活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

三法印について(まとめ)2

2019年10月28日 | 法理

「一刹那には九百回の生滅をする」のですから「我」というものを何処に

求めることが出来るのでしょうか。

 

ですから「諸行無常」のお陰で私たち衆生は世界を我が物にすることが

出来るのです。

 

「我」というものが無ければ「皆我が物」なのです。

向こうに相手を認めているから「六尺の体」だけになってしまうのです。

 

「諸法無我」を本当に覚ったものを「涅槃寂静」というのです。

 

一寸でも「自己を認める」と「相手」を認めてしまいます。

相手があるから“ケンカ”をするのです。

 

「諸行無常」が分かり「諸法無我」が分かれば“ケンカ”の仕様がないのです。


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