コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

先輩お久しぶり

2009-04-27 23:57:00 | ノンジャンル
外国の大先輩からメールではなく手紙が来た。以下のような一節があった。気の毒だが、老人の繰り言である。

 かりに誰かが彼に向かって、ある快楽は立派で善い欲望からもたらされるものであるが、ある快楽は悪い欲望からもたらされるものであって、前者のような快楽は積極的にこれを求め尊重しなければならないが、後者のような快楽はこれを懲らしめて屈従させなければならない、と説き聞かせることがあってもね。
 そういうすべての場合に彼は、首を横に振って、あらゆる快楽は同じような資格のものであり、どれもみな平等に尊重しなければならないと、こう主張するのだ。

 こうして彼は、そのときどきに訪れる欲望に耽ってこれを満足させながら、その日その日を送っていくのだろう。あるときは酒に酔いしれて笛の音に聞きほれるかと思えば、つぎには水しか飲まに身体を痩せさせ、あるときはまた体育にいそしみ、あるときはすべてを放擲してひたすら怠け、あるときはまた哲学に没頭して時を忘れるような様子を見せる、というふうに。しばしばまた彼は国の政治に参加し、壇にかけ上って、たまたま思いついたことを言ったり行ったりする。

 こうして彼の生活には、秩序もなければ必然性もない。しかし彼はこのような生活を、快く、自由で、幸福な生活と呼んで、一生涯この生き方を守り続けるのだ。

 父親は子どもと似た人間になるように、また息子たちを怖れるように習慣づけられ、他方、息子は父親に似た人間となり、両親の前に恥じる気持ちも怖れる気持ちも持たなくなる。

 先生は生徒を怖れて御機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育掛りの者に対しても同様な態度をとる。一般に、若者たちは年長者と対等に振る舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、面白くない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちを真似て機知や冗談でいっぱいの人間になる。

ただ、「父親は子どもと似た人間になるように」は秀逸。こういう書き方は、日本では身につかぬものかもしれない。