活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

真になり得る2

2020年10月14日 | 法理

私たち衆生は「無始劫来の吾我(ごが)」から離れ難いものです。

 

そこで「勇猛心(ゆみょうしん)」が必要になるのです。

 

自己を忘ずる事を「大死一番」といいます。

 

ですから、「その物に成った時」を「死んでしまう」という意義があるのです。

 

それを白隠禅師は「若い衆や 死ぬのが嫌なら 今死にやれ 一度死んだら もう死なぬぞや」と言っています。

 

「死んでしまう事」が二度あるはずはありません。

 

医者の言葉に「仮死」という言葉があります。

 

元来、これは語の意味を為しません。

 

仮に死んだのは、死んだのではないからです。