コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

映画の終わりの始まり

2009-01-14 22:52:38 | ノンジャンル
よせばいいのに、「ビレッジ」で懲りたはずなのに、また騙されてやがんの。ナント・シマラン監督の「ハプニング~!」のことだ。
http://movies.foxjapan.com/happening/

しかし、不思議な監督だよな。絵はグ~! 演出もグ~! 俳優もグ~!なのだが、ネタはエド・はるみに劣るとも優らないショボさ。企画の段階でどうして潰れなかったのか、それがいちばんの謎、という相変わらずのシマラン映画だった。こういう企画がメジャーな映画会社に通り、配給公開されるということで、どうしてアメリカ人が京都議定書を無視し続けるのか、自然との共生なんてことが理解の外なのか、ハリウッド俳優がパーティ会場にプリウスを乗りつけることが環境問題への真摯な取り組みなのか、よ~くわかるのが最大の収穫といえる。観終わった後、オリガ・モリソブナではないが、「雌豚に乗っかって考えている去勢豚」になった気分が味わえる何重にもショッキング~! な映画である。もろちんお勧め、進め進めパルメザンチーズ! もう映画観るのやめるべきかな。

オリガ・モリソヴナの反語法 2

2009-01-14 01:27:38 | ノンジャンル
2/3まで読み進んだ。何というか。スターリズムの残虐が凄まじくほとんど呆気にとられている。「人民の人民による人民のための政治」という言葉があるが、これは「女性の女性による女性のための小説」である。「人民の~」には捨象されている内心があり、ドグマ(教条)がある。この小説の「女性の~」には、溢れんばかりの内心があり、ドグマはない。それはそうだ。スターリズムという圧倒的な暴力のドグマに女たちは包囲されている。教条や教義にとらわれない内心とは、内心の自由とはどんなものか、この作品を読んではじめてかいま見た気がする。

20年近く前、俺はモスクワを訪れ、KGB本部前で記念撮影をした。俺たちがプロレスやボクシングの話題に興じていたとき、「私は暴力の話を聞きたくない」と席を立った、小男のユダヤ系ロシア人の通訳氏を少し軽侮した。オリガたちと同じように、モスクワからブレスト経由でポーランドへパリへ抜ける列車に乗り、貧しい「ソ連人」たちやポーランド人たちをただ貧しいとだけ感想した。かなり、恥ずかしくなった。

思えば俺が見かけた人たちのほとんどはスターリズムによって、欠けがえのない肉親や友人を失い、傷ついた人たちであったかもしれない。俺はただただ脳天気なバカ者であった。

「他人の掌中のチンポコはでかく見える」
「雌豚に乗ってから考えている去勢豚」

オリガ・モリソヴナの反語法の由来が解き明かされるにつれ、祖母や母や妻や恋人や姉妹や娘たちの血の涙について思い知らされる。あらゆる情け、いたわりと思いやりについて考えさせられる。自分にそれがあるか、自分以外に用いてきたかについて思う。いや、ことさら女性性を平和の象徴と持ち上げるようなところはない。いわゆるフェミニズムの臭いはない。

それより少女マンガ風である。この人には知的コンプレックスはない。「ロシア文学の森」に親しんだであろうに、文学コンプレックスもない。知性や理性によって、そうしたドグマを克服してきた形跡は見えない。しかし、圧倒的な何かが、読み進めさせる力がある。これは何だろうかと思う。ただ、きわめて強靱で健全な精神がある、それはわかる。

俺はかつてのソ連が日本の新聞や雑誌、TVや映画にソ連のソの字でもあれば洩れなく調査していたことを知っている。著者やコメンテーターとその背景についても調べ、長年に渡って記録していた。そのソ連が崩壊した後も、KGBを筆頭とする諜報部門や暗躍機関は姿を変えて生き残り、現在でも少なからぬ影響力を保持していることを聞いている。

米原万里は殺されたのではないか? ふとそんなことを思ったくらい、痛烈なスターリニズム批判の小説である。非政治的な大衆小説なだけに、読者は観念遊びに逃げ込むことが許されず、わしづかみにされたように心を揺さぶられる。少なくとも、ソ連崩壊以前にこんな小説を書けば、反ソ的な扇情小説として、絶対にただではすまない。

暗殺説はうがちすぎだとしても、ロシア語通訳者として、ロシアのおかげで生計を立てていた身でよくぞここまで書けたものだと思う。もうすぐ読み終えるのが残念だ。(続く)

(敬称略)