私達衆生は概念的に「戒」とは特別の事のように考えがちです。
「してはいけないこと、しなければならないこと」が「戒」であると、どうしても思ってしまいます。
しかし、そうではありません。
「戒」とは、いつでも距離がなく、ものと一つにある事を言います。
ですから、「戒を守る」とは【ものと一つになっている「今の事実」に手を付けない】ということなのです。
「戒とは制止なり、対治なり」という御言葉があります。
おシャカ様が始めて成道なされて、「戒」を結せられたのです。
その際の御言葉は「私と大地有情(世界のあらゆるもの) と同時に成道(悟りを得る) する」と。
これを「制止」と、名付けています。
「制止」する故に「仏戒」と呼んでいます。
「制止」とは、欲望を制する事をいい、対治とは、悟りの智慧で煩悩の迷いを破ることを言います。
本来、【すべてが一つ】です。そうであるにもかかわらず、私達衆生は、一つのものを二つに見てしまうのです。
例えば、「自分は迷っているから悟りを得なければならない」
「不安があるから安心を得なければならない」
「我があるから無我にならなければならない」
といった事です。
自分の理想とするものを、他に見立てて「そこに到達しなければならない」という誤りを犯してしまいます。
これは明らかに【破戒】なのです。
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「してはいけないこと、しなければならないこと」が「戒」であると、どうしても思ってしまいます。
しかし、そうではありません。
「戒」とは、いつでも距離がなく、ものと一つにある事を言います。
ですから、「戒を守る」とは【ものと一つになっている「今の事実」に手を付けない】ということなのです。
「戒とは制止なり、対治なり」という御言葉があります。
おシャカ様が始めて成道なされて、「戒」を結せられたのです。
その際の御言葉は「私と大地有情(世界のあらゆるもの) と同時に成道(悟りを得る) する」と。
これを「制止」と、名付けています。
「制止」する故に「仏戒」と呼んでいます。
「制止」とは、欲望を制する事をいい、対治とは、悟りの智慧で煩悩の迷いを破ることを言います。
本来、【すべてが一つ】です。そうであるにもかかわらず、私達衆生は、一つのものを二つに見てしまうのです。
例えば、「自分は迷っているから悟りを得なければならない」
「不安があるから安心を得なければならない」
「我があるから無我にならなければならない」
といった事です。
自分の理想とするものを、他に見立てて「そこに到達しなければならない」という誤りを犯してしまいます。
これは明らかに【破戒】なのです。
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