「“和製ドラゴン”倉田保昭、激闘!十五番勝負」第7回は「帰って来たドラゴン」、その後編です。銀座の映画館でまるで観る気なしの父(^。^)と並んで席に座った龍熱少年の目の前の大スクリーンには「デンデデデデンデン!デデデン!」の旋律と共に「帰って来た~」のオープニングが始まりました。
「あ、テレビの予告編で聞いたのと同じ曲だ♪」スクリーンに見入っていた私が小躍りすると、直ぐに暴漢(本作の武術指導者、梁少松)たちの襲撃を受けたドラゴン(梁小龍)が怒涛の開脚からの目の覚めるような連続蹴りを暴漢たちに叩き込みます!!「違う、このブルース・リャンって奴のキックは「怒れ!タイガー」のチャーリー・チャンや「危うし!タイガー」のチェン・シンみたいな地味な蹴りじゃないぞ?凄い、凄い廻し蹴りだ!」そう、まだ小学生だった私にもこの梁小龍の驚異的なジャンプ力から放つ連続廻し蹴りが“本物”である事がハッキリと判ったんですね。
それは映画の中盤から登場し、自分が護送するチベットの秘宝を狙って迫る悪漢たちにブラックジャガー(倉田保昭)が叩き込む容赦ない正拳突きと電撃かつ打点の高い足刀蹴りもまた同じで、私は「このドラゴンとジャガーが映画のラストで一騎打ちをするんだ!?うわぁ!どんなクンフーファイトになるんだろう?」とワクワク状態だったのでした。
さらに映画はこのドラゴンとジャガーの火花散る秘宝の争奪戦に、同じく秘宝を狙う女ドラゴンのイーグル(黄韻詩)、そしてドラゴンの子分の韓国才&孟海の凸凹コンビのコミカルテイストが加味されるといった様々な娯楽性もミックスされた本格派のクンフー映画に仕上がっていました。
そして映画のクライマックスで幕を開けるドラゴンvsブラックジャガーの一大決闘!!それは龍熱少年がそれまで最高峰と信じていたリーさんこと李小龍が見せる実際の武術テクニックに裏打ちされたリアルで革新的な“闘いの起承転結”を丁寧に描いたクンフーファイトとは異なり、ドラゴンの連続蹴りを浴びたジャガーが後退するも、迫って来たドラゴンに逆にジャガーが連続の足刀蹴り!ドラゴンがさらに廻し蹴りで応戦するとジャガーが突如走り出し、それをドラゴンが追う!という、ある意味で従来のクンフー映画の闘いのプロセスを完全に無視した新たなる「ハイスパート・クンフー」だったのでした。(ハイスパートとはプロレス用語で、試合の開始から関節の取り合いなどを排除し、いきなりロープに走ったり、バックドロップなどの大技で試合を構成していくスタイル)
ドラゴンとジャガーの闘いは、当時の日本のクンフー映画ファンには初体験の“壁虎功”から、ヌンチャクvsトンファーの闘い、ジャガーが放つ二段投げ、さらに延々と殴り合いド突き合いが展開された果てに、韓国才&孟海のアシストを得たドラゴンの怒りの連続蹴りを浴びたジャガーは息絶え、やっとこの伝説のマラソン・バトルは幕を下ろします。
えっ?結局チベットの秘宝は誰の手に渡ったのか?それは皆さんご自身で今度の「和製ドラゴン祭」での上映か、「帰って来た~」のDVDで確認して頂きたいと思います(^_^)。
最後に監督の呉思遠に触れますが、この「帰って来たドラゴン」、そして梁小龍&倉田保昭コンビが再度激突した「無敵のゴッドファーザー/ドラゴン世界を征く」(74)で、拳技ではなくハイポテンシャルなキッキング・パフォーマンスこそ香港クンフー映画の生き残る道である事を確信した呉思遠は、今度は拳技の王道、蹴り技の劉忠良、さらに神技レベルの蹴り技を誇る黄正利を悪役に迎えた「南拳北腿」(76)シリーズで、自ら作り上げた「ハイスパート・クンフー」の革新的バージョン・アップに成功します。
ただそんな呉思遠も、金童&黄正利が対決する「龍形摩嬌」(80)辺りから作品自体に切れが無くなり、明らかにその監督としての才能が頭打ち状態となります。
そして呉思遠は当ブログでもお馴染みの「ブルース・リー死亡の塔」(81)を監督した前後から監督業からプロデューサー業へと転身した事で、結局のところ自身の最高傑作である「帰って来たドラゴン」を超えるクンフー映画を2度と撮る事無く、呉思遠はその監督人生を終わるのでした。そう、合言葉はドラゴォォォン!!
「当時の香港の観客はブルース・リーと同じようなアクションをやると、直ぐに「それは李小龍の真似だ!」ってブーイングだったんです。だからこの「帰って来たドラゴン」ではブルース・リャンと2人で殴っては蹴り、蹴っては殴り、また走って!みたいな新しいアクションに挑戦したんです。あとヌンチャクをリャンが使うなら、僕はトンファーを日本から取り寄せて使ったりね。でもトンファーは今一つ地味でしたけど(笑)。あとリャンと壁をこう上がっていく“壁虎功”ね。あれって上がるのはいいんだけど、今度下りられなくなっちゃうんですよ(笑)。もうラストのリャンとのファイト・シーンは延々と2人で撮っていた記憶があります。そのせいか、この映画の撮影が終わった後には原因不明の頭痛になったりしましたし、それだけ激しいアクションだったんですね」(倉田保昭:談)
「あ、テレビの予告編で聞いたのと同じ曲だ♪」スクリーンに見入っていた私が小躍りすると、直ぐに暴漢(本作の武術指導者、梁少松)たちの襲撃を受けたドラゴン(梁小龍)が怒涛の開脚からの目の覚めるような連続蹴りを暴漢たちに叩き込みます!!「違う、このブルース・リャンって奴のキックは「怒れ!タイガー」のチャーリー・チャンや「危うし!タイガー」のチェン・シンみたいな地味な蹴りじゃないぞ?凄い、凄い廻し蹴りだ!」そう、まだ小学生だった私にもこの梁小龍の驚異的なジャンプ力から放つ連続廻し蹴りが“本物”である事がハッキリと判ったんですね。
それは映画の中盤から登場し、自分が護送するチベットの秘宝を狙って迫る悪漢たちにブラックジャガー(倉田保昭)が叩き込む容赦ない正拳突きと電撃かつ打点の高い足刀蹴りもまた同じで、私は「このドラゴンとジャガーが映画のラストで一騎打ちをするんだ!?うわぁ!どんなクンフーファイトになるんだろう?」とワクワク状態だったのでした。
さらに映画はこのドラゴンとジャガーの火花散る秘宝の争奪戦に、同じく秘宝を狙う女ドラゴンのイーグル(黄韻詩)、そしてドラゴンの子分の韓国才&孟海の凸凹コンビのコミカルテイストが加味されるといった様々な娯楽性もミックスされた本格派のクンフー映画に仕上がっていました。
そして映画のクライマックスで幕を開けるドラゴンvsブラックジャガーの一大決闘!!それは龍熱少年がそれまで最高峰と信じていたリーさんこと李小龍が見せる実際の武術テクニックに裏打ちされたリアルで革新的な“闘いの起承転結”を丁寧に描いたクンフーファイトとは異なり、ドラゴンの連続蹴りを浴びたジャガーが後退するも、迫って来たドラゴンに逆にジャガーが連続の足刀蹴り!ドラゴンがさらに廻し蹴りで応戦するとジャガーが突如走り出し、それをドラゴンが追う!という、ある意味で従来のクンフー映画の闘いのプロセスを完全に無視した新たなる「ハイスパート・クンフー」だったのでした。(ハイスパートとはプロレス用語で、試合の開始から関節の取り合いなどを排除し、いきなりロープに走ったり、バックドロップなどの大技で試合を構成していくスタイル)
ドラゴンとジャガーの闘いは、当時の日本のクンフー映画ファンには初体験の“壁虎功”から、ヌンチャクvsトンファーの闘い、ジャガーが放つ二段投げ、さらに延々と殴り合いド突き合いが展開された果てに、韓国才&孟海のアシストを得たドラゴンの怒りの連続蹴りを浴びたジャガーは息絶え、やっとこの伝説のマラソン・バトルは幕を下ろします。
えっ?結局チベットの秘宝は誰の手に渡ったのか?それは皆さんご自身で今度の「和製ドラゴン祭」での上映か、「帰って来た~」のDVDで確認して頂きたいと思います(^_^)。
最後に監督の呉思遠に触れますが、この「帰って来たドラゴン」、そして梁小龍&倉田保昭コンビが再度激突した「無敵のゴッドファーザー/ドラゴン世界を征く」(74)で、拳技ではなくハイポテンシャルなキッキング・パフォーマンスこそ香港クンフー映画の生き残る道である事を確信した呉思遠は、今度は拳技の王道、蹴り技の劉忠良、さらに神技レベルの蹴り技を誇る黄正利を悪役に迎えた「南拳北腿」(76)シリーズで、自ら作り上げた「ハイスパート・クンフー」の革新的バージョン・アップに成功します。
ただそんな呉思遠も、金童&黄正利が対決する「龍形摩嬌」(80)辺りから作品自体に切れが無くなり、明らかにその監督としての才能が頭打ち状態となります。
そして呉思遠は当ブログでもお馴染みの「ブルース・リー死亡の塔」(81)を監督した前後から監督業からプロデューサー業へと転身した事で、結局のところ自身の最高傑作である「帰って来たドラゴン」を超えるクンフー映画を2度と撮る事無く、呉思遠はその監督人生を終わるのでした。そう、合言葉はドラゴォォォン!!
「当時の香港の観客はブルース・リーと同じようなアクションをやると、直ぐに「それは李小龍の真似だ!」ってブーイングだったんです。だからこの「帰って来たドラゴン」ではブルース・リャンと2人で殴っては蹴り、蹴っては殴り、また走って!みたいな新しいアクションに挑戦したんです。あとヌンチャクをリャンが使うなら、僕はトンファーを日本から取り寄せて使ったりね。でもトンファーは今一つ地味でしたけど(笑)。あとリャンと壁をこう上がっていく“壁虎功”ね。あれって上がるのはいいんだけど、今度下りられなくなっちゃうんですよ(笑)。もうラストのリャンとのファイト・シーンは延々と2人で撮っていた記憶があります。そのせいか、この映画の撮影が終わった後には原因不明の頭痛になったりしましたし、それだけ激しいアクションだったんですね」(倉田保昭:談)