八王子駅周辺街歩き11月6日(日)

2016-11-08 16:03:57 | 東京23区とその近辺
昨日に続き、街歩きに出かけた。八王子は高尾山に出かけたり、昔、甲州道中を歩いた時に通ったりしたが、なじみのない街
なので、来てみたかった。


JR八王子駅北口に集合。八の字のシンボルマーク。





桑並木通り。昔、甲州道中を歩いた時この名前に魅かれた。さすが、絹の街と思って、珍しい樹種の並木だなーと
感激した。今日来てわかったのだが、ずっと前に桑の並木は植え替えられて、ベニハナトチノキ(マロニエ)に代わって
しまっていた。どこにでもある並木の樹種だ。多分、掃除とか維持管理の関係だろうが、甲州道中のそこここに放棄
されている桑畑の桑の木を移植してほしいと思ってしまった。


商店街で催しが行われていた。にぎわっていた。

昔ながらの、おまんじゅう屋さん、おいしかった。



下駄屋さん。昔はお茶屋さんと下駄屋さんは商店街にかならずあった。古い街並みが残っている。

露店にも出ていた。きれいに並べられている。

ずーっと昔の招き猫。たいへんな貫禄だ。



井戸水を沸かしているらしい。りっぱな銭湯だ。

もっと新撰組を売りにしているのかと思っていたが、今日はここにしか見つけられなかった。残念な気がする。

「ファンキーモンキーベイビィー」ゆかりのお店らしい。ぼくにはなじみのないミュージシャンだ。今日の街歩き
は初参加のグループだったが、食べ物を中心にたくさんのお店を見て歩くことが中心の催しだった。



花街に到着。









見ごたえがあった。


このお店で昼食。我々はおお人数の十数名で名物の焼きナポリタンは数が限られてしまったので、ぼくはちがうパスタ
にした。焼きナポリタンはコスパもよくおいしかったらしい。普通のパスタはコスパも悪く、味ももう一つだった。



子安神社に向かう。途中に双体道祖神が祀られていた。

このお狐様達は印象に残った。



子安神社。御祭神はコノハナノサクヤヒメ。古事記、日本書紀でお馴染みで、ぼくがファンの神様だ。

七五三が近いので、パンダも出動。



大鳥神社。酉の市が近いので、準備中。

八幡八雲神社。

ぼくが子供の頃を思い出すお店。

陳列されているものも昔懐かしい。

松任谷(荒井)由美の実家らしい。北島三郎、ひろみは知っていたが、フアンでよく聞くのに知らなかった。

昔、日本橋から諏訪まで、てくてく歩いた。

途中のお寺の境内にあったゲル。本場から来てもらって組み立てたらしい。

いちょうホール。八王子市の文化施設。

ここで最中を食べた、おいしかった。松姫は武田信玄の娘で武田家滅亡により翻弄されたお姫様。八王子に尼となって
隠棲した。武田家旧臣を徳川家康が召し抱えた八王子千人同心から慕われていたらしい。

遊郭の跡らしい。



浅川。



サイエンスドーム。このあたりの科学的展示があるらしいが、改装中で休館だった。

産千代稲荷神社。千人同心の長だった大久保石見守長安の陣屋の一画に祀られていた。陣屋はなくなっても神社は残った。



真ん中に見えるのが八王子の時の鐘。

今日は打ち上げ懇親会は欠席して真っ直ぐに帰った。
おもしろい一日だった。企画に感謝します。
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二宮金次郎の史跡歩き(小田原市)11月5日(土)

2016-11-08 12:07:41 | 東京23区とその近辺
小田原市にある史跡をめぐる街歩きに参加した。天気のいいなか田舎道を歩いて訪ねる、たのしい一日だった。
計画立案、案内に感謝感謝だ。


このかっこいい特急で小田原へ。





他にもいろんなタイプがある。



大ちょうちんの下で集合。そこから富水駅(とみず)に移動、隣駅の栢山駅(かやま)の間にかたまっている史跡
をめぐる。



駅前に復元された掘り抜き井戸。昔はそこいら中にあったらしい。いまでも結構残っていた。



普通の家でも使われている。この後も何軒か見かけた。

きれいな花が咲いていた。

馬頭観音など石造物を集めてお祀りしていた。



いよいよ二宮尊徳記念館へ。





譲渡され、分解移築されて、あちこち転々ととしていたらしい生家は、ここに復元されていた。1700年中頃作られた
中流の農家らしい(父親が建てたと言われている)。











説明者の人柄か、なかなかの内容だった。

まわりの住民にも親しまれているようだ。







これを見たら、掘り抜き井戸が多いのも納得。



父母の死後、金次郎が引き取られたおじさんの家跡は隣。現在もおじさんの子孫がお住まい。



玄関わきの大木も立派だ。

薪を背負って記念撮影。背負子のみでもけっこう重い。





ほかの人達の方がさまになっている。







捨苗栽培地跡に移動。若い時、捨てられた稲の苗を拾い集めて、荒地に植えて米を得たということだった。
経験を積み重ねた。

富士山がきれい。電線を避けて撮るのに一苦労。

稲が刈り取られた後の畦道を歩く。







仙了川に出た。

このあたりが菜種栽培地跡。若い時に苦労しながら実践体験をしていたようだ。









耕した直後はみみずや虫が多いらしく、たくさんセキレイが走り回っていた。



掘り抜きの水が豊富できれいなので、クレソンのビニールハウスもある。

二宮家の菩提寺(善栄寺)。



金次郎の父が世話になった医者の村田道仙宅跡。子孫の方が住んでおられるようだが、病院は近くに移ったそうだ。



双体道祖神が集めて祀られていた。

酒匂川土手の松苗植栽地跡。13歳の時すでに実践していた。





酒匂川の風景、上流方向。

下流方向。





この後、栢山駅から小田原駅に戻る。

小田原駅東口の金次郎。



お城。お城を抜けて、次へ。暗くなってきた。

お城の構内のビャクシンの大木。



現代版のベーゴマ。

報徳二宮神社。







カフェは残念ながら終了時間だった。隣の報徳博物館も時間切れのため省略。

お城を抜けて駅へ。



駅から、ライトアップしたお城を。

駅付近で打ち上げの飲み会の後、小田急で帰った。とのしい一日だった。
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