「一刹那には九百回の生滅をする」のですから「我」というものを何処に
求めることが出来るのでしょうか。
ですから「諸行無常」のお陰で私たち衆生は世界を我が物にすることが
出来るのです。
「我」というものが無ければ「皆我が物」なのです。
向こうに相手を認めているから「六尺の体」だけになってしまうのです。
「諸法無我」を本当に覚ったものを「涅槃寂静」というのです。
一寸でも「自己を認める」と「相手」を認めてしまいます。
相手があるから“ケンカ”をするのです。
「諸行無常」が分かり「諸法無我」が分かれば“ケンカ”の仕様がないのです。