活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

宗教について5

2018年01月30日 | 法理

ここにおいて、「救い主としての神」を理想し、現在の人間生活の

苦悩を知(識)り、この耐えられない「苦悩」から逃れたい欲求に

「拘束」されてしまうのです。

 

先に理想とした「神(救い主)」にどうすることも出来ない「苦悩」を

托して「神(救い主)」の前に平伏するのです。

 

この時この思いの鎮まる処においてしばらく苦を忘れる、それを、

「救い」と思うのです。

 

しかし、これらは皆自分の「考え(思惑)の所産」であり、「人の心意識の作用」

なのです。「思い違い」なのです。

「AからBへ」との考え方の「移行」に過ぎないのです。

 

これは「思いに瞞(だま)された迷い」の種々の相なのです。

これが一般的に言われている「宗教」なのです。

 

「神(救い主)」というも、「迷いの人」というも、我等の「心の作為」

だということを知らないところから起こる教えなのです。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。