貞山掘 宮城県の仙台湾沿いにある運河。江戸時代から明治時代にかけて数次の工事によって作られた複数の堀が連結して一続きになった。最初の堀が仙台藩伊達政宗の命により開削されたため、諡の貞山に因んで明治時代に貞山堀と名付けられた。
美しい松林が歯が抜けたようになっている。
この辺り、以前はこのように松が美しく密生していた。
無残に折れた松の枝。
堀に沿った遊歩道。
松の木がなぎ倒され、アスファルトが一部流出している。
水圧の凄まじさに立ちすくむ。
かつてこの道はこうだった。
アスファルトの 一部は10mも移動していた。
大の男が10人掛かりでも持てない。
これは砲台ではない。
水の勢いで西側に曲げられた樋門開閉の操作棒。
元がなんだか分からない瓦礫の山。
テニスコートの海側は瓦礫の集積場にされた。
瓦礫は次々と搬入されて来る。山はどこまで高くなるのだろう。
この辺りの海岸はすべて立ち入り禁止になっているので、砂浜の状態は分からない。
南側の海岸には乗馬クラブがあった。その建物は壊滅したが、スタッフとお客さんは無事避難したそうだ。その後、馬たちも大半の無事が確認された。
岡田地区の住宅街。ここも大きな被害が出た。
水が通り抜けたが、倒壊を免れた家。
水はちょうど庇の下まで来た。水に浸かった畳を庭に並べて干していた。
海から4kmのところまで被害甚大。
ちょうどこの道路の左までで水は止まり、右の地区は大丈夫だった。
岡田地区の避難所になっている岡田小学校。
ブランコで遊ぶ子供たち。
この小学校は無傷だった。
校庭の桜も7分咲きになった。
子供らに本当の春が来るのはいつだろうか。
西公園まで戻ってきた。
ここの桜は何事もなかったように咲いている。
花見は行なわれているが、一気飲みなどの馬鹿騒ぎはない。
夕日は何事もなかったように沈んで行った。
(続く)