daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

犬と暮らす日々

2019年03月11日 14時46分27秒 | Weblog

犬と暮らす日々
                   

宮城県小児科医会報3月号に「犬と暮らす日々」が掲載されました。

 

 

 

色彩を失くした晩秋の庭に黄色い石蕗が咲き誇る。

ミニチュアダックスフント(MD)のハナコは縁側で横になり、日向ぼっこをしている。

さっきまで孫たちと走り回っていたが疲れたらしい。

ハナコは生まれて2か月でわが家に来たが、もう11歳になった。

人間の年齢でいえば還暦である。


数えてみたら自分は40年ほど犬と一緒に暮らしている。

飼った犬は全部で4匹。3匹はもういない。

最初に飼ったのは小学校3年の時。

オスの雑種で名前はコロといった。

同級生のTさんの犬だったが、Tさん一家が引っ越して行く際にわが家に置いて行ったのだ。

コロはリードを付けたまま逃げ出したことがあった。もしかして、とTさんの家を見に行ったら、空き家の玄関にちょこんと座っていた。

ずいぶん可愛がったつもりだったが、心から懐くことはなかったように思う。

夜になるとコロはずっとTさんの家の方向を見ていた。

 

ある冬の朝、コロは冷たくなっていた。まだ5歳だった。

コロは前日まで元気だったのであるいは凍死だったかもしれない。

何より一人で逝かせてしまったという悔いが残った。

当時、犬の予防接種といえば狂犬病だけだったし、ドッグフードも手に入らなかった。

犬はほとんど外飼いでよく蚊に刺された。

フィラリア予防の薬もない時代では飼い犬が10歳まで生きることは稀だった。

その後しばらくわが家で犬を飼うことはなかった。


それから20年ほど経ったある日、知り合いから、黒柴の子が生まれたのでもらってくれないかと頼まれた。

「見に行くだけ」という約束だったのに、動物好きの次女がメスの1匹を抱きしめて離さなくなった。

仕方なく連れて帰り、そのまま飼うことになった。それがナナである。

何も準備していなかったので慌てて犬小屋を買いに走った。

次女は犬小屋に入って一緒に寝たりしていた。

子犬は見目麗しく成長し、町内一の美犬と言われるようになった。

子供らが幼稚園から小学生の頃だったので、一緒にキャンプにも行ったりもした。

11歳の時乳がんが見つかり手術を受けた。病状は一旦落ち着いたが、肺転移により呼吸が困難になった。

自宅に酸素ボンベとテントを持ち込み、家人が交代で看護をしたが力尽きた。12歳だった。


3番目に飼ったのがオスのMDで名前はダイスケ。

新聞店で飼われていたが、そこの奥さんが重度の犬喘息になった。

大学病院で犬を隔離するように指示され、わが家に連れて来られた。

「お宅で断られたら明日保健所に連れて行きます」と懇願されては断れず、ナナと2頭飼いになった。

初めての家で遠慮するどころか、天真爛漫、いたずら好きだった。

家人の靴を玄関から持って来るのは毎日。風呂場を走り回って浴槽に落ちたり、台所にあった生の牛肉300gを盗み食いしたりもした。

発砲スチロールの箱をかじって穴を開け、粉々にした。

道に落ちているものは何でも食べるので散歩のときは油断できなかった。

落ちていた冷却剤らしいものを飲み込んだことがある。

かかりつけのO先生に、腸閉塞を起こしたら手術です、と脅かされたが、翌日何事もなく排泄された。

やや気難しいナナとも3年間仲良く暮らし、一番上の孫の良い遊び相手になっていた。


15歳の時、急に後足の筋力が衰え、立ち上がることができなくなった。

O先生によれば老化であり、治療はないとのことだった。

筋力の衰えは日々進行し、やがて前足にも力が入らなくなった。

立てなくなってから3か月目、水を飲ませたときに咳き込み、そのまま呼吸が止まった。


現在わが家にいるハナコは4番目の犬である。近所の家でメスばかり5匹生まれた中の次女。

ダイスケとは9年間一緒に過ごした。

賢い犬で、ケージに鍵をかけても中から口で鍵を外して脱出することを覚えた。

孫と一緒によく昼寝をしていた。

ダイスケのことが大好きで、ダイスケ亡きあとしばらくの間「クーン、クーン」と悲しげに泣いていた。

一人になってからは全く声を出さない日もある。 

 

家族の真ん中に子犬がいた。

談笑する家族の中で犬たちも笑っていた。

家人が帰って来るとちぎれんばかりに尾を振って迎えた。

子供と犬が姉弟のように庭を駆け回っていた。

寒い夜にはどの犬も布団の中にもぐりこんで来た。

 

私たち夫婦は若かった。子供たちも若かった。

楽しい記憶にはいつも犬が一緒にいた。

やがて子供は成長して家を出て行き、あとには老いた親と老いた犬が残された。


犬は時々いたずらをするが、嘘をついたり人をだましたりはしない。

毎日餌と水をもらわなければ生きられない存在だが、事故で足が不自由になっても悲観することなく、あるがままに歩こうとする強いところも持っている。

犬にとって時間は人間の7倍の速度で流れて行く。

人の1年は犬にとって7年に相当し、これをdog yearと呼ぶ。

初めは子犬でもあっという間に飼い主を追い越して老犬になって行く。

 

「老犬たちの涙」(児玉小枝著、KADOKAWA、2019)という本によると、行き場をなくして行政施設に連れてこられた犬たちは、「新しい引き取り手の現れる可能性が低い順に」致死処分に回される。

「可能性が低い」とは「老犬」と同意である。

犬を行政施設に連れてくるのは60歳を過ぎてから犬を飼った人、すなわち定年退職、子育て終了などをきっかけに犬を飼い始めた人たちなのだそうだ。


子犬との生活は最初楽しいが、10年もたつと犬も自分も年を取り、病気になったり介護生活になったりする。

そして子供にも知り合いにも老犬の引き取りを拒まれる。

年を取って引き取りを嫌がられるのは人も犬も同じである。

新しい犬を飼い始めるのは50歳まで、そしてハナコが最後の犬、と私は決めている。


わが家では犬を「買った」ことがない。

4匹とも縁あってもらわれて来た犬たちである。

幸いにわが家の家族は誰もが犬好きだった。

コロ以外の3匹はわが家に来て幸運だったのではないかと思っている。


犬には個性がある。頭が良いはずの犬種を選んでもそうでない子にあたることもある。

「マーリー ~世界一おバカな犬がおしえてくれたこと~」(ジョン・グローガン、早川書房、2009)はそんな犬との生活を綴った本である。

どの本にも「ラブラドール・レトリバーは気質は愛らしく穏やかで、子供にやさしく、攻撃性とは無縁。陽気で楽しく、頭が良く臨機応変さは救助犬、盲導犬にも最適」と書いてある。

ところがジョン・グローガンのところにやってきたレトリバーは、落ちているものを何でも飲み込み、網戸は必ず破って出入りする。

大好きな人には体当たりして吹っ飛ばし、留守番をさせればゴミ箱をあさり、家具の足を食いちぎる。

マーリーと名付けられたそのレトリバーは、人間であればADHDと診断されるような犬であった。

しかし返品されかけたその犬と過ごした13年間は何物にも代えがたい宝石のような時間となり、マーリーが死んだ後には家族全員が涙を流し、長い間のペットロスに陥ったという。


思えばマーリーはダイスケとそっくりである。

そしてわが家の誰もがダイスケと過ごした日々を楽しく幸福だったと記憶し、懐かしみ、その頃に戻りたいと思っている。

わが家の歴史の区切りは昭和、平成ではなく、「ナナのいた時代」、「ダイスケのいた時代」、「ハナコの時代」となっている。

犬の名前は、koronanadaisuke @・・・、nanadaisukehanako@・・・のようにメールアドレスに残してある。


楽しい日々にも必ず終わりが来る。最後の時は犬を一人にしないでほしい。

一人で逝くのは犬でも寂しくてたまらないだろう。わが家でもナナとダイスケが旅立つときは24時間、ずっと誰かが付き添っていた。


The Ten Commandments of Dog Ownershipは、作者不詳のまま広く世界に伝わっている英文の詩で、日本では「犬の十戒」として知られている。ペットとして飼われることとなった犬と人間との望ましい関係を、犬が人間に語りかけるという形式で訴えている。

最後にその7項と10項だけを紹介したい。これから犬をパートナーにしようと考えている人のために。


7. 私を殴ったり、いじめたりする前に覚えておいて欲しいのです。私は鋭い歯であなたを傷つけることができるにもかかわらず、あなたを傷つけないと決めているのです。


10. 最後のその時まで一緒に側にいて欲しいのです。このようなことは言わないで下さい、「もう見てはいられない。」、「居たたまれない。」などと。あなたが側にいてくれるから最後の日も安らかに逝けるのですから。忘れないで下さい、私は生涯あなたを一番愛しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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