コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

容疑者Xの献身

2009-04-22 19:50:00 | レンタルDVD映画


http://yougisha-x.com/

福山雅治がいい。天才的な頭脳を持つ若き物理学者が、難事件を解決していくという「ホームズ」的な架空性によくはまっている。対するやはり天才的な数学脳を持つ犯人役は、もう名優といいたいリアリズム演技の堤真一。最初から犯人がわかっていて、犯人が構築したトリックや動機の謎が次第に明らかになっていく倒叙ミステリーとしては、すこぶる上出来。

ただし、誰でも気づくだろうが、倫理的には致命的な欠陥がある。原作を読んでいないが、物語の構成としては、あえてこの倫理的欠陥を、殺人という行為に踏み切るための動機とする力業のようだ。しかし、殺人犯になるために殺人を犯す、という反動機が行動と感情のそれぞれにおいて論理的に破綻しているのは、誰が見ても明らか。

犯行を隠蔽しようとする工作と犯行を暴こうとする捜査には、論理性を持たせることができる。なぜ殺人を犯したかという動機は、必ずしも論理的ではなく、感情的な場合が多い。実際の殺人は、犯人にとってはきわめて論理的な結果である場合が少なくないと以前に現職刑事に聞いた覚えがあるが、小説や映画の殺人はそんな犯人しかわからない感情や動機では読者や観客を満足させられない。

読者や観客にとって、「なるほどね」と想像力の及ぶ範囲でなくてはならない。乱暴にいえば、この想像力とは観客の感情を刺激するものであり、いわば「俗情との結託」(@大西巨人)である。たぶん、原作は「俗情」と結託しない動機の構築を狙ったのだろう。読んでいないから間違っているかもしれないが。

犯行も動機も論理的な殺人。その挑戦的な試みは買えるが、残念ながら、映画を見た限りでは失敗している。もちろん、物語としては欠陥があっても、小説としてはおもしろく感動的だという作品は珍しくない。我々は、文章なら選択的に読み込むことができるからだ。だが、映画では選択的に観ることはできない。「献身」というタイトルの意味深さと込められた皮肉を観客に納得させることは難しい。

なぜそうしたかという行動論理としてはそれなりの説得力があるが、なぜそう考えざるを得なかったかという感情論理への描写が不十分だからだ。それぞれを車の両輪とすれば、行動輪は走ったが感情輪は回っていないのだ。案の定、ラストに愁嘆場を持ってこざるを得なかった。軽快でドライな福山雅治「ホームズ」を捨てて、松本清張が造型するような厚く湿った犯人像を拾い集める仕儀となった。

論理の達人だったはずの探偵や犯人が感情に流されっぱなし。心理的などんでん返しもなく、したがって、観客はいったい論理はどこにいっちゃったんだと途方に暮れ、犯人を倫理的に許したい気にはとてもなれない。後味がよくない。残念。

(敬称略)
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降参した歌 7

2009-04-21 23:19:00 | ノンジャンル
一億回のアクセスとネットで話題のSusan Boyleさんの歌声です。
審査員との受け答えも堂に入り、歌う前からすでに観客を魅了しつつあります。
「年齢は?」「47歳です」「・・・」「私の一部よ!」
「あなたの夢は?」「プロの歌手になることです」
「なぜ、その夢は叶わなかったのですか?」「チャンスがなかったから」
歌い出すのは、I Dreamed a Dream ♪ できすぎの選曲ですね。



レミゼラブルより~ 夢やぶれて I dreamed dreame

こちらは、数年前に地元のチャリティパーティで歌ったときの録音だそうです。とても艶のある声美人ですね。
クライミー・ア・リバー "Cry Me a River"

これも知的な味わいを残して、とてもあのおばさん姿が思い浮かばない。
キリングミー・ソフトリー "Killing Me Softly"

いずれも数多くの歌手に歌われた名曲なのに、完璧に自分の歌にしています。アメリカン・アイドルのベスト10レベルを超えた金の取れる歌と感心しました。
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トロピック・サンダー

2009-04-09 14:23:00 | レンタルDVD映画

邦題をつけろよ、邦題を!

トロピック・サンダー 地上最低の作戦
  
トロピック・サンダー(TROPIC THUNDER=熱帯性雷)ではなんだかわからない。「地上最低の作戦」という副題も付いているが、中途半端。俺なら、「底抜けドタバタ地上最低の大作戦!? おどれら役者やのう!!!」とでもする。

ハリウッドならではの傑作

まず豪華スターの競演。ベン・スティラージャック・ブラックロバート・ダウニー・Jrは、アメリカではともかく、日本ではとてもスターとはいえないから、後は観てのお楽しみ。アッと驚く大スターの怪演をはじめとして、有名スターや大物俳優たちがいかにも振られそうな役柄に扮し、その格好よい役柄を見事に裏切る人物像を楽しそうに演じている。

次ぎに莫大な製作費。これだけのスターと有名俳優を集めた上に、映画の中で別な映画づくりを見せるというのだから、2本分の金がかかっている。東南アジア某国のジャングルに敵のアジトのセットが組まれ、そこでの戦闘場面を撮影するセットやスタッフが見せられ、さらに観客には見えないカメラのこちら側に本当の撮影スタッフがいるわけだ。

その映画中映画は徹底している。戦争映画の主演3人、落ち目のアクション俳優(ベン・スティラー)、下品なデブが売り物のコメディ俳優(ジャック・ブラック)、異常なほど役に成り切る演技派俳優(ロバート・ダウニー・Jr)、それぞれの最新作の予告編までつくる凝りよう。これが悪ふざけどころか、予告編として立派に通用する出来映え。

だが、3人をキャスティングしたジャングルロケの撮影はとん挫する。マヌケにも400万ドルも掛けた大爆破シーンの撮影を逃し、製作予算が底をついたからだ。製作中止の危機に監督と原作者は苦しまぎれの一計を案じる。3人をジャングルに投げ込み、あちこちに仕掛けたカメラでゲリラ撮影をするという苦肉の策だ。

ところが、そのジャングルは麻薬組織が縄張りとする本物の戦場だった……。そうとも知らず、わがまま勝手なスター俳優たちは、不平不満を並べながら、米軍の重装備に空砲の銃を携えて、本物の銃弾が飛びかうジャングルに置き去りにされる。はたして、「地上最低の作戦」は成功し、映画は完成するのか?

映画ファンなら必見

アメリカではともかく、日本では爆笑に次ぐ爆笑にはならなかっただろう。しかし、映画ファンなら、ハリウッド映画に浸ってきた人なら、クスクス笑いの連続のはず。黒人の鬼軍曹に扮するロバート・ダウニー・Jrが「オーストラリア人俳優」という設定だったり、それを「コアラ臭い黒人の真似は止めろ!」と共演の黒人俳優から怒鳴られたり、その黒人俳優の名前がアルパ・チーノだったり、貧相で小心な「イギリス人監督」を真っ先に爆死させたり、オスカー像が欲しくてたまらぬアクションスターに、ヤク中のお下劣コメディスターなどなど、虚実皮膜の連続弾なのだ。

俳優たちだけでなく、実戦の監修に参加したうさんくさい原作者やアクションスターの軽躁なエージェント、戦闘シーンを仕切る爆破オタクのおっさん、怪物的なプロデューサーなど、観客にはあまり馴染みのないハリウッドの「映画関係者」もさもありなんというキャラクターで登場して、ドタバタに輪をかけ、メタフィクションの底を掘り下げている。

もちろん、これまでの有名映画からの引用もたくさん。すぐに気づくのは、『プラトーン』でウィリアム・デフォーが膝をつき両手を空に伸ばす戦死シーンだ。ジャングルを行軍中、映画スターたちは映画や演技についての話題をしょっちゅう口にする。楽屋落ちや内幕ものにとどまらないのは、ベン・スティラー、ジャック・ブラック、ロバート・ダウニー・Jrらが自らのパロディを演じつつ、つまり自己批評の延長上にハリウッドの異様と滑稽を撃つ一方で、全身全霊で映画をつくる喜びを演じている、という構成だからだ。なんと映画中映画なのに、劇中劇まで演じられるのだ。それも演技と演劇の原初である道化劇がジャングルの奥深く、アジアの民の前で披露される。こうなると、観客はどこがメタフィクションの底かわからなくなるが、もう筋の運びや場面の意味を気にしなくなっている。成功した映画の条件である。

最後は、映画の場面に入って、一緒にスタンディング・オベーションしたくなるだろう。しかし、名優ジョン・ヴォイドをこんな風に使うとは!

ベン・スティラーの監督主演。『太陽の帝国』に出演したときから15年越しの企画だという。ベン・スティラーは脚本にも参加しているが、ほかにイータン・コーエン(Etan Cohen)という名前がある。もちろん、『ノーカントリー』で昨年度のアカデミー賞作品賞を受賞したコーエン兄弟の弟イーサン・コーエン(Ethan Cohen)の別筆名だ。遊んでるなあ。

真剣に楽しんでつくった、とても知的な作品だが、映画ファンなら誰でも笑えて感動できる。2008年度アカデミー賞の作品賞・監督賞・主演男優賞・助演男優賞に非ノミネートの栄誉に輝く問題作! 

(敬称略)

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実録・連合赤軍-あさま山荘への道程(みち)

2009-04-08 10:06:00 | レンタルDVD映画
http://www.wakamatsukoji.org/

新作コーナー棚に並んでいた。監督は若松孝二か。

ビートルズ来日と三島由紀夫割腹事件、そしてこの連合赤軍事件は、当時、誰もが顔を顰めた出来事だった。ビートルズ来日時は記憶がないので、それを「事件」としてルポした『ビートルズレポート』(話の特集)による知見だが、三島由紀夫割腹事件と連合赤軍事件はよく覚えている。

一言でいえば、「狂気の沙汰」というのが、当時のメディアや有識者の共通した見解だった。というより、三島を、連赤のメンバーを、悪し様に罵る声で満ちていた。どちらの「事件」もあまりにも時代錯誤に思えた。「そういう時代だった」と語られることがあるが、「そういう」に何か根拠があるのだろうか。

そこで何があり、彼らが何を考えていたかより、私たちが「事件」をどう受け止めたのかを覚えておくべきだろうと思う。私たちは何よりメディアを通じて、この「事件」を知ったのだということ、メディアが報じる前は何も知らなかったということは、とても重要なことだと思う。

もちろん、それぞれに別の感応はあっただろう。とくに連合赤軍事件は、当時の青年たちにとって他人事ではなかった。それは、オウム真理教事件が起きたとき、30代の青年たちが激しく感応したことに似ている。いずれも、殺した者・殺された者に自らを見出していた。むしろ、自分も、殺した者・殺された者でありたかった、という内心の声を一度も聴かなかったとすれば、これらの事件にいささかの関心も抱かなかったはずなのだ。

いずれにしろ、三島由紀夫割腹事件や連合赤軍事件は、「理解不能」の「狂気の沙汰」というのが、一般的な見解であった。それを忘れるべきではないと思う。私たちは、彼らが正気であったがゆえに、狂気に至ったことを知っていた。彼らは狂人ではなかったが、その思想と行動を狂ったものとした。私たちは一度、そう決めたはずだ。

つまり、三島の腹切りにも、連赤の同志殺しにも、ずっと後のオウムの無差別テロにおいても、当時まともな議論はほとんど出なかった。同じ根を持つからだろう。そこで何があり、彼らが何を考えていたかについては、百万言費やされたが、私たちが「事件」をどう受け止めたのか、についてはほとんど語られてこなかった。「理解不能」の「狂気の沙汰」という以外には。

三島由紀夫割腹事件や連合赤軍事件以降、私たちは正気も狂気も扱わないことにした。いわんや、理解を示そうなどという気はなかったはずだ。それはあながち、わるいことではないように思う。蓋をしているかぎり、私たちは忘れないからだ。というわけで、観る気が起きなかった。たぶん、これからも観ないと思う。

(敬称略)
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だんだんからつばさへ

2009-04-04 23:30:00 | ノンジャンル
「だんだん」というのが終わって「つばさ」がはじまって、「ちりちとてちん」以来の「朝ドラ」視聴が始まりそうだ。「だんだん」はたまにちらっと観たが、このドラマに限らず、京都の描きかたや偽の京都弁がどうも馴染めない。京都という街や京都人には別に含むところはないのだが、メディアを通した「悠久の都」「伝統の美」といったイメージが気に入らないのだ。

昔、ある大手週刊誌が京都で巻頭グラビア特集を組んだとき、凄い記事が載ったことがある。もう20年以上前だろうか。タイトルは「京都迷宮案内」だったかな、不気味な写真ばかり載せて、「京都とはようするに管理売春で食っている街である」「京都ほど在日朝鮮人や被差別部落民を差別する街はない」といった「京都案内」を書いたのである。よくまあ、こんな企画が通ったものだとびっくりしたが、一種痛快でもあった。

今度のご当地は、「小江戸・川越」である。川越には毎日のように通った時期があるので、多少知っているが、京都に比べたら…、比べる人がいないくらいの処である。名所らしき処や老舗らしき店があったかしらん、と小一時間考え込んでしまった。一度行けば充分と思ったが、きっとよいところがあるのだろう。ドラマの中で紹介してくれるとありがたい。

で、川越の老舗の和菓子や一家を舞台にした「つばさ」。よくある設定ですが、多部未華子ちゃんが可愛いですね。高畑淳子さんが大きいですね。顔が、いや演技が。中村梅雀さんが巧くて可笑しいですね。吉行和子さんが気の毒ですね。この人だけがちょっと無理目。昨朝は西条秀樹が出ていました。どうなるんでしょうか。ちょっと期待しています。

(敬称略)
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