永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

やはり時代を感じます。町の習慣。

2010-06-29 08:35:15 | アート・文化
道路に面して家の出入口としての玄関があったことを多くみられた頃、町内ということばが当てはまるような気がする。夏目漱石の『我が輩は猫である』の一節に「門口のベルが勢よく鳴り立てて頼むと云う声がする。」とある。『門口』は家の玄関をさす。訪問客は家人を玄関の引き戸越しに声をかけて用事をする。今では防犯上こんなことはめったにすることはない。インタホンで接客する。人間関係が世知辛い時代になったものである。
いつごろから『町』が『街』になってしまったのだろう。社会は経済成長を唱い文句に大容量の街にしてしまった。このごろは生活感が町からなくなってしまったような感じがする。生活、暮らしの基本の家族家庭としての家がワンルームマンションなどにみられるように核化して、ある一定の年齢に達すると独立した『部屋=家』に住む傾向があるから、生活の感覚と構造が時代とともに変化して町から生活の匂いが消えてしまったのだろうか。
干渉されない街。干渉されない生活の空間。きょうも大型ゴミ回収車がリイクルとエコの名に変えて注文を取る声がスピーカーから町中に響く。家が肩寄せあって連なっていた町の風景がなくなっていく。



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街が町であったころの風景。〈C〉永野宏三