「困っている状態がなくなれば、安心だとか、悟りだとか、
満足というものがあるだろう」と思うこと。
考え方としては分かりますが、「実際にはどんなものが、
そういうものであるか」ということは分からないわけです。
おシャカ様を始めとして歴代の覚者の書物、道友の指導などを
受けて、「参禅」をするわけですけれど、どうしても「不満
に対しての満足の状態というものは、こういうものだろう」
というものが離れないのです。
それは、「想像した満足」というものを描いているからです。
そういうことで「満足しよう満足しよう」と思って坐っていても
(手続きを用いれば用いるほど)困難を増すばかりになるのです。