私たち衆生が自分自身でしている行為、即ち見る・聞く・味わう・思う等々に、なんとなく物足りなさや不満足が残るというのは、これは全て「自我」が、介在しているからです。
ですから「本来の自己」と、一つに成れないということなのです。
本当に見た・本当に聞いたと云う様子は、見たもの聞いたものが、完全に無くなった様子をいいます。
自分と物(主体と客体)とが、完全に距離を無くした状態をいいます。
その状態を「本当に見た・本当に聞いた」と言います。
それを仏教の言葉で、「空」と呼んでいます。