実は・・・、5年前の出来事なのだけれども。
俺は、ある宴会の席に呼ばれた。そこに集まったのは見知らぬオッサンばかり。もっとも、その時の俺の名札も「○○社△△代理」なんていう本人が見ても「これ、誰?」というモノだったのだから、そこに集まった人達みんなそんな感じだったのだろう。
その中に、一人だけプンプンと匂いを発している男がいた。そう、サッカーの匂いを。引き寄せられるように近づき、話してみるとやはり・・・。
やはり彼、サッカーの実業団でプレーしていたとのこと。それだけじゃなく、日本代表にも選ばれたことがあるというのだ。俺よりも低い身長、体型は「なで肩」。俺の心を察したのか、彼の方から詳しく話し出した。
「なんで私がサッカー、それも日本代表になれたかって思いましたでしょ?よく聞かれるんですよ。ご覧のとおりタッパもない、足だってそんなに早くない・・・。」
もちろん「平成の日本代表」と「昭和の日本代表」じゃぁレベル的には違うかもしれない。だが、「代表」であることには変わらない・・・。
「実はね、会社(彼の所属していた実業団チーム)の中でも私って「不動のレギュラー」じゃなかったんです。なもので、毎年毎年私のポジションに高校卒の若い奴らが入ってくるんですよ。で、人聞きの悪い言い方をすれば、一人一人つぶしていった結果ですネ、日本代表になれたのは。」 ヒョエッ?ブラックジョークにもほどがある・・・。どうやらこういう事情のようだ。
・チーム内では彼はそんなに評価が高くなかったため、同じポジションの選手を補強。
・新入団の連中は、確かに彼より能力は上。
・彼、その選手を褒めちぎる。が、そのうちその選手の弱点を見つける。
・その弱点を、必要以上に持ち上げる。
・その(若い)選手、素直に言葉を信じ込み、「弱点を長所」と勘違いする。
・放って置いてもつぶれる。
・いつのまにか彼、不動のレギュラーに。
てな構造だったというのだ。もちろん酒の上での話だし、第一こんな手で日本代表にまで上り詰められるとは思っていないが・・。ただ、このような「駆け引き」はあるのだろうと思う。実社会と同じように。 この考え方を全面的に否定する気はない。
「スポ~ツはジュンスイなものだ~、実力でポジションを奪い取れ~」。
それは本当に正論だとは思うんだけど、「キャプテン翼じゃないんだから、」てな気がする。
※そういえば「キャプテン翼」で翼君やミサキ君が入団したとき、それまでのレギュラーの子はどうなっちゃったんだろ?
何を言いたいのかというと、この考え方、一体いつ頃から植え付けられるんだろ?もって生まれた「感性」なんだろうか?ということ。
今現在の(俺の知りうる)少年団組織をかえりみる。
・ぎりぎりの人数でやっている少年団 → 「レギュラー争い」はあるにせよ、ぶっちゃけて言って「選ぶ・つぶす」余裕はない。
・名門クラブチーム → 毎年入団してくる新星達。潜在的にはこのような構造がくすぶってるのかもしれないけど・・・。
ウ~ン、やっぱり道内の小学生組織では「露骨なイジメ」や「お母さん達の圧力」があったにせよ(これもあること自体問題ではあるが)、このような「狡猾なプレー」は考えられない。それは中学生・高校生にしてみても・・・。
結論じみた言い方をするならば。上の彼の言動って、「社会経験の多様さ」を物語っているものなんじゃないだろうか?近所の駄菓子屋で買い物をして、隣のオッサンに「うるさい!」と怒鳴られ、そしてグラウンドや空き地でサッカーに興じる。
サッカーだけに集中し、技術を磨き、体力をつける・・・。それは昭和20~40年代に生まれた者達にとっては「理想郷」かもしれないが、「企画された世界」でしか生きられない者達を生み出す・・・。与えられたグラウンド、買ってもらった真新しいボール、集められた仲間。すべて「お膳立て」されたフィールド、これがサッカー。これでは・・・・。
もちろん、これは俺の頭の中だけで考えたことだ。本当にそうかは分からない。そして、この「元日本代表」が正しかったのかどうかも判断できない。
ただ、彼からもらった名刺の肩書きを見ると・・・、彼の第二の人生も成功のようだ。あの時と同じ「技」を繰り出しているのかどうかは知らないけれども。
俺は、ある宴会の席に呼ばれた。そこに集まったのは見知らぬオッサンばかり。もっとも、その時の俺の名札も「○○社△△代理」なんていう本人が見ても「これ、誰?」というモノだったのだから、そこに集まった人達みんなそんな感じだったのだろう。
その中に、一人だけプンプンと匂いを発している男がいた。そう、サッカーの匂いを。引き寄せられるように近づき、話してみるとやはり・・・。
やはり彼、サッカーの実業団でプレーしていたとのこと。それだけじゃなく、日本代表にも選ばれたことがあるというのだ。俺よりも低い身長、体型は「なで肩」。俺の心を察したのか、彼の方から詳しく話し出した。
「なんで私がサッカー、それも日本代表になれたかって思いましたでしょ?よく聞かれるんですよ。ご覧のとおりタッパもない、足だってそんなに早くない・・・。」
もちろん「平成の日本代表」と「昭和の日本代表」じゃぁレベル的には違うかもしれない。だが、「代表」であることには変わらない・・・。
「実はね、会社(彼の所属していた実業団チーム)の中でも私って「不動のレギュラー」じゃなかったんです。なもので、毎年毎年私のポジションに高校卒の若い奴らが入ってくるんですよ。で、人聞きの悪い言い方をすれば、一人一人つぶしていった結果ですネ、日本代表になれたのは。」 ヒョエッ?ブラックジョークにもほどがある・・・。どうやらこういう事情のようだ。
・チーム内では彼はそんなに評価が高くなかったため、同じポジションの選手を補強。
・新入団の連中は、確かに彼より能力は上。
・彼、その選手を褒めちぎる。が、そのうちその選手の弱点を見つける。
・その弱点を、必要以上に持ち上げる。
・その(若い)選手、素直に言葉を信じ込み、「弱点を長所」と勘違いする。
・放って置いてもつぶれる。
・いつのまにか彼、不動のレギュラーに。
てな構造だったというのだ。もちろん酒の上での話だし、第一こんな手で日本代表にまで上り詰められるとは思っていないが・・。ただ、このような「駆け引き」はあるのだろうと思う。実社会と同じように。 この考え方を全面的に否定する気はない。
「スポ~ツはジュンスイなものだ~、実力でポジションを奪い取れ~」。
それは本当に正論だとは思うんだけど、「キャプテン翼じゃないんだから、」てな気がする。
※そういえば「キャプテン翼」で翼君やミサキ君が入団したとき、それまでのレギュラーの子はどうなっちゃったんだろ?
何を言いたいのかというと、この考え方、一体いつ頃から植え付けられるんだろ?もって生まれた「感性」なんだろうか?ということ。
今現在の(俺の知りうる)少年団組織をかえりみる。
・ぎりぎりの人数でやっている少年団 → 「レギュラー争い」はあるにせよ、ぶっちゃけて言って「選ぶ・つぶす」余裕はない。
・名門クラブチーム → 毎年入団してくる新星達。潜在的にはこのような構造がくすぶってるのかもしれないけど・・・。
ウ~ン、やっぱり道内の小学生組織では「露骨なイジメ」や「お母さん達の圧力」があったにせよ(これもあること自体問題ではあるが)、このような「狡猾なプレー」は考えられない。それは中学生・高校生にしてみても・・・。
結論じみた言い方をするならば。上の彼の言動って、「社会経験の多様さ」を物語っているものなんじゃないだろうか?近所の駄菓子屋で買い物をして、隣のオッサンに「うるさい!」と怒鳴られ、そしてグラウンドや空き地でサッカーに興じる。
サッカーだけに集中し、技術を磨き、体力をつける・・・。それは昭和20~40年代に生まれた者達にとっては「理想郷」かもしれないが、「企画された世界」でしか生きられない者達を生み出す・・・。与えられたグラウンド、買ってもらった真新しいボール、集められた仲間。すべて「お膳立て」されたフィールド、これがサッカー。これでは・・・・。
もちろん、これは俺の頭の中だけで考えたことだ。本当にそうかは分からない。そして、この「元日本代表」が正しかったのかどうかも判断できない。
ただ、彼からもらった名刺の肩書きを見ると・・・、彼の第二の人生も成功のようだ。あの時と同じ「技」を繰り出しているのかどうかは知らないけれども。