goo blog サービス終了のお知らせ 

みいちゃんといっしょ

みいちゃんとみいちゃんのパパの日記

いすみ鉄道と菜の花を見に出かけました

2024年03月21日 | ドライブ

 天気がいいので、いすみ鉄道と菜の花を見に出かけました。

 駅に駐車場があり、近くの見どころも多い感じなので、国吉駅前に駐めました。すっかり忘れていたのですが、2022年2月に九十九里に遊びに来た時に寄っていた駅なんですね。
 平日でかつ無料なのに駐車場はガラガラでした。きっと地元の人は車で直接目的地に出かけるんだろうな。駐輪場もまばらな数しか駐まっていませんでした。


 国吉駅には、いすみ鉄道前身の国鉄木原線で走っていたレトロ車両「キハ30」がバーチャル運転体験線で動態保存されており、2023年10月に更に「キハ28」と連結して運転体験などのイベントで活用されているそうです。

 

 こちらはだいぶ傷んでいますが、菜の花色に塗られた「いすみ206」。 いすみ200型のなかでは最後まで現役(2000年引退)だった車両だそうです。

 

 さて、大多喜駅方面となりの上総中川駅に向かって、国道465号を歩いて行きます。途中、国吉神社(国吉駅の駅名板には上総出雲大社前と書かれていますが)の看板が出ていたので寄ってみました。

 立派な神社です。駐車場も半端ない台数が駐められるようになっていました。

 隣には出雲大社があります。

 一時はボロボロで廃社寸前まで追い込まれていたそうですが、いすみ鉄道とのコラボ企画などで、復活したのだそうです。

 「長州征伐の際、幕府軍の目付役となった作田村(現いすみ市夷隅町作田)の領主は、強力無双の斧嶽(ふがく)を従者に選び島根県へと到着したが戦はすでに終わり、折しも出雲大社の奉納相撲が催されており、斧嶽はその相撲に加わり無敵の強さを示した。あまりの強さに千家宮司は神業としか思えないとして斧嶽に神璽(みしるし)を授ける。故郷に帰った斧嶽は仮殿を設け篤く信仰し、信者は日増しに増え、現在地に明治二十四年に神殿を完成させた。」との由来。

 

 境内には各地の神々が合祀されています。聞き覚えのある神様と思ったら、いつも行く調布の厳島神社に祀られている「市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)」でした。海の神、水の神であり、芸能をつかさどる弁天。

 

 国吉駅から1.5kmほど歩いたところで、菜の花が群生している線路わきにたどり着きました。すでに撮り鉄の人が結構来ていました。

 

 有名なスポット。通称『空しか映らない踏切』 第二五之町踏切(だいにごのまちふみきり)

 

 ここら辺でうろうろしていると撮り鉄の人にどやされるかもしれないので、もう一つ先のスポット(大野入口交差点)へ更に歩いて行くことに。
 ところが、途中で気動車が通過する時間が迫ってきたので、急いで線路わきに戻ります。
「四之町踏切」

「四之町」は「よのまち」と読む。第二五之町踏切は「だいに ごのまちふみきり」と切って読まなければいけないことに気づきます。「四之町」も「五之町」も小字名が由来だそうです。とにかく61ある踏切にすべて名前がついていることが面白い。

 やってきました。国吉駅11時52分発 下り(大多喜・上総中野 方面)。とっさのことで手前の菜の花にピントが合ってしまいましたが、相方が GoPro でばっちりと記録しました。

 

 あっという間に通り過ぎていきました。次は12時20分ごろの上り(大原 方面)ですが、撮り鉄の人たちは次も狙うらしく一向に動く気配がありません。この日は北風が強く、寒くてやっと待って撮れた感じなのに、すごい執念というか、この平日に、どういう職業の人(学生より上の年齢に見えます)たちなのかと思いました。

 さて、来た道を戻ります。途中で上り(大原 方面)の通過時間が来たので、第三大多喜街道踏切で待ち受け撮影しました。

 

 国吉駅の入り口近くまできて、時計屋さんのご主人と目があってしまい、店の中まで入れていただいて、世間話をしたり、ご主人のコレクションなどを見せていただきました。

 

 イギリス ウインザー城に行ったときに買ってこられたもの。成田で1週間留め置かれ警察官立会いの下引き渡されたとか。ということは、レプリカではないのかも?

 

アンティークのホールクロック 
 飾りが鳳凰ですから、明治時代、外国の機械を輸入し、ケースを日本独特の作風で製造販売した時計と思われます。
 文字盤を拡大してみると「FAVRE BRANDT」とあります。
 ファブルブラント商会は元治元年(1864)に横浜54番で設立された貿易商。1866年 有名な豚屋火事で類焼し、 其の後175番に移転して関東大震災(大正12年)で被災廃業するまで同地で営業していた模様。ホールクロックは文字盤にFAVRE BRANDTとあるものが多く、 これはファブルブラントが輸入販売した時計と言う意味でファブルブランド製ではなく、やはり機械がフランスで、箱が日本製とのこと。

 

 さて、寄り道をして国吉駅に戻ってきました。駅の入り口には赤い鳥居がしつらえてあります。出雲大社前ということの関連でしょうか?

 

 いすみ鉄道応援自販機で飲み物を買って、お昼の食事に向かいます。

 

 お昼はいつもの「蕎麦 ふくだや」さんです。

 定休日だったそうですが、オーナーが夜に予定があったので、ついでに店を開けて一人で営業していたそうです。ラッキー!!
 いつもは調理場に入りきりなので、お客と話をするのが楽しいとおっしゃっていました。先ほどの時計屋さんといい、とにかくこの土地の人は人懐っこくて愛想がいいのが特徴です。

 注文は、これも定番「ざるそばとゆば豆腐のセット(1,050円)」と

 

 「なま湯葉あんかけ(蕎麦)1,350円」をいただきました。 
 物価がどんどん上がっているのでブログでは記録のため金額を入れるようにしました。

 

 帰り道、「道の駅 たけゆらの里おおたき」で野菜を買って帰りました。

道の駅 たけゆらの里おおたき - (千葉県)の詳細情報 | ことりっぷ

 

 

 






リソルの森の梅園に行ってみました。

2024年02月11日 | ドライブ

 長柄町の「リソルの森」に梅園があるというので出かけてみました。

 

 結構、ブログや観光案内で取り上げられているのですが、どの記事にも敷地内のどこにあるのか具体的に説明したものがないので(紹介するならそこまで書いてほしいものです)、広大な敷地の中でたどり着けるか不安でしたが、結局、オフィシャルサイトのエリアマップに載っていました。

 

 ホテル「トリニティ書斎」の前の道を通り抜けて、第一グランドの先に隣接してありました。

 

 ちょっとまだ早い感じで、人もまばらでした。

 

 でも、天気がいいのでいい香りと可愛い花を結構楽しめました。剪定がきれいにされていて、花見客用に整備されているちゃんとした梅園でした。

 

 約7,000坪の梅園に、蝋梅、紅梅、しだれ梅、豊後梅、白加賀梅、野梅、緑縁梅など約450本の梅の木が植えられているそうです。

 

 桜の木もあるので、またその時期になったら来てみようかと思います。

 

 






昼から白子海岸に出かけました。

2024年02月07日 | ドライブ

 朝、散歩に出ると、農道が折れた竹でふさがれていました。一昨日の雪の重さで折れたんでしょう。

 ここはしゃがんでなんとか進めたのですが、

 

 これはちょっと無理ということで引き返しました。

 

 このところ、雨や雪で出かけられなかったので、昼から白子海岸に出かけました。

 

 「しらこ桜」という河津桜が有名だそうです。

 30年ほど前に地元ホテルの人たちが、静岡県河津町の原木を植樹したのがはじまり。県道30号沿いに約500本の桜が植えられ、町内にも約1000本の桜が見られるようになったそうです。
 

 

 まだ、ちょっと早いのですが、何輪か咲いているのが見られました。靖国神社の標本木なら、開花宣言出すところですね。

 お祭り期間は、令和6年2月17日(土)から3月3日(日)まで。3分咲きに合わせて、桜のライトアップも実施されるそうです。(18:00~21:00)
 3月3日(日)はスペシャルDayとして、ステージイベント、各種模擬店、キッチンカー、地元特産物の販売、足湯の無料サービスなどを開催。

 また、日を改めて来たいと思います。

 

 せっかくなので、海岸まで歩いて行きました。

 

 風が強くて、結構波が荒かったですが、サーファーはいませんでした。ここはサーフィンには向かないのかな?

 

 

 






佐倉城 城下町の散策に出かけました。

2024年01月19日 | ドライブ

 佐倉市の佐倉城 城下町の散策に出かけました。歴史博物館(佐倉城址の一角)に出かけたときに気になっていたところです。

BTG『大陸西遊記』~日本 千葉県 佐倉市 ③~

 

 途中で道を間違え、この細い「くらやみ坂」を車で登ることになってしまいました。

 

 駐車場に到着。十数台しか止められませんが、トイレも完備してます。

 

 慶長15年(1610年)、土井利勝が佐倉の領主となり、その翌年から佐倉城の築城が開始され、7年の歳月をかけて完成。同時に城下町も整備され、佐倉城は江戸を守る要衝の一つとなったそうです。

続・佐倉城】KEIのお城写真館 大手門跡~ひよどり坂へ - KEIのお城とゲームの写真館

 

 城下町佐倉の面影を残す土塁と生垣の通りに面して、「旧河原家住宅」(千葉県指定文化財)、「旧但馬家住宅」(佐倉市指定文化財)、「旧武居家住宅」の3棟の武家屋敷が現在公開されています。
3棟とも江戸時代後期の建築で、佐倉藩士が暮らしていたものです。

 

 

 まずは、見学チケットを求め「旧河原家住宅」へ

 なんと、「旧河原家住宅」の向かいが、あの日露戦争の英雄「児玉源太郎」の旧邸宅(東京鎮台歩兵第2連隊長兼佐倉営所司令官時代 1880~1885)だったところだそうです。

児玉源太郎旧宅跡 - Local Histórico e Tombado em 佐倉市

歴史を作った魅力あふれる男たち…高橋英樹さん、大河ドラマを語る(前編):写真 : 読売新聞
『坂の上の雲』の児玉源太郎 読売新聞オンライン

 

 旧河原家住宅は、市内に残る武家住宅の中で最も古いものとされ、展示された調度品に佐倉の武士の生活様式を見られます。外からの見学で部屋の中に入ることはできません。

 

 次は、隣の旧但馬家住宅へ。旧但馬家住宅は、当時より現在の場所に建っていた武家屋敷で、建物内の見学ができます。

 

 今の和式住宅と構造、間取りなどがほとんど変わっていないことに驚きます。

 

 武家屋敷の小道を通り抜けると、「ひよどり坂」があります。

 江戸時代からほとんど変わらない竹林に囲まれたエリア。緩やかに曲がる坂道に、四ツ目垣、御簾垣、鉄砲垣などが効率的に配されているのだそうです。

 

 最後に、旧武居家住宅(侍の杜)を見学します。

 

 庭のつくりも今と変わりなく(井戸があることを除いては)、裏庭には家庭菜園があります。

 

 次は、車で5分ほど離れた「旧堀田邸」へ向かいます。指定の駐車場から「佐倉厚生園病院(日産厚生会)」の敷地の中をだいぶ歩いたところにあります。

 旧堀田邸」は佐倉藩の最後の藩主・堀田正倫が明治時代1890年(明治23年)に造営した屋敷。 国指定重要文化財に指定されている。

佐倉の名所を訪ねる】 最後の佐倉藩主、堀田正倫が後半生を過ごした「旧堀田邸」』佐倉・四街道(千葉県)の旅行記・ブログ by  ニッキーさん【フォートラベル】

 

 さすがに立派で、部屋数がすごい。「つば造り」や「火打ち貫」といった伝統的な和風建築の工法と、ボルトやナットを使用した西洋建築の工法が混在しており、明治期の建築過渡期の様子が窺い知れる建物だそうです。

 

 以前、熱海で訪問した「起雲閣」で用いられていた「大正ガラス」と同じような、ゆがみのあるガラスが独特の雰囲気を醸し出しています。

 

 庭園は当時の有名庭師・珍珠園の伊藤彦右衛門によるものだそうです。結構さっぱりしていて、昔、ちょっと所縁のあった世田谷 成城5丁目猪俣庭園は庭師がやりすぎだったんだな、なんて思いました。

成城五丁目猪股庭園 ― 吉田五十八の名建築…東京都世田谷区・成城の庭園。 | 庭園情報メディア【おにわさん】
成城五丁目猪股庭園

 

 これは当時のものではないのでしょうが、センスのいい照明が使われています。家の和室にちょっと欲しい。


 

 

 時代劇のロケ地として数多く利用されているそうです。ちなみに、後で訪ねる佐倉順天堂の佐藤尚中は、「JIN−仁−」の主人公、南方仁のモデルとも言われているそうです。

 

 年季の入った土蔵も国の重要文化財。

 

 最後は、「佐倉順天堂記念館」を訪ねます。更に車で5分ぐらい成田街道沿いにあります。

駐車場「有」と聞いていたのですが、2台分しかなく空いててよかった。

 

 佐倉順天堂は藩主堀田正睦(ほったまさよし 江戸時代後期の大名・老中首座。下総国佐倉藩5代藩主。正俊系堀田家9代)の招きを受けた蘭医 佐藤泰然が天保14年(1843年)に開いた蘭医学の塾兼診療所。
 西洋医学による治療と同時に医学教育が行われ、佐藤尚中(たかなか 東京 順天堂医院の初代院長)をはじめ明治医学界をリードする人々を輩出。安政5年(1858)に建てられた建物の一部が残っている。

 

 日本家屋の中に西洋風の部屋(診察室?)がある。

 

 松本良順自作の木像 松本良順の父は順天堂を営む佐藤泰然。幼名は佐藤順之助。後に幕医の松本良甫の養子となる。明治4年(1871年)に従五位に叙せられた後、順(じゅん)に改名。

 こういう人たちは、やっぱりオタクなんですね。あと養子が普通の人生なんですね。

 

 ご当地にありがちなキャラ達 RPGゲーム(スマホゲームを通じて佐倉市への関心を高める地方創生RPG)だそうです。

 

 さて、本日の予定はすべて回ったので、お昼にしました。初めて入った「すぎのや本陣」

 ファミレスにしては結構よかったです。

 

 帰りには、「JA千葉みらい 佐倉・四街道営農センター」で野菜を買って帰りました。

 

 

 

 

 






成田山新勝寺に出かけてみました

2024年01月16日 | ドライブ

 そろそろ落ち着いたころだろうと、成田山新勝寺に出かけてみました。

 ところが、平日だというのにすごい人出です。

 

 山門もまだまだ正月気分でいっぱいです。

 

 外国人がこの間来た時より少ない気がしました。能登地震でキャンセルする人が出たのかもしれません。

 

 さすがに境内は広いので、それほどの混雑ではありませんでした。

 

 お参りも終わり、今日の主目的、鰻を食べることにしたのですが、川豊さんは、なんと2時間待ちということで諦め、若松本店さんで鰻を食べることにしました。

 若松本店は旅館ですが、門前町の旅館などでは、正五九(しょうごく)と呼ばれるお参り月に合わせ一月は『鶏鍋』、五月は『天婦羅』、九月は『うなぎ』を出す旅館などが多かったとのこと。そのなごりが今の『成田名物うなぎ』の所以だそうです。つまり旅館でいただく鰻は正統派ということですね。

 

 30分ほど待ったでしょうか、値段も量も手ごろな、鰻丼定食にしました。
柔らかく骨もきれいに捌けていてとてもおいしかったです。

 

 帰り道は更に鰻を焼く煙が参道に充満して成田に来たという気分を盛り上げてくれていました。

 

 帰宅途中、道の駅 「風和里しばやま」で休憩。

 

 成田に向かう旅客機がものすごく近くに見えます。羽田の事故を考えると、そうそう安心して乗れるのりものではないということを思い知らされましたね(フェイクじゃなく事実ならだけど)。

 

 

 

 

 

 






白子海岸に出かけてみました。

2024年01月12日 | ドライブ

 昨日今日の冷え込みは半端ないです。
 特に昨日は吹いてくる風がそこら辺のものをがちがちに凍らせる映画の「デイ・アフター・トゥモロー」みたいでした。

THE DAY AFTER TOMORROW Clip - "Instant Ice Freezing" (2004) Sci-Fi

 

 太陽が上がってくると、日差しの暖かさがありがたい。

 

 昼からニトリに買い物にでかけたついでに、白子海岸に行ってみました。

 

 海はいつみてもいいですね。

 

 結構大きな波が打ち寄せていました。

 

 南白亀川の河口。まるで津波がきたように、相当上流まで波が押し寄せてきていました。

 

 こんな寒い日々が続いていますが、庭の梅が春を告げています。もうすぐ暖かな日が訪れるのでしょうか。待ち遠しいです。

 

 

 

 






「大多喜ハーブガーデン」に出かけました。

2023年12月22日 | ドライブ

 前は良く通るのですが、いままで寄れなかった「大多喜ハーブガーデン」に出かけました。

 大多喜ハーブガーデンは室内型テラスハウスガーデン。
イベントができる大温室の他にハーブレストランやガーデンショップがあります。

 ちょうど「ストーンサファリ~自然に思いを寄せて暮らしを送る作り手が、自然・動物・植物をテーマに出店」というイベントをやっていました。

 

 大温室の中に出店がたくさん出ていました。寒い日だったので暖かくて快適でした。

 

 自然から出来たお米や種を使用した身近なアクセサリーの店

 

化石や自然石のアクセサリーの店

 

手作りの小物など様々な店がありました。

 

 面白かったのは、売っている人も、見に来た人も、着ているものが草木染のセーターなど自然素材のものを身にまとっていることでした。スローライフを楽しんでいる人という雰囲気があって面白かったです。

 

 ガーデンショップでハーブの練り香水やハーブティーなどをおみやげに買いました。

 

 お昼は、近くの「てんぐれい」という寿司からピザまで何でもありの「天狗」みたいな店で食べました。

 これで、2人で3,500円ぐらいですから、外食は本当に高くなりましたね。

 

 

 

 

 






府中市郷土の森へ紅葉を見に出かけました。

2023年12月14日 | ドライブ

    府中市郷土の森へ紅葉を見に出かけました。
 出かけたのは、6月の「あじさいまつり」以来ですね。あの時は暑くて、ふうふう言っていたのが夢のようです。

 まず、隣、サントリーのビール工場の並びにある卸売センターで野菜を仕入れます。ここ、正式名称は「大東京総合卸売センター」って言うのですね。天体機器メーカーの五藤光学研究所の商事部門だったというのですから驚きです。

 

 買い物をしている間にお昼になったので、いままで利用したことのない食事処で食べることに。

 店の前に屋台を出してエスニックフードを売っていたので(cocorotus LUNCH)ここで購入。飲食コーナーで食べられます。

シンガポールチキンライス

ルーローファン どちらも850円とリーズナブルです。

 

 タイの高級米「ジャスミンライス」を使っているとのことで、パクチー香る懐かしい味がして美味しく、香港やシンガポールに行った気分が味わえました。


 

 

 さて食事も済んだので、郷土の森へ。博物館は改装中ということで、ほとんど人がいませんでした。

 でも、あまり期待していなかったのですが、紅葉がまだまだ見頃できれいでした。

 

 要所要所に紅葉が植えられており、目を楽しませてくれます。

 

 天気も良く、日差しが暖かくて幸運でした。

 

 尺取り虫発見。シャクガの幼虫だそうです。こういう綺麗な緑色のを見つけたのは初めてです。

 

 梅園の梅はまだまだ固いつぼみですが、蝋梅は、ちらほら咲いているものがありました。

 

 すごく良い香りがします。ジャスミン系ですね。ニホンスイセンの香りと似ているそうです。

 

 公園を一周してから、観光物産館でまたまた野菜を仕入れ帰路につきました。

 

 

 

 






富津の「もみじロード」に出かけてみました。

2023年12月06日 | ドライブ

 関東で一番遅い紅葉が見られるということで、富津の「もみじロード」に出かけてみました。

 道中が2時間以上かかる予定だったので、高滝ダム 記念館でトイレ休憩

 

 君津の亀山湖とともに、紅葉の名所と言われているようでしたが、この辺りには紅葉はあまりないようでした。

 

 遠回りになりますが、養老渓谷の紅葉を見ながら富津市に向かいます。

 養老渓谷沿いは紅葉が綺麗でしたが、人がほとんど来ていませんでした。
 もう日本はダメですね。インバウンドとか言って浮かれているところ以外は、観光業は廃業に追い込まれるのも間近のような感じがします。

 さらにドライブを続け、1時間半ほどで、もみじロードの入り口、 志駒休憩所に到着。

志駒不動様の霊水が蛇口から無限に流れ出ていて、水筒に詰めました。

 

 『志駒川に沿って延長約10kmに続く県道182号(上畑湊線)は、通称「もみじロード」と呼ばれ、県内屈指のもみじの名所として約1,000本のもみじが生い茂る』という触れ込みでしたが、県道沿いはドライブしながら楽しめるというほどの紅葉の数ではありませんでした。

 

 途中で車を止めて、渓谷に下りるとさすがにきれいな紅葉が見られます。

 

 色づきは今一つという感じでした。

 

 このあと、道の駅 「保田小学校」へ。2022年1月下旬に館山旅行の帰りに寄った時以来2度目の来訪です。

 

 お昼も過ぎていたので、前回はチャレンジしなかった「給食スタイルで楽しむ鋸南町の里山食堂」でランチにしました。

 

 これで、懐かしがってばかりではいけません。
 現在の学校給食の惨状は恐ろしいものがあります。食育とか言っていて出されるものはこれですからね。

画像

 本当に日本は最貧国になってしまいました。外国や大企業にばらまく金はあっても、日本国民には一切気を遣うつもりはないようです。

 なんで、暴動が起きないのですかね?お人好しもいい加減にしないと、命まで奪われてしまいます。

 

 このあと、旧体育館を改造した農産物市場で野菜を買って帰ります。

 二宮金次郎もクリスマス仕様

 

 入口で可愛い猫が迎えてくれます。

 

 おみやげも買ったので、すぐ近くの鋸南保田ICから館山自動車道を使って蘇我で下り、帰路につきました(105km 1,590円)。
 因みに途中木更津JCTから圏央道を使うと時間は20分ほど短縮できますが(81.2km)、2,020円だったようで、ナビのエコ優先は間違いなかったようです。今後の参考にしましょう。

 

 

 






今日から12月 「加曽利貝塚」に行ってみました。

2023年12月01日 | ドライブ

  とうとう師走になってしまいました。

 どんどん時が流れていくので、積極的に日々を過ごすことが大事ですね。
 今日は教養を高めるために「加曽利貝塚」に行ってみました。

 

 

 公園と博物館があります。

  直径130mでドーナツ形をした縄文時代中期の北貝塚と、長径170mで馬のひづめの形をした後期の南貝塚が連結し、8字形をした日本最大級の貝塚。 重要性が再認識され、2017(平成29)年10月に「国宝」に相当する「特別史跡」に指定されています。

 

 ボランティアガイドさんに案内をお願いしました。

 

 貝塚といっても食べ終わった貝だけが捨てられていたわけではなく、生活の跡(遺構)の一つであったことを初めて知りました。
 縄文人の遺骸 が埋葬さ れていることもあるため、今のゴミ捨て場のようなものではなく、信仰の場所でもあった と考えられているそうです。
 あまりにも多量に蓄積されているところを見ると、貝の加工場だったという説もあるようですが、形を整えて(すり鉢型)埋められているところを見ると、花崗岩で白く輝くピラミッドと同じように、貝が白く輝くランドマークだったような気がしてきました。

 

加曽利貝塚PR大使の「かそりーぬ」です。
平成26年7月に千葉市長から加曽利貝塚PR大使を任命された公務員だそうです。
縄文時代中期の「加曽利E式土器」を頭にかぶり、貝塚から一番たくさん出てくる「イボキサゴ」という貝の首飾りをつけています。

 

 小高くなった貝塚の上を歩くと、普通に貝や土器の破片が露出しているのには驚きました。

 

 貝塚断面および住居跡が現地保存型の野外観察観覧施設として整備されています。幾世代にもわたって、貝塚を中心に人が住んでいたことが分かります。

 

 最後に復元集落を見学し、火おこしの実演をしてもらいました。1時間半近く案内していただいて、大変勉強になりました。花の咲く時期に公園を散策しても楽しいと思える施設でした。

 

 お昼は、千城台にある「創作れすとらんフウライボウ (FURAIBO)」でランチ。
 冷凍食品でなく、その店で材料から調理したものを食べるには、最低限このくらいの予算が必要な時代になってしまいました。

ローストポーク

鳥のロースト

 

 嫌味のない味で、また、ちょっと手の凝ったものが添えてあり、おいしかったです。
 このあと、谷津の干潟に行く予定でしたが、事故による大交通渋滞で700m進むのに1時間近くかかるという災難が降りかかり、途中で諦めて帰宅しました。日を改めて訪ねたいと思います。

 

 

 

 






泉自然公園に紅葉を見に出かけました。

2023年11月20日 | ドライブ

  紅葉の名所という、泉自然公園に行ってみました。

 半分ぐらいの色づきとの情報でしたし、平日でもあるので、人出はそれほど多くありません。

 

 泉自然公園は、1969年(昭和44年)に千葉市の風致公園として若葉区に開園し、北総台地(下総台地)がつくりだす起伏に富んだ地形を活かし、標高50メートル内外の関東ローム層の台地が広がる面積42.5ヘクタール(東京ドーム9.2個分)の広大な公園。

 

 紅葉谷と名のついたところがあるので、そこを目指します

いずみ橋という吊り橋を渡ります。眼下に紅葉がみえます。

 ところが、歩けど歩けど、草原やフィールドアスレチック施設はあるのですが、紅葉谷らしきところに行き当たりません。とにかく分かれ道に表示が全くないため、いま自分がどこを歩いているのか見当がつかなくなってしまいます。

 

 やっぱりまだ、紅葉には早いのかとあきらめて駐車場に戻ろうと、池のほとりを歩いて行くと、紅葉が見事なところにたどり着きました。

 

 ここへ来る途中の切通しが紅葉谷で、まだカエデが青々としていて気が付かなかったようです。紅葉谷ではないですが池の畔はなかなか見ごたえがあります。

 

 紅葉とともに、いずみ橋を下から眺める絶景ポイントもあります。

 

 まだ、確かに半分ぐらいでしたが、紅葉は十分楽しめました。

 この公園では、ヤマザクラを中心とする桜(日本さくら名所100選に選定)、梅林、カタクリ自生地、ヤマツツジ、ハナショウブ(約6000株)、花ハスなど四季折々楽しめるようですので、またその時期になったら来てみたいと思います。

 帰りは、前(2023年04月13日)に、「富田さとにわ耕園」へネモフィラと芝桜を見に行ったときに寄った「げた家」さんで手打ちそばを食べました。

 

 2回目ということで、感動も少なかったのですが、値段も少々上がっており、品質にも影響しているのかも? まったく、嫌な世の中になったものです。

 

 

 






ダムカードの旅 片倉ダム

2023年11月02日 | ドライブ

 空を見上げると、見事な飛行機雲、いや、ケムトレイル。

 何かこのごろ喉の調子が悪く、花粉症みたいな症状がでています。

 ケムトレイルは、ケミカル(英: chemical、化学物質)とトレイル(英: trail、痕跡)をかけ合わせた造語であり、支配者が航空機から地上に有毒な化学物質を散布しているという考え。

 

 これに対してファクトチェックが案の定、苦しい言い訳をしています。

日本ファクトチェックセンター

ケムトレイル説は何度も否定されてきた陰謀論であり、誤りと判定した。

曰く
 アメリカ当局のファクトシートによると、航空機のエンジンから排気されたガスによって、線状の雲が発生する。湿度の低いところでは散逸する一方、湿度が高くなると消えずに残り、上空の広い範囲に目に見える水蒸気の軌跡「コントレイル」(飛行機雲)を作る。この飛行機雲は主に水(氷の結晶)でできており、人体への健康被害はない。

 

 お前、馬鹿か!!  飛行機雲ができるメカニズムなど小学生だって知っている。アメリカが言えば何でも正しいのか!! それを疑っている論議がケムトレイルなのに、何の反論にもなっていないことを、くだくだ並べて陰謀論だとさ!! 
 左巻きのなんと頭の悪い(脅かされてもしくは政府と結託して頭の悪い振りをしていることとの相乗効果だろうな)こと。

 

 登るときは死にそうになる長い階段。今日は下りだったので重力に逆らわずスイスイでした。

 

 紅葉葉楓(モミジバフウ)が色づいています。

 

図鑑 ピラカンサ
バラ科のトキワサンザシ属である「トキワサンザシ」「タチバナモドキ」「カザンデマリ」の総称 12分の1のフィギュアのトマトにちょうど使える可愛さ。

 

 セイタカアワダチソウ が一面に広がり、まるで、春の菜の花のようです。

 

オキザリスに似た三角形の葉っぱの花発見。

図鑑 オキザリス トリアングラリス
紫の葉っぱのが多いようですが、これは「緑の舞」と名がついているようです。

 

 昼からダムカード収集の旅に出かけました。

 目的地は君津市の片倉ダム(笹川湖)なのですが、そこの管理事務所ではダムカードを配布しておらず、近くの亀山ダムの亀山・片倉ダム管理事務所に先に寄ります。

千葉県のダムカードを集めよう!配布場所やダム周辺のおすすめポイント・ダムカレーまでご紹介 | 千葉県、埼玉県中心の口コミ情報、地域の声がみえるチイコミ!

 

 3か所分のカードを何も聞かずに配布してくれました。矢那川ダムは、だいぶ離れた木更津市にある土地の保水能力を補うためのダムという変わり種。

 

 亀山ダムの姿を見ることなく、片倉ダム記念館に向かいます。

 

 ところが定休日(水曜日)でもないのに、ドアに鍵がかかっていて教室ぐらいの展示スペースに入れませんでした。何か悪い予感が.....。

 そこで、同じ建物にある「猟師工房ドライブイン」というところを見学。

 イノシシのはく製が「来るな」という威圧感で迎えてくれます。

 

 ジビエ料理の食べ放題「ジビエビュッフェレストラン」と、ジビエ製品を販売する「物販エリア」になっていますが、飾ってあるものが異様です。

 今年の4月に開店した鳥獣被害対策と食肉流通拡大を進め、若手猟師の育成も目指すことを目的としたちゃんとしたお店のようですが、自分の趣味には合いませんでした。猿の毛皮や肉まで売っていたのにはびっくりしました。

 そこで、となりのエリアにある道の駅「ふれあいパーク・きみつ」に行ってみました。

 

 これが、びっくり、うらぶれてしまって、腐ったような野菜やスーパーよりも高い野菜しか売っていませんでした。
 客そのものもほとんどいませんでしたが、来た客もトイレだけで出ていく人ばかりでした。

 紅葉や桜の季節には人出もあるのでしょうが、この不景気の世の中、これは何とかしないと早晩つぶれる予感がしました(「じゃらん」での評判も数年前から最低ですから今に始まったことではないようです)。

 で、ダムカードだけもらって湖を見ないわけにはいかないと、片倉ダムの方へ歩いて行きます。水が濁っていて湖面がきれいじゃないですね。

 

 途中「ヅウタ親水公園」というのがあったので、ここに寄りますが、なんと湖がほとんど見えません。

 

 記念館や道の駅と、もうなんだか観光気分がそがれてしまったので、ここで引き返し、ダムも見ずに鴨川へお昼を食べに行くことにしました。

 途中何軒か魚を食べさせる店があったのですが、閑古鳥が鳴いているか、行列のどちらかで、決めかねているうちに、道の駅「鴨川オーシャンパーク」でお昼休憩にしました。

 

 ここもほとんど人がおらず、かつ、道の駅のレストランですから期待はしていなかったのですが、まあまあのものを出してくれました。今日唯一の収穫だったような気がします。

 しかし、平日とはいえ、これは由々しき状況だと思いました。日本はやっぱりもうだめなのでしょう。
 なにがインバウンドだよ。日本人そのものが金を落とさなきゃ先行き先細りに決まっているでしょうに。
 貧乏がさらなる貧乏を招き、人もどんどん死んでいるようですし、滅亡への一直線ですね。

 

 帰りは、勝浦を回り、常連の道の駅「たけゆらの里おおたき」で野菜と玄米を買って帰りました。

 

 

 

 






九十九里方面に出かけました。

2023年10月20日 | ドライブ

 庭の酔芙蓉がまだまだきれいに咲いています。夕方に赤くなるのが途中で止まったような花もあります。

 

 散歩の途中で野良猫発見 3兄弟でした。一匹は草むらに隠れて何かを狙っていました、

 

 秋と言えば秋桜ですね。キバナコスモスに代わってピンクの色がきれいです。

 

 昼から九十九里に出かけました。

 「Sghr スガハラ 菅原工芸硝子」に向かいます。

 

 1932年に創業。一貫して、手仕事によるガラス製造にこだわっている。
1970年代から、自社開発と自社販売を始め、その品数は4000種類を超えているそうです。

Sghr / 菅原工芸硝子 − プロモーションムービー

 

 工場にはカフェとショップが併設されています。残念ながら見学はできませんでした。

 

 次は、伊能忠敬生誕の地へ

 

 記念公園になっています。伊能忠敬は、1745年に九十九里町小関に生まれました。

 

 伊能忠敬は幼名を小関三次郎といったが、11歳のときに、佐原の伊能長由の養子となった。

2012年に行った佐原に伊能忠敬記念館があるのがその理由ですね。

 

 お昼は九十九里片貝海岸の「望月」さんで。1,300円ぐらい出さないとお昼は食べられなくなってきました。

「増税メガネ」なんとかしろよ!!

 

 

 

 






「麻賀多神社」と「房総のむら」に行ってきました。

2023年09月29日 | ドライブ

 前から行ってみたかった、成田市台方にある「麻賀多神社」と印旛沼近くの「房総のむら」に行ってきました。

  大した渋滞もなく家から1時間ほどで「麻賀多神社」に到着。鬱蒼とした杉の森に囲まれています。

 

 「麻賀多神社」という名の神社は、印旛郡市に台方をはじめ、成田市に1社、佐倉市に11社、酒々井町2社、富里市2社、八千代市1社の計18社もある。

  千七百年余前、印旛国造(当時の大和朝廷の地方長官)であった伊都許利命(イツコリノミコト)が、この地に麻賀多神社大神として崇め、以降近隣の麻賀多十八社の本宮としたそうです。

 

  境内左奥には樹齢千三百有余年、東日本一の大杉があり、近寄るだけでビンビンとパワーを感じます。

  日月神示の自動書記が最初に始まった場所(神典研究家で画家の岡本天明が、昭和19年(1944年)に本社の境内にある「天之日津久神社」~社殿の奥にあったので気が付かず今回参拝を逃してしまった!!~を参拝し、社務所で一息ついている時に予期しない自動書記現象が起こった)。スピリチュアルな人には外せないパワースポットとなっているそうです。 

 

 神社の鳥居の横に義民ロードの看板。 「義民」とは? その意味を求めて「宗吾霊堂(そうごれいどう)」を訪ねます。

 

 立派なお寺です。なんといっても京成電鉄の駅の名が「宗吾参道駅」ですから。

 

 ご本尊の「宗吾様」の足跡をたどる記念館がありました。

 

 宗吾様、佐倉宗吾は本名を木内惣五郎といい、領主堀田正信の為政下の農民たちが年貢取立に困窮し、他国へ逃亡したりする者が後を絶たない惨状を見かねた名主の木内宗吾が、領主に直訴を行ったが、聞き入れられず、近隣の名主たちを伴い、江戸へ上って老中に直訴する。
 老中への訴えも受け入れられず、宗吾はついには同行の名主たちとは別れ、死罪を覚悟で、単独で将軍へ直訴することを決意する。
 決行に当たって、宗吾は、家族に最後の別れを告げると同時に、係累に罪が及ばないよう、妻女離縁を決め、折から降りしきる雪をおして、佐倉に旅立つ。
 印旛招にたどり着くが、吉高にある渡し場は、百姓の直訴以来、暮六つ以降の運行が厳禁され、舟は鎖で厳重に繋がれていた。雪に閉じ込められた、渡し小屋の中で、草鞋作りをしていた、渡し守の甚兵衛は、宗吾の出現に驚くが、話を聞き、鎖を切り、宗吾を対岸に送り届ける。
 帰宅した宗吾は妻女に離縁は拒絶されるものの、妻子に別れを告げることができ、再び江戸に上る。この、宗吾が最後に辿った往復の道を義民ロードという。
 上野寛永寺の物陰にひそみ、将軍家綱の御成りを待ち受け、ついに直訴を敢行、松平伊豆守の計らいにより訴えは取り上げられることになった。
 直訴した宗吾は捕らえられ、妻子とともに公津ヶ原の処刑場で礫刑に処される。時は承応2年8月3日(1653年9月24日)であった。

 

 今の世にまさに欲しい人材ですね。アホの岸田首相をはじめ、なんも考えていない国会議員に天誅を下す義民に現れてほしいものです。
 お賽銭と線香を供え、祈っておきました。

 

 さて、義民の意味も分かったので、次の目的地「房総のむら」に向かいます。

「房総のむら」は、房総の伝統的な生活様式や技術を直接体験するとともに、県内各地から出土した考古遺物や、武家・商家・農家などの展示を通して歴史を学ぶことを目的とする体験型博物館。

 佐原などの古い町並が再現され、めし屋・そば屋などの飲食店から鍛冶屋など16軒が並んでいます。

 

 それぞれ展示物を見たり体験ができるようになっています。

 

 お腹がすいたので蕎麦屋でお昼にしました。

 

 商家の街並みを抜け、山道を抜けて、古墳群の中に建つ「風土記の丘資料館」を見学しました。

 

 浅間山(センゲンヤマ)古墳の副葬品として出土した金銀の冠飾(7世紀前半)
 これってどう見てもユダヤ人の衣装と宝飾品ですよね。


冠飾:金銅製冠飾、銀製冠飾

金銅製冠飾:連珠文(れんじゅもん)と忍冬唐草文(にんどうからくさもん)の透かし彫り文様 
銀製冠飾:宝珠文(ほうじゅもん)の立飾と帯金で構成されていたと思われる。

民族衣装bot on X: "ジョージア中部イメレティ州のユダヤ人男性。トビリシ生まれの写真家Dimitri  Ermakov(1845-1916)によって撮影された。 https://t.co/UKkI5OJwyH" / X

 

『千葉の行商―小さなからだと大きなカゴと―』が開催されていました。

 

 懐かしい風景です。

 

 HOゲージのジオラマもありました。

 

 帰りがけに竪穴式住居も見学しましたが、蚊に無茶苦茶狙われました。

 

 見どころの多い一日となりました。

 夜は中秋の名月を愛でます。

 

 お団子を作ってみっちゃんに供えました。

 

 

 

 





村上緑地公園へ出かけてみました。

2023年09月26日 | ドライブ

 前に、「秋分の日にはこの鳥居の真ん中から太陽があがるのでしょうか?」と、書いたのですが、秋分の日を過ぎて、確かに鳥居の真ん中近くに朝の太陽が昇っていました。

 伊勢神宮のように冬至に太陽が重なる神社もあるようですが、ここは彼岸の中日にあやかっているようです。先祖を敬い、この世界に生かされていることに感謝するありがたい日ですからね。

 

 彼岸と言えば彼岸花ということで、八千代市の村上緑地公園へ出かけてみました。

八千代市の位置

  彼岸花まつりは 9月16日(土曜日)~24日(日曜日)ということで、すでに終わっていたのですが、平日にもかかわらず、一般駐車場は満車。臨時駐車場に案内されました。

 

 確かに、ちょっと最盛期を過ぎた感じがします。

 

 村上緑地公園は、22万本という彼岸花の群生地になっており、まつり期間中はすごい人出だったのではないでしょうか。

 それでも、日の当たり方によるのでしょうか、まだまだ見ごろの彼岸花も沢山ありました。

 

 彼岸花の植栽が始まったのは10年前だそうで、地元のボランティアの方によって維持管理ががなされているそうです。

千葉県八千代市 ドローン空中散歩 -村上緑地公園の彼岸花- 2022年9月撮影

 

 村上緑地公園は、昭和50年代に建設された「村上団地(UR賃貸住宅)」と、Amazonの物流拠点などがある「工業団地」を分離遮断する緩衝緑地として整備された、南北1kmの細長い公園。
 と、周りの景観はよくないですが、木々が目隠しをする形で自然が楽しめるようになっていました。

 

 帰りには、四街道の「栗山 房の駅」に寄って、野菜を買って帰りました。地元農産物というよりも、ピーナッツの加工品をはじめとしたお土産が中心の施設でした。