今日も「江戸東京の風景学」のまちあるきに出かけた。
明治後半の大洪水が原因で決定された一大治水工事である、荒川(旧)と隅田川の河川付け
替え工事の講義を聞いて、実地にそのあたりを見に行くというのが趣旨だ。
話には聞いていても、現在の荒川は、その計画によって大正時代に生まれた人工の河川だと
いうことに、古い地図数枚を実際に見て驚いた。
南千住駅の東側は西側の古い街並みとは対照的に近代的な街並みで驚いた、
良い悪いは別として、予想とはまったく別の世界だった。
その付近のマンション入り口から見たスカイツリー。
すぐ前の隅田川貨物駅もこの新しいマンション・ショッピングセンター群に
飲み込まれていくのだろうと思う。
隅田川の上流方向、リバーパーク汐入地区のマンション群。
隅田川の下流方向、リバーパーク汐入地区のマンション群。
千住汐入大橋と対岸も見える。
さっきの堤防の際にある胡録(ころく)神社。16世紀中頃に上杉謙信の家臣が
住み着いて祀ったのがはじまり。昔の農業や職人の集落が再開発でマンション群
に変遷したが、神社は移転しながらもたくましく残っている。
千住汐入大橋から見えた壁のようなマンション群。
これは白鬚東アパート(墨田区)という建物で、大震災時の大火災に対応する防火壁
の役割もかねて建設された。30年ぐらい前に完成して、その東側、隅田川との間は
避難広場となる大型の公園になっている。
千住汐入大橋からみたリバーパーク汐入地区(左側)。ここまでは荒川区。
橋を渡って、足立区の柳原地区に入る。隅田川の岸辺には高層ビル、マンションも
あるがその向こうは古い街並みだった。
冨沢家の江戸時代の建物、現役だが住むのはかなり危険で大変だと思う。
荒川の堤防に登る。登るという言葉がふさわしいぐらい急勾配で、高さもある。
柳原地区を見下ろすと気のせいか水面より低い所に住居があるように思う。
荒川は水量もゆたかだし、大丈夫かと心配になる。
向こう岸には会社に勤めていた時代に仕事で何回も通った高速道路、たしか夕方には
富士山が見えたと思う。なつかしい。
柳原稲荷神社の富士塚。
昔懐かしいお風呂屋さん、煙突も昔のタイプのままだ。
お客さんの出入りも多く、はやっているようだった。
商店街、北千住駅から少し離れているので、狭い道幅のぼくが子どもの頃を
思い出す商店街が残っていた。
明治後半の大洪水が原因で決定された一大治水工事である、荒川(旧)と隅田川の河川付け
替え工事の講義を聞いて、実地にそのあたりを見に行くというのが趣旨だ。
話には聞いていても、現在の荒川は、その計画によって大正時代に生まれた人工の河川だと
いうことに、古い地図数枚を実際に見て驚いた。
南千住駅の東側は西側の古い街並みとは対照的に近代的な街並みで驚いた、
良い悪いは別として、予想とはまったく別の世界だった。
その付近のマンション入り口から見たスカイツリー。
すぐ前の隅田川貨物駅もこの新しいマンション・ショッピングセンター群に
飲み込まれていくのだろうと思う。
隅田川の上流方向、リバーパーク汐入地区のマンション群。
隅田川の下流方向、リバーパーク汐入地区のマンション群。
千住汐入大橋と対岸も見える。
さっきの堤防の際にある胡録(ころく)神社。16世紀中頃に上杉謙信の家臣が
住み着いて祀ったのがはじまり。昔の農業や職人の集落が再開発でマンション群
に変遷したが、神社は移転しながらもたくましく残っている。
千住汐入大橋から見えた壁のようなマンション群。
これは白鬚東アパート(墨田区)という建物で、大震災時の大火災に対応する防火壁
の役割もかねて建設された。30年ぐらい前に完成して、その東側、隅田川との間は
避難広場となる大型の公園になっている。
千住汐入大橋からみたリバーパーク汐入地区(左側)。ここまでは荒川区。
橋を渡って、足立区の柳原地区に入る。隅田川の岸辺には高層ビル、マンションも
あるがその向こうは古い街並みだった。
冨沢家の江戸時代の建物、現役だが住むのはかなり危険で大変だと思う。
荒川の堤防に登る。登るという言葉がふさわしいぐらい急勾配で、高さもある。
柳原地区を見下ろすと気のせいか水面より低い所に住居があるように思う。
荒川は水量もゆたかだし、大丈夫かと心配になる。
向こう岸には会社に勤めていた時代に仕事で何回も通った高速道路、たしか夕方には
富士山が見えたと思う。なつかしい。
柳原稲荷神社の富士塚。
昔懐かしいお風呂屋さん、煙突も昔のタイプのままだ。
お客さんの出入りも多く、はやっているようだった。
商店街、北千住駅から少し離れているので、狭い道幅のぼくが子どもの頃を
思い出す商店街が残っていた。