秋の長雨が続いていますが、今朝は少しは晴れ間が出そうな感じで散歩も快適にできそうです。
田舎の家の周りには、彼岸花が群生しているところが結構あり秋を感じさせてくれます。
田んぼでは、刈り取られた稲からまた新しい芽がでてきて、更に米が実っています。これまた収穫しないともったいないですよね。「ひこばえ」というそうで、肥料をあげて育てたわけではないので売り物にはならず鳥の餌にしたりするところがあるそうです。
去年は気が付かなかった、豆の花がたくさん咲いています。
図鑑 ササゲ(大角豆)の花
落花生の花ともそっくりですが、周りにさやのある実がついているのでササゲじゃないかと思います。
赤飯には何気なく小豆が入っていると思いがちですが、加熱した小豆は皮がやぶれやすく煮崩れもしやすいので、おめでたいときに食べる赤飯につかうには縁起が悪いとされ、ささげを使う地方もあるそうです。そういえば子どもの時、赤飯と言えばわざわざササゲを親が用意していたような気がします。
尺取り虫
図鑑 ナカグロクチバの幼虫
写真を撮ろうとしたら、一瞬こちらを振り返って見つめられたのでびっくりしました。
家に戻ると庭の酔芙蓉がきれいに咲いていました。日も差してきて天気になりそうです。
ということで、秋の長雨の合間を縫ってドライブに出かけました。
まずは一宮海岸広場に建つ「芥川龍之介愛の碑」に立ち寄ります。
裏面にはこう記されていました。
「芥川龍之介の愛のはじまりは彼が東大在学中23歳の頃であった。当時彼は吉田弥生という女性に初恋し激しい相愛の仲になったものの、養家(彼の母の実家)芥川家が士族、吉田家が平氏(へいし)であるとの理由だけで許されざる恋となった。彼の親友堀内利器はそれを見かね堀内の故郷一宮に誘い、大正3年7月中旬からこの地に滞在した。しかし彼女への恋情はいよいよ深くなり、止宿先で綴った悲恋の歌のひとつに
美しき 人妻あらむ かくてあゝ わが世かなしく なりまさるらむ
もう美しき彼女は自分のものにはなり得ないという一宮時代からはじまる悲恋の苦悩こそは、人間の醜いエゴイズムを古典の世界をかりて表現したユニークな芥川文学を誕生させた。大正5年2月出世作「鼻」が恩師夏目漱石に賞賛を受け、華やかに文壇にデビューし、失恋の痛手も癒えて、再び思い出の地一宮に久米正雄と2人で訪れ、一宮館の離れ家(現在芥川荘として保存)に止宿した(大正5年8月17日から9月2日まで)。その時、第二の恋人塚本文子宛に「文ちゃん」ではじまる有名な求婚の手紙が身を結び、新しい芥川人生が出発した。当時、夏目漱石宛に太陽と海と空と砂丘の大自然を背景とした一宮海岸に青春を投げ出している楽しい様子を、また晩年にも「微笑」「海のほとり」と題してこの一宮の思い出を書いている。今日青春芥川龍之介のロマンスを記念し、郷土の鉄道作家故上田廣氏の発想どおり、「芥川龍之介愛の碑」とした。
隣にはこの碑文の中に登場する作家「上田 廣」の碑が建っている。達筆でなかなか読めないが「黄塵碑」と読むそうです。上田は日中戦争の戦地で小説を書き『黄塵』は芥川賞候補となったそうです。
これらの碑は、一宮海岸広場に建っていて、遊具が置いてある小公園です。
この滑り台の丘にあがると一宮海岸がなんとか望めます。この日は風が強く荒波が寄せていました。サーファーがたくさん車で乗り付けていました(この公園の駐車場だけ無料なんです)。
さてここから、今日メインの目的地へは、県道20号を10分程南下、とてもJRとは思えない外房線の小さな踏切(上総一ノ宮⇔東浪見間は単線区間)を渡って、すれ違えないような細い道を5分辿ると到着。
「軍荼利山 東浪見寺(ぐんだりさん とらみでら」難読地名の最たるものですね。
さっそく、猫が出迎えて(というかたくさんの猫が道の真ん中で香箱座りしていて、なかなかどいてくれず、やっと車を進められる状態)くれました。
老猫は見当たらず、小さい子とその母猫が中心でした。地域猫風でもなくどうやって暮らしているのでしょうか?
参道の石段にも猫が座っていて、途中まで一緒に登ってくれました。
猫以外人っ子一人いない閑散としたお寺です。
延々と階段を登る途中、立派な仁王門があり阿吽の仁王像が鎮座しています。
お寺ですが狛犬が具えてあります。神仏習合(日本古来の神々は、絶対的理想の存在である仏が、衆生を救うために姿を変えてこの世に現れた姿」だからと神と仏とを同一視する思想)ですね。
寺は聖徳太子が軍茶利夜叉明王の像を彫刻して安置したのが開基といわれ、神仏分離令のため明治二年(一八六九)に東大社と改称されたが、昭和十六年(一九四一)に現在の軍荼利山東浪見寺となる。
鐘撞堂もちょっと朽ち果てかけている感じです。
お寺の森閑とした雰囲気も良かったのですが、どの猫も人を怖がらず、かといってごろにゃんするのではなく一定の距離を置いているところが可愛い寺でした。