白隠禅師は、
「動中の禅は静中(じょうちゅう)の禅に勝ること百千万億倍」
と、このように表現しておられます。
どうしても 「静かに坐る坐禅(静中の禅)」 という、
そういう穴蔵の中に入ってしまって
身動きが取れないというようなことがあります。
その反対に、動中の禅だと、流されることがあったとしても
比較的、禅というものの執着から離れやすいという
そういうことがあります。
ペンを持ち、諸々の考えをしていること、
「それ自体が禅」 なのです。
ですから、
「その中に禅というようなことを取り入れてはいけない」
ということです。
「静中の禅」 が 「動中の禅」 に変わったということだけですから、
「法」 とか 「禅」 というものがどこかへ行ってしまった
というのではありません。
それを忘れない様にして、「動中の禅」 を相続していって
頂きたいと思います。