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さいたま市vs春日部市-飛地祭り(街歩き)9月25日(日)

2016-09-28 10:35:06 | 東京23区とその近辺
「境界協会」の催しに初めて参加した。どういうところに注目して、街歩きするのか、よくわからなかったが、結局いつもの
街歩きと同じく、とにかく目につくものを見物しながらになってしまった。


昼ご飯を済ませての集合だったので、いつものように、持参したサンドイッチを駅のフォームで食べた。
めんどくさがりのぼくには、これが一番合っている。



駅でトイレ(大)に行ったら、こんな看板がかかっていた。荷物置台を床からはずしてもって行くらしい。
日本もついにここまで来たのだろうか?



東武アーバンパークライン(昔の、野田線)豊春駅(春日部市)から歩きはじめた。旧古隅田川というめずらしい
名前の川。この川はすぐ先で古隅田川に合流する。



丘の下の低湿地なので川が多い。

この結構広い調節池につながっている。池はさいたま市にある。

調節池の水門とポンプ場、ここから古隅田川が流れこんでいる。

上流。このあたりは、ここが両市の境界のようだ。

もう少し上流の橋の看板に「古隅田川」が載っていた。在原業平の「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ
人はありやなしやと」の場所はこのあたりだと言う説もある。


この丘の下の低湿地を西に進む。境界線の北側のさいたま市岩槻区側は宅地開発がされていて、住宅がいっぱいある。


隣接する南側の春日部市側には住宅は少ない。湿地が調節池のような雰囲気で原っぱのままのこされている。



ポンプもあった。



昔懐かしい遊具。現役であるのはめずらしいと思う。


カンナがきれいだったこの家はどちらの市なのか見忘れた。


丘の崖の下から数メートル上に境界があり、そこの上から春日部市らしい。



「さいたま」のファンがよろこんでいるところ。


丘に上る。魅力的なY字路。この敷地はきょうかいのものだった。


みんな不思議そうに見ていた。なにしているのか不思議だろうなー。


丘の上のテーブル状の部分は畑が多い。


かっこいいTシャツ。小田原と北条氏のファン。


カエルを見つけてくれた人がいた。すごい観察力だ。


運動会。このあたりまで来ると車社会(昔風に言うと車が下駄替わり)なので、車だらけ。行儀よく詰め込んでいる。


ほっとする風景。





同じような場所を上ったり、下ったりして観察する。境界線がいりくんでいて、両市の標識がごちゃごちゃと出てくる。




崖の上、春日部市。崖の下、さいたま市。



段差がはげしい。


さきほどのY字路の教会。本建物や入口は丘のてっぺんにある。春日部市所在。



丘の上の崖際にある花積貝塚へ、縄文時代にはここは海際だったらしい。





貝もあった。

さいたま市飛地との境界上でもある、たぶんこの方向がさいたま市飛地。

そちらの方へ下る。



貝塚の看板があった崖を振り返る。

栗、蜜柑類、柘榴の畑。



カラスウリ。

うしろの古い家には人が住んでいないようだった。

ラッカセイ。

みんな電車がだいすきだ。線路の向うあたりに古隅田川の始発点?があるらしい。


またまたさっきの丘の上に上がって、貝塚の方角へ行く。NTTの電波塔だった。





崖際、丘の上の神社。





1813年の灯籠だ。この道は主要道だったのだろう。春日部市。


庚申塔。


北隣のお寺境内に集められていた庚申塔、石神。

右端は菅原道真をお祀りした石神。

梅のマークもはいっている。

左端も菅原道真だ。梅のマークもある。どちらも江戸時代の製作。


江戸・明治時代の様式の家もあった。


川跡と思われる暗渠。古隅田川は昔、現在の流と逆流していて、元荒川に流れ込んでいたこともあったらしい。
その名残の川跡だろうか?





肩に新兵器。後で見せていただいたがよく写っていた。


東武アーバンパークライン東岩槻駅(さいたま市岩槻区)に到着。

ここで解散。


懇親会にもすこしだけ参加させてもらった。おしゃべり、たのしかった。アルコールには弱いので、サイダーのような
これを飲んだ。

おいしくて、もう一本。

来た時と同様に大宮に出て湘南新宿ライナーで帰った。たのしい一日だった。
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