この「一大事因縁としての事実」に事実の生活をそのまんま
しているのが、現在の私たち衆生の在り方です。
そこに「事実」ということがはっきりお互いの上に「今」
行われているのです。
その「今、行われている事実」を皆、捨てておいて、そして
自己の考え方を以って見ようとする処に誤りがあるのです。
それで「今の事実のまんま」に知(識)らないなりに行っている
「此の物」が「或る縁(六境)」に触れてそして初めて認識の
作用が「ぽこっ」と頭をもたげるのです。
そこに人間(にんげん)の考え方というものが、初めて「この事実」
に遭遇して、それも突然の為に「此の物(自分自身)」は
びっくりするのです。
それが「自覚」です。
この「自覚」はどなたも自分で自分のことですから、はっきりするのが
必然なのです。
それ以外に「道」があるのではないのです。