今日はいい天気だったので、「たま リバー50キロ」の上流部分の端である
羽村取水堰まで行くことにした。
多摩都市モノレール柴崎体育館前駅ー羽村取水堰ーJR青梅線小作(おざく)駅
と歩いた。快適だった。
立日橋たもとから上流方向、JR中央線の鉄橋。
水鳥の集会?のように見える。白鷺、鵜のほかに、見えにくいが手前の島に鴨
と鶺鴒(せきれい)がいる。
川のまわりはだんだんと畑、里山がふえてくる。車が走らない安全な道として
利用されている。
今日の道もサイクリング、自転車道の趣がつよい。
新緑が美しい。
ひなびた、いい感じの道。
もうすぐ桜が咲く。
提灯には「ふっさ桜まつり」と書いてあり、堤防沿いの公園にはテント等の準備
がすでに完了していた。
印象に残った「こぶし」?の花。
もうすぐ羽村取水堰だ。
途中、横田基地の近くでは真上を大型輸送機が飛んだ、ここに住んでいる人には
迷惑な存在と思うが、たまに見るぼくにはかっこよく見えた。
真上を通り過ぎて着陸態勢にはいる。
しばらく歩いてから、急旋回して着陸態勢に入る飛行機にもであった。
多くの飛行機は川の対岸方向から真っ直ぐ着陸して行った。
基地から飛び立って行った米軍ヘリ。
今日ものんびり遊んでいる小さな子供連れが多かった。ほんとにいい公園にな
っている。
玉川上水の開削事業を請け負った玉川兄弟(事業の完成で玉川の姓を許された)
の銅像。優秀な人達だったんだろうなー。
堰の玉川上水側、京都の疎水を思い出す。
玉川上水の流れ、すごい勢いできれいな水が流れて行く。
昔の水番所は羽村取水所の事務所になっている、昔の陣屋の門が残っていた。
今日は5km/時を目指してコントロールした、ぶらぶら歩くよりは余裕がない。
ここが目標地点だったが、時間があったので川沿いに道があるかぎりもう少し、
行き当たりばったりで行くことにした。
すごく整備されたジョギング道が続いていた。
羽村取水堰の方向(下流方向)の景色。
一本杉、昔はもっと高くて目だっていたと思う。対岸から、きつね火が飛んでい
たと言うことが書いてあった、なにもない川原にそびえたっているとそういう
話が出来ても不思議でない。
ついに道はなくなり、川原を歩くしかなくなった。
突き当りが、この神社だった。
阿蘇神社と書いてあった、立派な古い神社だった、藤原秀郷ゆかりの神社らし
い。帰って、インターネットで調べたら、彼と敵対していた平将門創建の神社
らしい。
平安時代の関東の中心地の範囲内だったようだ。
藤原秀郷=俵藤太秀郷は、滋賀県の三上山の大百足退治のお話の主人公。
ぼくの母方の祖母は、滋賀県石部(三上山のすぐ近く)の出身で、小さい頃その
話を何べんもしてくれた、なぜか非常に印象に残っている。なんとなく、うれし
くなった。
そこから、JR青梅線小作駅に出た、駅は河岸段丘のうえにあり、かなり急な道
を上がって行った。
途中の養蚕の面影を残した古い立派な農家。
羽村取水堰まで行くことにした。
多摩都市モノレール柴崎体育館前駅ー羽村取水堰ーJR青梅線小作(おざく)駅
と歩いた。快適だった。
立日橋たもとから上流方向、JR中央線の鉄橋。
水鳥の集会?のように見える。白鷺、鵜のほかに、見えにくいが手前の島に鴨
と鶺鴒(せきれい)がいる。
川のまわりはだんだんと畑、里山がふえてくる。車が走らない安全な道として
利用されている。
今日の道もサイクリング、自転車道の趣がつよい。
新緑が美しい。
ひなびた、いい感じの道。
もうすぐ桜が咲く。
提灯には「ふっさ桜まつり」と書いてあり、堤防沿いの公園にはテント等の準備
がすでに完了していた。
印象に残った「こぶし」?の花。
もうすぐ羽村取水堰だ。
途中、横田基地の近くでは真上を大型輸送機が飛んだ、ここに住んでいる人には
迷惑な存在と思うが、たまに見るぼくにはかっこよく見えた。
真上を通り過ぎて着陸態勢にはいる。
しばらく歩いてから、急旋回して着陸態勢に入る飛行機にもであった。
多くの飛行機は川の対岸方向から真っ直ぐ着陸して行った。
基地から飛び立って行った米軍ヘリ。
今日ものんびり遊んでいる小さな子供連れが多かった。ほんとにいい公園にな
っている。
玉川上水の開削事業を請け負った玉川兄弟(事業の完成で玉川の姓を許された)
の銅像。優秀な人達だったんだろうなー。
堰の玉川上水側、京都の疎水を思い出す。
玉川上水の流れ、すごい勢いできれいな水が流れて行く。
昔の水番所は羽村取水所の事務所になっている、昔の陣屋の門が残っていた。
今日は5km/時を目指してコントロールした、ぶらぶら歩くよりは余裕がない。
ここが目標地点だったが、時間があったので川沿いに道があるかぎりもう少し、
行き当たりばったりで行くことにした。
すごく整備されたジョギング道が続いていた。
羽村取水堰の方向(下流方向)の景色。
一本杉、昔はもっと高くて目だっていたと思う。対岸から、きつね火が飛んでい
たと言うことが書いてあった、なにもない川原にそびえたっているとそういう
話が出来ても不思議でない。
ついに道はなくなり、川原を歩くしかなくなった。
突き当りが、この神社だった。
阿蘇神社と書いてあった、立派な古い神社だった、藤原秀郷ゆかりの神社らし
い。帰って、インターネットで調べたら、彼と敵対していた平将門創建の神社
らしい。
平安時代の関東の中心地の範囲内だったようだ。
藤原秀郷=俵藤太秀郷は、滋賀県の三上山の大百足退治のお話の主人公。
ぼくの母方の祖母は、滋賀県石部(三上山のすぐ近く)の出身で、小さい頃その
話を何べんもしてくれた、なぜか非常に印象に残っている。なんとなく、うれし
くなった。
そこから、JR青梅線小作駅に出た、駅は河岸段丘のうえにあり、かなり急な道
を上がって行った。
途中の養蚕の面影を残した古い立派な農家。
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