「年を取る辛さ、身近な人が亡くなっていくこと。」 昔、どっかのジイサンが言っていた。
さて、俺に取っての「憧れのヒーロー」、それは・・・。
残念ながら釜本や杉山ではない。ましてや王・長島ともチョット違う。
俺、割とマイナー系なもので、
・メキシコオリンピックの君原
・モントリオールオリンピックの横田・猫田・南・オウコを始めとする男子バレーボールチーム
・中山、遠藤、剣持らの男子体操陣
がヒーローなんですよ。あともちろん笠谷・金野・青地・藤沢の札幌オリンピックジャンプチームも。
でもなんと言っても、この人がNO.1。それは、ジャイアント馬場さん。もうこれは語り尽くせない。忘れもしない、1999.1.31、本当に泣きました。スタンハンセンと馬場さんの戦っているビデオを見て、馬場・鶴田組vs大木金太郎・キムドク(のちのタイガー戸口)を見て。本当にこの日は辛かった。いつか馬場さんが猪木を、そしてシューティングを超えたプロレスをしてくれると信じていたのに・・・。
あれから早5年、もうこんなに悲しい日は来ないと思っていた。だが・・・。
昨日亡くなった故・貴乃花。公式の出身地は青森県ですが、生まれも育ちも俺と同郷(と聞いています)。それが兄(初代、若乃花)の関係で青森県出身としたとか。
それの真偽はともかく、俺の隣の小学校OBだった彼、伝説の水泳記録は少なくとも俺の時代はまだ生きていました。
さて彼が幕内に入った頃から、当然「郷土の名士」として試合を観ていました。でも、郷土云々関係なく彼に惹かれていた。関脇時代の彼、本当に可能性を秘めていた。大鵬を引退に導いた一戦、北の富士との「かばい手」の取組、その他琴桜、(大関になってからの)北の湖、千代の富士・・・・。どれもこれも痛々しく、懐かしい思い出です。
さて、彼にとっての最大のライバル、輪島。学生横綱から本当の横綱にまで駆け上がった彼、確か貴乃花とは2勝1敗くらいのペースじゃなかったでしょうか?この輪島が引退後、プロレス界に身を転じ、そして(失礼ながら)消えていった。それに対し、貴乃花は大関にまでしかなれなかったけど、その後順風満帆な相撲人生を歩んでいると思っていた。
ウ~ン、いろんな意味で彼は「王道」を歩む人だと思っていました。多分、あと30年は相撲協会の重鎮として、寡黙なプリンスは存在すると思っていました。それが・・・・。
今、馬場さんが亡くなったときとはまた違った悲しみに打ちひしがれています。ただ、その時と同じ感覚も。やっぱり、「努力に勝る天才なし」なんじゃないか?という。そして、彼に一言言うとしたらこう言うでしょう。
「花田さん、ありがとう。あなたに勇気をもらいました。」
さようなら、たかのはな。
さて、俺に取っての「憧れのヒーロー」、それは・・・。
残念ながら釜本や杉山ではない。ましてや王・長島ともチョット違う。
俺、割とマイナー系なもので、
・メキシコオリンピックの君原
・モントリオールオリンピックの横田・猫田・南・オウコを始めとする男子バレーボールチーム
・中山、遠藤、剣持らの男子体操陣
がヒーローなんですよ。あともちろん笠谷・金野・青地・藤沢の札幌オリンピックジャンプチームも。
でもなんと言っても、この人がNO.1。それは、ジャイアント馬場さん。もうこれは語り尽くせない。忘れもしない、1999.1.31、本当に泣きました。スタンハンセンと馬場さんの戦っているビデオを見て、馬場・鶴田組vs大木金太郎・キムドク(のちのタイガー戸口)を見て。本当にこの日は辛かった。いつか馬場さんが猪木を、そしてシューティングを超えたプロレスをしてくれると信じていたのに・・・。
あれから早5年、もうこんなに悲しい日は来ないと思っていた。だが・・・。
昨日亡くなった故・貴乃花。公式の出身地は青森県ですが、生まれも育ちも俺と同郷(と聞いています)。それが兄(初代、若乃花)の関係で青森県出身としたとか。
それの真偽はともかく、俺の隣の小学校OBだった彼、伝説の水泳記録は少なくとも俺の時代はまだ生きていました。
さて彼が幕内に入った頃から、当然「郷土の名士」として試合を観ていました。でも、郷土云々関係なく彼に惹かれていた。関脇時代の彼、本当に可能性を秘めていた。大鵬を引退に導いた一戦、北の富士との「かばい手」の取組、その他琴桜、(大関になってからの)北の湖、千代の富士・・・・。どれもこれも痛々しく、懐かしい思い出です。
さて、彼にとっての最大のライバル、輪島。学生横綱から本当の横綱にまで駆け上がった彼、確か貴乃花とは2勝1敗くらいのペースじゃなかったでしょうか?この輪島が引退後、プロレス界に身を転じ、そして(失礼ながら)消えていった。それに対し、貴乃花は大関にまでしかなれなかったけど、その後順風満帆な相撲人生を歩んでいると思っていた。
ウ~ン、いろんな意味で彼は「王道」を歩む人だと思っていました。多分、あと30年は相撲協会の重鎮として、寡黙なプリンスは存在すると思っていました。それが・・・・。
今、馬場さんが亡くなったときとはまた違った悲しみに打ちひしがれています。ただ、その時と同じ感覚も。やっぱり、「努力に勝る天才なし」なんじゃないか?という。そして、彼に一言言うとしたらこう言うでしょう。
「花田さん、ありがとう。あなたに勇気をもらいました。」
さようなら、たかのはな。