「道(法)」 の話は、聞かないより聞いた方がいいのです。
知(識)らないより、聞いただけ、今までの 「道(法)」 の間違いというものが保証されて、納得がいくからです。
それだけでも 「救われ」 ます。
ですから、「本当に救われる」 ということではなくても、部分的に 「救われる」 ということはあるのです。
一切の衆生が 「根本的な救い」 を求めているかというと、そうではないと思います。
時分に足りないところを補ったり、知(識)ったりしたいとの要求はあります。
それも、「道(法)」 の話を聞けば充たされます。
「道(法)」 の話を聞く場合、「本当のことを本当に徹底したい」 という要求のある人 と、
「部分的にでも自分たちに間に合うものがあったら、間に合ったものでいい」 と言う人もいるわけです。
このことは、「要求の違い」 だけのことですから、それぞれが、それなりの範囲内で効果があるということです。