畑のニンニクの茎が倒れてきた。
これが収穫期のサイン。
茎を引っ張って抜きます。
今日は4分の1ほどを収穫。
このように立派なニンニクが出来ています。
茎が枯れてしまうと引っ張り出せなくなり、掘らなければなりません。
茎と根を切って
乾燥させます。
庭にニンニク臭が漂っています。
畑のニンニクの茎が倒れてきた。
これが収穫期のサイン。
茎を引っ張って抜きます。
今日は4分の1ほどを収穫。
このように立派なニンニクが出来ています。
茎が枯れてしまうと引っ張り出せなくなり、掘らなければなりません。
茎と根を切って
乾燥させます。
庭にニンニク臭が漂っています。
これは一見普通のエンドウ豆の花だが、
莢が紫色なんです。
紫エンドウの一種でクレオパトラ豆といいます。
たまに緑色の莢もできます。隣に見えますか?
先祖帰り?
出来た莢の99%は紫色で、莢ごとご飯に入れて炊き、しばらく保温すると赤い豆ご飯が出来ます。
わが家の初夏の楽しみです。
来年のために40粒ほどを残して置きます。
この豆については次のような話が伝わっていますが、本当かどうか?
ツタンカーメン王陵の副葬品の中に入っていたエンドウの種だったといわれています。
ツタンカーメン王は紀元前14世紀、エジプト18王朝の王ですが、わずか18歳でなくなりました。
1922年にイギリスの考古学者であるH.カーター氏がその王陵を発見し、その副葬品の中に、当日のエジプト人が食べていたと思われる種子を発見したのです。
そのカーター氏はその種子を持ちかえって蒔いてみたところ発芽し、栽培することができました。
さらにその種子の一部はアメリカにも渡り、栽培が続けられたそうです。
日本へは、昭和31年に、茨城県水戸市の大町武雄氏がアメリカにイチョウなど日本特産の種子を送った返礼として、V.イレーヌ・ファシスワースという方から数粒の種子をもらったということなのでした。大町氏はその後、自分ひとりではもったいないと考えて希望者に分け与えたそうです。
そしてその一部が、日立市の助川小学校で栽培され、さらに千葉県八日市場市の須賀小学校に5粒送られ、その後水戸市の会社経営者富田氏が知人から得た豆を水戸市長に数十粒届け、さらに当時の市長、和田氏が市内各小学校に2粒づつ配布し、全国にすこしづつ広まったと言われています。
これはジャガイモの花。
これは蜜柑の花です。
今年植えたばかりですが、こんなに咲きました。
この赤いつぼみはレモン。
つぼみが開くと白いんです。
もうレモンの香りがします。
エンドウ豆の花は音符のよう。
これが莢になり、豆をはらみます。
ネギ坊主。
桜は終わったが、庭の花が満開になった。
これはプルーンの花。
形は桜に似るが、色は真っ白です。
枝垂れ源平桃。
1本の木で赤白2色の花が咲きます。
よく見るとピンクの花びらもあります。
赤、白、桃の3色・・・不思議ですね。
大きくなるとこうなります。開花期も長いんです。
近所の熊谷さん宅。
これは花桃。花もきれいですが、
150gほどの桃がなります。
垣根にしているウコギもこの通り新芽が出ました。
コンクリートの隙間に根付いたど根性イチゴ。
白石川(船岡~大河原)の堤防沿いの一目千本桜を見に来ました。
船岡駅で降りて、堤防を南下します。
今日は満開で快晴!
河川敷は市民農園になっています。
これは!?
一昨日完成したばかりの「しばた千桜橋」。
桜を見るためだけに作られた橋です。
柴田町は年に2週間だけ活躍する橋にいくらかけたのでしょう?
橋を渡ると船岡城址公園に行けます。
船岡城址公園は堤防の桜と反対側にあったので、去年までは行く人は少なかった。
今年はほとんどの花見客が誘導されています。効果抜群。
城址からの眺め。
確かに一目千本!
千桜橋も小さく見える。
船岡城は大河ドラマ「樅の木は残った」の舞台。
大きな立て看板。
これがその樅の木。
柴田町観光物産課のHPより引用
今もなお船岡城址公園に残る1本の大きな樅ノ木。
時代の生き証人として、その樅の木に秘められた柴田町の古い歴史を紐とくとき、寛文事件がたどった悲哀の運命がまざまざと蘇ってきます。
今から約340年前(万治3年)仙台藩62万石3代目藩主、伊達綱宗が不行跡を理由に幕府から隠居を命じられ、3歳の亀千代が家督を相続したことに端を発する、のちに伊達騒動とも呼ばれる寛文事件。
その寛文事件をテーマにした山本周五郎作のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」(昭和45年に放映)に登場する原田甲斐は、今までの逆臣説から一転、伊達政宗の子、兵部を利用して仙台藩のとりつぶしを狙った酒井忠清の陰謀を未然に防ぎ、伊達家の安泰を守った忠義の人物という新見解によって描かれており、これまでの定説を覆す、新たな甲斐として注目を集めました。
寛文11年、酒井邸での「郡境の件尋問」の後、流血騒動となり、甲斐は斬死、一族の男は切腹、女はお預け、多くの家臣は帰農となり、悲哀の運命をたどりました。
ドラマがテレビで放映されると、船岡城址公園に残るゆかりの樅ノ木を一目見ようと、多くの人が柴田町を訪れました。
平成23年10月には、樅ノ木周辺を整備し「樅ノ木は残った展望デッキ」が完成し、白石川堤が眺望できるようになりました。
桜の季節には、「一目千本桜」が一望できます。
千桜橋までが柴田町。それを過ぎると大河原町になる。
ここから大河原町。
歩道脇を東北線の列車が頻繁に通る。
船岡駅でもらった案内図にはここまでしか載っていない。
この先の地図は大河原町でもらってくれということらしい。
行政区が変わっても桜は美しい。
桜と白石川と蔵王が同時に見られるビューポイント。
今日は21度。ポカポカの気温。
昼寝する人も。
桜には1本1本番号が付けられて大事にされている。
穏やかな川面を屋形船が行き交う。
外国人もこの桜には満足そうだ。
大河原駅付近の川原では露店が並び、大道芸人のリュウ君のジャグリングが喝采を浴びていた。
外国人だけの大宴会。
花見客はここで飲食をしてお金を大河原町に落とす。
千桜橋に巨額投資した柴田町には露店もなかった。
そういう屈折した思いがあの案内図になったのだろうか。
秋保の里センターで「手づくりおひな様展」が開かれている。
入場は無料。
見学者が続々入って行く。
吊るし雛が綺麗!
錦糸卵のお弁当。
3月21日まで開催されます。
1月11日、役目を終えた正月飾りや去年のお守りが八幡宮にどんどん持ち込まれる。
どんと祭は3日後なのに巨大な山が出来た。
持ち込まれたダルマは燃えないので別に集められる。
酒樽も奉納された。
鉢植えの柚子の実を収穫。
今年は5個なりました。
これを輪切りにして
銀杏切りに。
種だけはよけておきます。
柚子と同量の氷砂糖を準備。
煮沸消毒したガラス瓶に、柚子→氷砂糖→柚子→氷砂糖・・・と重ねて行く。
全部詰めて終了。
2週間冷所に置いて完成。
スプーン一杯をティーカップに入れ、熱湯を注いで飲みます。
種は焼酎に漬け、化粧水として使います。
肌がつるつるになります。
部屋の中がとっても良い香りに包まれます。
昨日採った蕗の薹でばっけ味噌を作りました。
洗った蕗の薹をレンジで20秒チンして冷水に浸してみじん切りにします。
こうすると緑色がきれいに保たれます。
これをフライパンで軽く油で炒めます。
適量の味噌に適量の砂糖を加え(この辺は適当です。味を見ながら。私は甘めが好き。)、30秒ほどチンして混ぜます。
先ほどの炒めた蕗の薹と混ぜて出来上がり。
あけましておめでとうございます。
2016年が幸多い年でありますようにお祈りしております。
わが家の隣の大崎八幡神社には昨日の夜中から参拝客が長蛇の列です。
列は長い石段の下まで延びて、お参りを終えるのに2時間ほどかかっています。
善男善女の方、お正月からご苦労様です。
私は混雑を避け、境内に合祀されている熊野神社にお参りし、御神籤とお守りをいただいて帰ります。
この女性の運勢はどうだったのかな?
今年は暖かいせいか、庭の水仙が芽を出しました。
落ち葉をかき分けて蕗の薹も出てきました。
蕗の薹味噌(ばっけ味噌)を作ることにします。
まだ元旦なのに春の気配が漂って来ました。
1年間の仕事を終え、歳末の一番町に来た。
クリスマスが終わると人通りは少なくなる。
藤崎前では山形名物玉こんに列が出来ていた。
これは恵比寿様。
6人の福娘が勢ぞろい。
新しい年への期待が盛り上がる。
2016年が良い年でありますように!
近所の人に渋柿をもらったので
干し柿を作ります。
皮をむいてひもに結び、物干し竿に干す。
これだけでも結構疲れます。
「柿すだれ」状態にするには膨大な手間がかかります。
干し柿の値段はこの手間賃で決まるんですね。
愛子にある津島祇園神社。
明治16年、菅井藤左衛門、庄子長吉、加藤民治の三氏が伊勢参宮の帰途に、尾張津島祇園神社に詣で分社を許された。
菅井、庄子、加藤家は今でも愛子の大地主である。
春は桜、梅雨時は紫陽花が美しい。
昨年の11月に植えたクレオパトラ豆を収穫する。
莢が紫色になり、豆がまるまると太った。
莢は紫色だが
豆は緑。
ぎっしりと詰まっている。
豆ご飯にしたり、煮物にする。
豆ご飯にするとご飯が赤飯のように赤く染まるから不思議。
クレオパトラ豆は紫御前ともいわれる。
50個ほどを枯れるまで放置し、次回の種とする。