世の中は「世界人口数」だけ「世界人口数の考え」があります。
もちろん言葉が違うように、習慣・風俗も違います。
おシャカ様はそういうものを全て「空」として理論づけてまとめられ、自分も行じられたということで「仏の教え(仏法)」というものを作り上げられた訳です。
ところが「これは仏法で、これは仏法では無い」というと、既に底に「人の考え」が出て来ます。
しかし、「事究竟(事が何時も既に終わっている)」という事からいえば、私たち衆生は何時でも・何処でも・何をしていても「事究竟」に随っています。
そしてその「事究竟を証明できる教えが仏法」であり「事究竟に気付くこと」が「本来の修行」なのです。