私たち衆生は「無始劫来の吾我(ごが)」から離れ難いものです。
そこで「勇猛心(ゆみょうしん)」が必要になるのです。
自己を忘ずる事を「大死一番」といいます。
ですから、「その物に成った時」を「死んでしまう」という意義があるのです。
それを白隠禅師は「若い衆や 死ぬのが嫌なら 今死にやれ 一度死んだら もう死なぬぞや」と言っています。
「死んでしまう事」が二度あるはずはありません。
医者の言葉に「仮死」という言葉があります。
元来、これは語の意味を為しません。
仮に死んだのは、死んだのではないからです。