「法」 はどこにもあって、誰のものでもありません。
従って、真実の自己は、真実の自己そのもの
以外に知(識)ることは出来ません。
自分をも含めて人が坐禅をするのではありません。
同じように 「自分(人)」 が悟るのではありません。
悟りは一切、人というものの介在を許さない世界です。
それが 「法の世界」 です。
「法」 を知(識)らずに 「禅」 だけを知(識)っている為に
様々の修行の方向の間違いが生じます。
どうか 「法」 を求めて下さい。
そして、その 「法が無相であること」 を知(識)って
いただきたいと思います。