッキー」も似たようなもんだとおっしゃる? はい、他山の石とすべきでしょうね。 

No Woman No Cry

2013-12-21 02:07:00 | 政治
最底辺の売春婦もミスインターナショナル女王も、泣いています。

性風俗業に狙われる 知的障害者の女性たち(NHK)

NHKにしては、よくぞ取材して放映したと感心したが、以下については、NHKをはじめ、大手マスコミは黙殺しました。

現役ミス世界一がストーカー被害訴える 世界大会での王冠引き継ぎも不可能に(JCASTニュース)

脳科学者でTV番組にもよく登場する、茂木健一郎さんがマスコミに怒りました。

茂木健一郎氏、脅迫被害のミス世界一・吉松育美さんの支援呼びかけ(RBB TODAY)

たしかに、あの東スポすら、朝日新聞みたいに歯切れが悪い書き方しかできないようです。

「2013ミス・インターナショナル世界大会」前年ミス吉松さん欠席のドロドロhttp://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/215502/

やはりマイナー誌の「実話ナックル」も、ネットのマスコミ批判には疑問符をつけています。

芸能界の闇か!? ミス・インターナショナル吉松さんの告発にマスコミが沈黙する背景http://n-knuckles.com/media/mass/news000950.html

元時事通信記者でフリージャーナリストの石井孝明さんからも、マスコミ批判に「あほか」の声。

たしかに新聞では取り上げにくい「事件」だが、記者会見後、海外マスコミはいっせいに報道しています。

ワシントンポスト紙
ABCニュース
ボストン・ヘラルド
FOX NEWS
businessweek
ヘラルドサン(オーストラリア)

Bob Marley - No Woman No Cry 



(敬称略)