12月23日。今日は東北地方に強い寒波が来ている。
風も強く、正午でこの気温だ。
しかしS先輩が亡くなった東松島を、どうしても年内に見ておきたくて出発した。
国道45号線を多賀城に向かう。
黒い雲が青空を隠そうとしている。
中野栄を過ぎた辺り。
ここにも波は来たが、痕跡は見えない。
23号線の八幡地区で、初めて被災した建物を見た。
このハードオフは廃業したようだ。
栄の廃車置場。
多賀城市の各所から集められた流失車両がここに集められた。
場所がないので2段積みにされている。
ナンバーが付いたままの車も。
栄2丁目交差点。
この先は七ヶ浜。
七ヶ浜は避暑地であり、菖蒲田浜という海水浴場もある。
Cさんは、3月の初めに七ヶ浜に引っ越したばかりだった。
念願の新居が完成したのだ。
近くの保育園に6歳の長女と、3歳の次女を預けて、卸町に仕事に来ていた。
地震に驚き、子供を迎えに行こうと45号線から23号線に入った。
対向車線には車が溢れ、誰もが必死で西を目指していた。
東に向かっているのは自分一人だった。
ラジオは東から津波の襲来を告げている。
みんな海から逃げてきているのだと分かって、恐ろしかった。
前方から津波が押し寄せてくる幻影が見えた。
(実際、押し寄せてきていた。)
警察官に東行きを止められ、心を残して引き返した。
その日は仙台の実家に泊ったが、子供らのことが心配で一睡もできなかった。
翌日瓦礫の中を保育園に行ってみると、子供たちが走って抱きついてきた。
高台の保育園まで津波は到来せず、保育士さんが園児全員を一晩守っていてくれたのだった。
あの時、無理して保育園に向かっていたら、津波と正面衝突したところだった。
新居は小高い場所にあったのが幸いし、あと5mのところで水は止まった。
Cさんが引き返した交差点こそ、この栄2丁目交差点である。